■日曜日、名古屋へ出て中部フィルのコンサート。昨日、中山道の宿場町などを歩いて疲れているので、居眠りしないかが心配。とくに今回のプログラムはフラン スものが主体だから(演目は参考のために後述)、そんなに激しくはないだろう。指揮は、今年三月に大阪フィルの岐阜定期演奏会で聴いた秋山和慶氏。
■考えてみれば今月になって初めての名古屋だ。ここ連日の暑さで若い娘さんたちはみなショートパンツかミニスカ。白い太ももが眩しい。老いたりといえども、自分が肉食系であることを改めて自覚。
■さて、そのコンサートであるがとても良かった。お気に入りはラヴェルの狂詩曲『ツィガーヌ』。ヴァイオリンの長い独奏から始まりチャルダッシュ風のロマのスタイルがときに激 しく、ときに優雅に流れる。ソリストの島田真千子さんはヴァイオリンの豊かな音色を自在に引き出していた。秋山さんもまた、中部フィルの力量をあますところなく引き出して いたように思う。
■ところでコンサートで珍しい人に出会った。いまから半世紀ほど前、私がサラリーマンだった折に同僚だった人だ。聞けば、中部フィルの支援会員で、私がチケットを買ったYさんともお住まいが近くで懇意だという。
まさに縁は異なもので、終演後、一献傾ける場を持った。
最初に出会ったのは半世紀前、お互い20台前半だが、私がサラリーマン社会から脱落して居酒屋をしている折にも利用してくれていたから、十数年ぶりということになる。これを機にまた再会することを約した。
■息子たち夫妻が父の日にワインを送ってくれた。ニュージーランドVilla Maria ピノ・ノワール2011。いつか私が、赤の中でもピノ・ノワールが好きだといったのを覚えていてくれたものだと思う(と書いたら、嫁さんから正直に偶然だとのメッセ。たぶん、ワインの神様のお引き合わせだろう)。いずれにしても 感謝、感謝だ。昨日は外食だったので、今晩呑むことにしよう。
■というわけで、いつもはフルボトルを3回ぐらいに分けて呑むのだが、今宵は半分を空けてしまって、かなり酩酊している。
そのせいで、これを書きながら、読んでくれている人たちはみんないい人なのだと何の根拠もなく思ってしまっている。
え?ほんとにい人たちなの?これはまた失礼しました。
*中部フィルハーモニー交響楽団
第6回名古屋定期演奏会 ~フランス音楽への扉~
ラヴェル:バレエ音楽『マ・メール・ロア』
ただし、バレエ組曲『マ・メール・ロア』に変更 曲順などが微妙に違う
ラヴェル:狂詩曲『ツィガーヌ』
Vn 島田真千子
ショーソン:詩曲 Op.25
Vn 島田真千子
ビゼー:交響曲ハ短調 ビゼー17歳の折の作品。いささか単調だが後の才能を思わせる。
<アンコール> ビゼー:『アルルの女』第二組曲から「ファランドール」
関東、関西の音楽関係の人たちと交流した時、
「御地には楽団二つしかないの?」と言われハズカシイ思いをしたことがありますが、三番目としてその名も「中部」という楽団! に、栄えあれかし。
ところで今日の『中日』文化欄に大きく、〈芸術、医療・・・1000超す刊行。風媒社50周年〉という記事と、稲垣会長の少しばかりはにかんだ写真。
かって稲垣会長に、音楽関係の本が少ないことない?、と言ったら、再開時に手渡してくれたのが、西崎専一著「オーケストラから時代が聴こえる」。
この本でショスタコヴィツチのあれこれ識りましたが、さっぱり判らなかったのは、「モーツアルトのリビートの処理をめぐって」という一節、でした。
なかなか感じの良い指揮ぶりだったと、あまり音楽に詳しくないけれど、気取ってここには書かせていただくことにしましょう。
地域での音楽ファンの裾野はさらに広がるべきでしょう。例えば、今秋来るベルリン・フィルの特S席は4万5千円です。そうしたブランド的なオケを守ってゆくことにも意義はあるのでしょうが、それらの顧客の大半は中高年層以上です。
それらと並行して若い人たちも気軽に聞くことができるオケがなければなりません。ビルトーゾの音楽はそれらの頂点であって単独で佇立しちいるわけではありません。
その意味で、小牧という地方都市から出発しながら中部フィルはよく頑張っていると思いました。
しらかわはほぼ満席でした。
風媒社の功績はさらに顕彰されてしかるべきです。お取り上げになっている書、未見ですから確かなことはいえませんが、当時の古典派音楽の特徴としてこんな記述があります。
「ソナタ形式における主題は生演奏において曲調を印象づけることが展開部や再現部をより強く聴衆に印象づけることになるため、ソナタ形式による作曲法が全盛であった18 - 19世紀においては、提示部は反復記号により繰り返し演奏が行われてきた。そのため、提示部には習慣的な反復記号が付けられているものが多い。また短いソナタ形式の楽曲では、特に古いものに、展開部・再現部をまとめて習慣的な反復記号を付けているものもある。これらは二部形式の名残である。このような反復記号は、ブラームスの時代には廃止される方向にあった。」
つまり、主題を際だたせるため反復記号が付いている曲が多かっったということでしょう。後世、それらの演奏は指揮者の恣意に任されることになった向きが多いのですが、それらは単に強調ではなく、作曲者のやまれぬ表現であった可能性もあるわけです。さて、モーツアルトの場合はどちらでしょうか?
その小牧フィルが「中部フィル」になり、秋山さんはそのプリンシパル・コンダクターですが、諸外国での演奏歴も長く、海外のオケを始め、日本各地のオケが秋山さんを桂冠指揮者として遇しています。
私が今年の三月に聴いたのは、この秋山さんが率いる大阪フィルの岐阜定期演奏会でした。
上の只今さんへの応答にも記しましたが、こうした地域密着型のオケが、若い音楽ファンを掘り起こしてくれることに期待したいと思います。
これまでにも聴いていますが、リフレインにやや単調なきらいはあるものの、決して悪いとは思いません。むしろ、こうした解放感のあるシンフォニーは、ロマン派以降のやや引きずるものが多い中にあってはレアーな曲であるといつも思っています。
17歳だものなぁ。若さっていいなぁ。