冬の夕暮れはしんしんと哀しく淋しい
漆黒の闇のなかへすとんと落ちて行く
春の夜のほんのり匂い立つ花や
夏の夜の蛍の緩やかな曳光も
秋の夜の誇らしげな月光も
なんにもない闇の中へと
闇の中に気配を探る
闇もまた私を伺っている
不眠という檻に囚われて
のっぺらぼうな不安がまといつく
私と闇とそして「在る」ということ
その境界が曖昧になって黒く流れる
不眠の夜はけっして明けない夜だ
眠りという再生から見放された夜
闇の覆いを退け時間を逆行させ
冬の夕暮れに戻らねばならない
かつて光のもとにあったという
かすかな痕跡を見い出すために
かくて深い闇のまっただ中で
かろうじて私は宙吊りになる
冬の夕暮れはしんしんと哀しく淋しい
しかし、まだ闇に屈したわけではない
このところ、六文銭さんは、きわめてリリカルな
詩をお書きになる。何だかもの悲しくなります。
サン・テグジュペリの「星の王子様」の中で、美しいページは、王子が椅子に座って、夕日を眺める場面です。哀しい時は、夕日を眺めるんだ、といって、僕は64回も夕日を眺めたよ、というくだり。
小さな星では、椅子を少しずらすだけで、何度でも夕日が眺められるのですね。64回も眺めるとは、
王子はサンコには計り知れないほどの、哀しみを
抱いていたのですね。不眠を心配している散文的な
おばママの横で、サンコは少し詩人、いえ詩猫になっています。
冬の夕暮れから闇への移行を、老いと死、それへの抗いとして重ねてみたのですが、やはりリリシズムに流されるようですね。
やはり、私のような頭の固い人間には詩的言語圏は近寄りがたいものがあります。文字通り、モノローグとして読んでください。
そういえば、サンコさんたち猫族はどことなく詩的ですね。これは犬族との対比ですが・・。
犬たちは散文的でしかも飛躍があまりないような・・。
ということは私は犬族か。 ワンッ!