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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

墓碑銘と野菜と紫式部、白い曼珠沙華とおまけのカワセミ

2010-10-08 01:56:13 | インポート
 秋晴れの一日、三キロほどの道のりを自転車を駆って人に会いに出かけました。
 前にも書きました六〇年ほど前に卒業した小学校の同窓会の幹事たちに会うためです。

 少し余裕を持って、あたりに漂うキンモクセイの香など嗅ぎながらふらふらと自転車を漕いで行くと、いきなり墓地に行き当たりました。どうやらもう一本右か左の道を行くべきだったようです。

 しかし、お墓に行き当たったからといってひるむ私ではありません。私自身、行き着いたら墓場だったという頃合いにもうさしかかっているのですから・・・。
 そこでお墓ウオッチングです。

         

 新しく建てられた墓は、表面の研磨もなめらかすぎで、かつまたシンメトリーで面白味に欠けます(その下で眠っている人、ゴメンナサイね。これはきわめて私的な趣味の問題ですから)。
 などと思っていたら、そうでない墓がありました。けっこう年代物です。

         

 碑銘には、「故陸軍歩兵一等卒 水崎鶴吉の碑」とあります。
 どこでどの様に亡くなったのでしょうか。
 一等卒といえば、兵隊の階級でいえば二等兵の上で下から二番目ですから、さして偉くはありません。しかし、そのことと彼がどんな人物であったかということとはまったく関係はありません。
 ましてや家族にとっては、大将や元帥に比べてもはるかに大切な人で、だからこそこんな立派な墓を作ったのでしょう。
 一等兵ですからまだ若い兵卒でしょう。その命がむざむざ奪われたのですから、家族としてはせめて彼が生きた証にこれを立てたのでしょう。私のように年老いてくたばるのとはわけが違うのです。

 そんな道草をしながらも、会合の時間には間に合いました。
 私はひたすら、パソコンを使って案内状などを作る係に徹して、小利口に何か提案したりすることは控えました。なにせ私は、この小学校では五年生の三学期に、疎開先の小学校から転校してきたまさに外様に過ぎないのです。

 私の作った案内状の草案は若干の注文があったものの、ほぼその通りに承認されました。
 帰り際に、私の労をねぎらうということでしょうか、同席した女性から段ボール箱一杯の野菜をいただきました。
 サツマイモ、ニガウリ、ナス、衣カツギなどのほか、珍しいところでは、さやが赤いオクラもはいっていました。
 ほかにはワケギの球根ももらい、帰ってから早速プランターに植えました。
 
 食い物に卑しい私は、こうして彼や彼女らの軍門に下るのでした。
 衣カツギは早速夕餉の食卓に登りましたが、本当に美味しくいただけました。
 あのメンバーたちがこれを読む可能性はほぼ100%ありませんから、決してお世辞ではありません。
 あ、それから、綿の花というか綿そのものをもらいました。

      

 帰り道、違ったコースを通ったおかげで、紫の小粒な真珠に逢うことが出来ました。紫式部のたわわな実です。
 写真を撮っていたら、通りがかりのおじさんが寄ってきて、「この実は何ですか」と訊くので、「ムラサキシキブという花がこの様に結実したのです」と説明すると、「なるほど、ムラサキシキブねぇ」としきりに感心していました。
 かつて私も、この様にして誰かにこの花や実を教えてもらったことがありました。
 その誰かが、とある女性であったことをはからずも思い出し、まさに胸キュンものでした。

      

      

 ついでにもう少し寄り道をしてみました。
 白い曼珠沙華というものがあることを知ったのはいつ頃のことだったでしょうか。
 子供の頃、「赤い花なら曼珠沙華 オランダ屋敷に雨が降る」で始まる「長崎物語」(昭和十三年1938年発売)という歌を知っていたので、曼珠沙華は赤だと決めこんでいたのですが、今では白いそれを知っていますし、それが毎年咲く場所も知っています。
 で、そこへ行ったらやはりありました。
 もう赤いのは終わりを迎えているのですが、白いものはこれからといった風情です。

      

         

 ふと頭上を見上げると、ザクロとキノコが共生しています。
 すぐ近くではカラスウリが色づきはじめたのですが、まだまだ赤みが足りません。
 あの灼熱の夏の間に、これらが着実に準備されていたのですね。

         

         

 家の近くの田は、もう稲がたわわに実を付けています。
 ほとんど兼業農家のこの地区では、次の連休ぐらいに、一斉に稲刈りが行われるのでしょう。
 地球は、いろいろ取りざたされ危機的な面もあるようですが、私にとってはまだまだ徘徊に値する星のようです。

【今日の残念賞】
 これも帰途です。近所の幅5メートルにも満たない小川に架かる橋から下を見おろしていました。小魚などいないかを確かめていたのです。すると突然橋の下から鮮やかなコバルトブルーのものが飛び出し、水面をかすめるように上流へ・・・。
 あっ、カワセミだっ、と視線で追いかけると、50メートルぐらい離れた上流の橋の下に・・・。
 カメラを構えながら静かに接近し、その橋のたもとまで来ました。
 しかし、その気配を察したのかまたしても上流方面に逃げられました。
 慌ててカメラを構えたのですがもう点にすら写りません。
 未練がましく上流へいってみましたがすでに姿を現すことはありませんでした。


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5 コメント

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Unknown (冠山)
2010-10-09 21:00:16
“お墓ウオッチング”の日々とは羨ましいです。中国の墓は知らないです。観光者として、昆明の聶耳碑、廬山の絶壁上の木陰の碑、「廬山会議」中の死者の碑と聞きましたが、印象に残っています。
日本の死者は言われるように、共同体から隔離された地にあります。宗教上の理由もあるのでしょう。揖斐川上流の一例。旧村の墓地は、埋葬者簿からみると1905(明治38)年ころ山陰に設営されました。それ以前は河原に埋葬され、春の大水で流されるまま、つまり“水葬”されたらしい。これでは衛生上、下流に悪影響があるという明治新政府の方針で山地に移された。旧村の墓地は“霊地ではあったが、それほど古くからそこにあったのではない。村人の死者にもつ感覚も明治末年から共同体の日常から遊離し、霊地=忌み地と変わったのではないか、と考えています。
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Unknown (maotouying)
2010-10-09 13:53:22
“お墓ウォッチング”は、私の日常的な趣味ともいえます。毎日なつめ(犬の名)を連れて山の畑に散歩に行くのですが、当地(黄土高原東部)の墓には墓標というものがいっさいなく、金持ちもビンボー人もまったく同じ円錐形の土饅頭だけです。“墓地”といったものはなく、日々耕作をしているかたわらに三々五々建っています。
当然その上を踏んで歩くわけだし、お供え台の上に腰掛けて休憩したり、なつめがおしっこをかけたりしてますが、別にそれは死者を冒涜することでもなく、村人の日常空間の中で、死者は今も共同体の一員として静かに眠っているだけです。

翻って、日本の墓地というのはなぜあんなに暗くて狭いんでしょうか?現代ならば「土地がない」からともいえるでしょうが、歴史的にいっても、日本では、死者は共同体の日常空間からすっぱり切り離されて、暗くて狭い墓地に隔離されていたように思います。宗教と関係あるんでしょうか?

だからよけいに、あんなに暗くて寂しいところに行くのだったら死にたくない、という思いが強くなるような気がします。こっちの年寄りは、「新しい居場所に引っ越す」くらいの感覚、とまで言い切っては無理があって、誰だって死にたくないですが、少なくとも口ではケロッとそんな言い方をする老人が多く、それがけっこう真実味を帯びていたりします。

とにかく“死生観”(中国語では生死観)というのが、明らかに異質だと感じています。
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Unknown (六文錢)
2010-10-09 12:28:46
>さんこさん
 烏瓜が熟すとなかには綿毛のようなものにくるまった打ち出の小槌のような種子が入っています。
 これをきれいにして財布に入れているとお金持ちになれるということでしたが、田舎の子供のこととて、その肝心の財布をもったいなかったのです。

>冠山さん
 なるほど、すぐる戦争では余りそんな墓碑銘がないのは、物資の不足や戦死者がが多すぎたからかと思っていましたが、そんな規制ともいえる外的な要因があったのですね。
 一目で戦死者と分かる碑がにょきにょき建ったのでは、都合が悪かったのでしょうね。
 
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Unknown (冠山)
2010-10-08 22:19:35
秋の風景をたくさんたのしみました。ありがとう。
兵士の碑に興味をもち拝見しました。ご覧になられたのは日露戦争の戦死者でないでしょうか。「一等卒」という階級に関わらず、大きな碑は多く見ます。「支那事変」と言われたころの上等兵など兵の見上げるような碑も多くありますね。戦争が拡大するにつれて碑の建立はなくなりました。個人的、肉親の情からというより、碑の建立に軍の意向、戦死者の地域の社会的意向がつよくあったように考えます。
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Unknown (さんこ)
2010-10-08 20:55:37
紫式部の実、美しいですね。烏瓜の広い花は、へちまの白い花に似て、レースのような白いはかない花ですよね。

かわせみ。残念でしたね、動く宝石といわれるコバルトブルーは、美しいですね。汚い川で、魚を狙っていたカワセミを、一度だけ近くで見ました。素早く直角降して、魚を捕らえるところを。
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