TVから時ならぬ「バンザイ!」の声が聞こえました。
衆議院の解散だそうです。
なぜ、それが「バンザイ!」なのかはいまだによく分からないのですが、戦後21回目の解散、かくいう私も年の功で何回ものこうしたバンザイを聞いてはきました。
バンザイをしている人たちも複雑なのでしょうね。
とりわけ自民党にとっては今回の解散は険しいもので、神風でも吹かない限り大幅な減少と政権党からの脱落がかなり濃厚だからです。
ですから、やけくそ解散、玉砕解散などともいわれたりしています。
その中でも事情はそれぞれあってさらに複雑なのでしょう。
選挙基盤が強固で、「どっこいそれでも生き残る」というひともいれば、それが心許なく、もはや二度と赤絨毯を踏めない人たちもいるからです。
いずれにしても「議員と物乞いは三日やったら辞められぬ」という甘い蜜を吸ってきた身としては、その去就に万感の思いを込めてバンザイを叫んだことでしょう。
そうそう、かつて我が郷土が生みだした怪物議員の大野伴睦という人は、「猿は木から落ちても猿だが、政治家は選挙で落ちれば政治家ではなくなる」という名言を吐露していますが、今回は猿・・・いや政治家ではなくなるひとがたくさん出るのでしょうね。
政権交代、政権交代といったって、さほど期待が持てるものではないし、まあ、同じ穴の狢のようではないかという声が聞こえてきます。
こうした声には二通りあって、ひとつは自公も、そして民主も信頼できないとして、その他の党を推す人たちです。さらにひとつはそもそも政治になんて何が出来るかという幾分ニヒルな立場です。
なるほどとも思えるのですが、そしてまた、政権交代というものに過度の期待を持ちえないのではとも思うのですが、しかし、政権交代してみることそれ自体に意義があるように思います。民意によって政権の形を変えることが出来るということが必要なのだと思います。
それが主権在民、民主主義の基礎だからです。
戦後六〇数年、駆け引きによる野合のようなものやまったく奇天烈な大連立というものがありましたが、明確な民意による政権の交代というものをこの国はほとんど経験していません。
ですから、あれかこれかの固定したものに縛られるのではなく、タックス・ペイアーにそれをちゃんと還元してくれる政治の形をドンドン追い求めるということが必要だと思うのです。その意味では今回の解散の意義は、戦後ほとんど固定してきた政権党を中心とした政・官・財のありようを流動化させる端緒を切り開くものでもあると思います。
選挙後の政界再編も十分予想されますし、それも視野に入れてです。
本当のことをいうと私自身はこのレベルの「政治」への関心は希薄だったのですが、今回はじっくり見てみようと思います。
衆議院の解散だそうです。
なぜ、それが「バンザイ!」なのかはいまだによく分からないのですが、戦後21回目の解散、かくいう私も年の功で何回ものこうしたバンザイを聞いてはきました。
バンザイをしている人たちも複雑なのでしょうね。
とりわけ自民党にとっては今回の解散は険しいもので、神風でも吹かない限り大幅な減少と政権党からの脱落がかなり濃厚だからです。
ですから、やけくそ解散、玉砕解散などともいわれたりしています。
その中でも事情はそれぞれあってさらに複雑なのでしょう。
選挙基盤が強固で、「どっこいそれでも生き残る」というひともいれば、それが心許なく、もはや二度と赤絨毯を踏めない人たちもいるからです。
いずれにしても「議員と物乞いは三日やったら辞められぬ」という甘い蜜を吸ってきた身としては、その去就に万感の思いを込めてバンザイを叫んだことでしょう。
そうそう、かつて我が郷土が生みだした怪物議員の大野伴睦という人は、「猿は木から落ちても猿だが、政治家は選挙で落ちれば政治家ではなくなる」という名言を吐露していますが、今回は猿・・・いや政治家ではなくなるひとがたくさん出るのでしょうね。
政権交代、政権交代といったって、さほど期待が持てるものではないし、まあ、同じ穴の狢のようではないかという声が聞こえてきます。
こうした声には二通りあって、ひとつは自公も、そして民主も信頼できないとして、その他の党を推す人たちです。さらにひとつはそもそも政治になんて何が出来るかという幾分ニヒルな立場です。
なるほどとも思えるのですが、そしてまた、政権交代というものに過度の期待を持ちえないのではとも思うのですが、しかし、政権交代してみることそれ自体に意義があるように思います。民意によって政権の形を変えることが出来るということが必要なのだと思います。
それが主権在民、民主主義の基礎だからです。
戦後六〇数年、駆け引きによる野合のようなものやまったく奇天烈な大連立というものがありましたが、明確な民意による政権の交代というものをこの国はほとんど経験していません。
ですから、あれかこれかの固定したものに縛られるのではなく、タックス・ペイアーにそれをちゃんと還元してくれる政治の形をドンドン追い求めるということが必要だと思うのです。その意味では今回の解散の意義は、戦後ほとんど固定してきた政権党を中心とした政・官・財のありようを流動化させる端緒を切り開くものでもあると思います。
選挙後の政界再編も十分予想されますし、それも視野に入れてです。
本当のことをいうと私自身はこのレベルの「政治」への関心は希薄だったのですが、今回はじっくり見てみようと思います。
おそらく、ますます分裂衰退に向かっていくでしょう。
民主党関連の株価が上がっていますから、
もう、勝負は決まっているということでしょうね。
政権交代に期待してはいたのですが、
民主党さんの政策を見てがっかりしました。
子供手当だの、高速料金無料だの
学校無料だの・・・ばらまきというか、
選挙狙いのような政策に失望しました。
環境と、高速道路無料化は矛盾するような・・・
(ちなみに、ドイツ、イギリスでは、高速道路は
有料化の方針だそうで、無料化は世界の流れに
反すると思う。)
小沢氏は米国債を買わないといいましたが、そうすると、円高になりますよね・・・
株式譲渡益の税率を引き上げたり、相続税を上げたり、累進税率を強化するような、日本の経済力が低下する政策は勘弁してもらいたいものです。
個人的には、二大政党制より、多党制が好きなんだけどね。
へえ、株価でもうそんな変動があるのですか。
投資家の嗅覚は侮り難しですね。
民主党の政策には過大な期待はしていません。
ただ、情報公開によるガラス張りの政策決定により近づいてもらいたいとは思っています。
今回の選挙では、いわゆる民意による政権交代が可能であるということの第一歩としての意義を感じています。
その上で、「N響大好き。」さんのおっしゃる多党制による今後の選択というパターンが出来ればとも思います。
二大政党という名での選択肢の固定化、狭隘化は私も良とするものではありません。
野中氏は下積みからの叩き上げだけに清濁併せ呑むところがあるように思います。
ただし、京都時代に自出をカミングアウトして以来、差別に対しては鋭い嗅覚を持っていたようです。
麻生が自分の派閥で「野中のような民を総理にするな」とほざいたのに対し、総務会の場で敢然と抗議をした話は有名ですね。同時に、解放同盟の理不尽な振る舞いにも釘を刺すのを忘れなかったようです。
なお、平和に対しても、いいバランス感覚を保っていたようですね。
当該書は読んでいませんが、ダイジェストで見る限り、「伝統や歴史があって差別があるのではなく、まず差別があってその対象が作られるのだ」という指摘はまったくその通りだと思います。
あるマイノリティを差別するひとは、同時に他のマイノリティをも差別するからです。
自分の存在意義を、他者へのルサンチマンに依ってしか保てない人たちにとっては、まず差別への志向があり、その対象はどこからでも作り出すことが出来るのでしょう。
民、女性、他民族、同性愛者、障害者、・・・・・・その対象はいくらでも見いだせるのだと思います。