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老人性不定愁訴からの脱出 篠島一人旅へ

2022-06-16 01:57:42 | フォトエッセイ

 なんか不安感がある。何がそうさせているのかはわからない。老人性不定愁訴のようなものだ。
 こういうときは思い切って周辺環境を変えたほうが良い。白内障の手術やその予後の病院通いなどでけっこうスケジュールが混んでいるなか、たまたま予定がなにもない日があったので、そこで、エイヤッと思い切って日帰りの一人旅へ。

 そうだ、ここ2,3年海をまったく見てない。海の見えるところ、そう、離島が良い。岐阜から日帰りで行ける島といったら、日間賀島、篠島、佐久島の三河湾内の三島ぐらいか。

 日間賀島はここ10年以内に近所の人たちと行っているし、その前にも行ってなんとなく状況もわかる。佐久島と篠島はここ半世紀ほど行ったことがない。で、両方のうち、篠島のほうが岐阜から河和経由でかんたんに行けそうだ。

 で、篠島へ。行きの電車の時刻表だけネットで調べ、あとは行きあたりばったりの出たとこ勝負と腹をくくる。

 岐阜は晴れだったが、河和へ着いたら曇り。この日、結局は曇りで終始。
 以下、河和からの行路を絵日記風にかんたんに記す。

 まずは河和港で。

         
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 乗船した船、「はやぶさ」の出航まで。


      

       

          

 最初の寄港地は日間賀島西港。けっこう賑やかだ。
      


 ついで日間賀島東港へ寄るのだが、その途中、私の目的地篠島が右舷に見える。

      

 東港は、西港に比べれば静かだ。ただし、この東には私が知ってるホテル(というかかつての民宿)が、そして一度っきりのところも含めれば三軒ほどある。
 写真は東港を護るテトラポット。

      

 篠島へ到着。大きな鯛がお出迎え。これはTVなどでは観ているが半世紀前にはなかったと思う。そういえば、港の様子もまったく違っていて方向感覚もままならない。
 それもそのはず、後で聞いたら港の位置そのものが前とは随分離れた所へ移転しているそうなのだ。
      

 着いたのが昼ごろだったので、これからの歩きに備えて港の建物内にある軽食スタンドで軽くウドンなど食べる。島へ来てウドンとは芸がなさすぎだと思うことなかれ。これはあくまでも中食で、帰り際には海の幸を存分に味わうつもり。
 港の奥まったところは大きな漁港というか船溜まりというか、実に多くの漁船が係留されている。それらが、波につれて小さく揺らめくさまはまさに漁港ならではのもの。鼻孔を満たすのはもちろん潮の香。   
      

 漁師さんに教えてもらった道を辿り、島の南にある砂浜を目指す。そこは半世紀前、家族連れで来た際、海水浴をした浜だ。
 その途中、こんな飾り物をした家を通りかかる。下のタヌキがちゃんと上を見つめているのが味噌だ。

         
      

 やがて、島の東部を弧を描いて回るような広い道に出る。半世紀前にはまったくなかった道路だ。その道なりにゆくと、東側に海を隔てて渥美半島の先端、伊良湖岬が見える。晴れていたらもっとくっきり見えるのにと残念。
          

 テトラポットの間に、この道路ができる前の自然海岸の痕跡、岩礁が見える。なんだかホッとする。

      

 やがて、目指す砂浜が見えてくる。この光景は、建物などは随分変わったのだろうが、どこか半世紀前の情景と重なる。

      

 砂浜の側から振り返る。テトラポットの上が、私が歩いてきた道。

      

 ム、ム。これはなんだ。なんかの拍子に塗料がこぼれた?それとも人為的な「アート」?

          

 この砂浜を歩いている間に地元の三人の女性と話をする。いずれも70代か。
 まず最初は一人。ぽつんと一人で佇んでいるので、黙って通り過ぎるのも悪いと思い、「コンニチワ」と声をかけて通り抜けようとすると、「あんた、どこから来たん」と問われ、正直に岐阜からと答え、ついでにこの島は半世紀ぶりだというと、「それはよく来た」とばかりに島の説明を始めえる。
 ここは日間賀島とは地質的にも随分違って岩も硬い。だから加藤清正が名古屋城の築城にこの島から石を運んだ。そして、この眼の前の砂浜の砂の質も、日間賀とはぜんぜん違う。いま大河でやってる源氏の歴史とも関係がある。伊勢神宮の遷宮後の材木が支給され、それに従って造営する神社はここだけで日間賀島にはないといったことなど、とにかくその一つ一つに日間賀の比較がまるで党派闘争のようについてまわるのだ。
 私も知っているが、半世紀前はこの島は日間賀よりも隆盛を誇っていた。しかし、今は、私がまさに今日、この目で見てきたように、日間賀の方が遥かに賑やかで、この島に降り立った観光客は少ない。それが彼女には悔しくてたまらないのだろう。しかし、観光以外にこの島の長所もあるに違いない。
 日間賀の悪口続出に、ロシアとウクライナのような薄ら寒さを覚えた私は、話の継ぎ目を見計らって、それではこれでと、その場を辞した。

 写真は、海岸通りでみかけたアートっぽい風景。

      

 次に出会ったのが護岸堤防付近で賑やかに話しながら、ビールを傾けている二人連れ。黙って会釈だけして通り過ぎようとしたら、「あんた、一人かい?」を尋ねられた。「ハイ」と答えると、「ワシらも天涯孤独、独身じゃ」とのこと。聞けば二人共10年以上の独り身だという。
 身の上話に引きずり込まれても困るので、こちらの必要な情報を訊こうと思って、「これから後ろの尾根を超えて、港の方へ戻り、活きのいい地の魚でも食べたいのだが、いい店があったら教えて下さい」と頼む。
 二人で、いろいろ相談していたが、二軒の候補を挙げてくれる。そのうち一軒は三時頃に終わるかもしれないがもう一軒はずーっとやっていると保証してくれた。
 そのうち、一人に電話がかかってきて、何やら激しい口論が始まる。もう一人が、「あんた誰と話して怒っとるんや」と訊くと、「〇〇や」と怒りの表情が治まらない。
 ここが潮時と失礼する。

          
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 さらに砂浜沿いに歩き、背後の山の尾根にある背骨のような道路に続きそうな漁師町特有の狭い道路を歩き始める。はじめ緩やかだった坂がだんだん急になり、ついには、どこまで続くかわからない階段になっていしまった。
 ウ、この老脚で登ることができるかどうか自信が揺らぐが、もうかなり登ってきたし、これを諦めるとしたら、浜まで降りて、やってきた道を戻るしかない。
 さあ、どうしようか。

          

 ずいぶん長くなった。続きはまたにしよう。




 


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