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いじめの極地を肯定するオリパラってなに?

2021-07-19 01:19:33 | 社会評論
 以下は、あるSNSで友人が書いていた記事への私のコメントです。
 なお、その友人の弟はアスペルガーで子供の頃いじめられた後遺症をいまなお引きずっているようです。
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 激しく同意致します。
 子供の頃、ついいじめに加担してしまった、あるいは見逃してしまった、いまはそれを後悔している、そんな人はいると思います。
 
 しかし、この小山田という男は、そうしたケースを遥かに超えています。
 ひとつは彼こそがそのいじめの主人公であったということであり、しかもそのいじめの内容の例を見ないほどの凄惨さです。これは、小説やドラマで誇張して描写されるものすらをも超えた、まさに人間の尊厳を根底から否定するものです。
 
 いまひとつ許せないのは、成人してから以後も、彼がそれを恥じたり、隠したりするのではなく、ほとんど自慢気にメディアに公表していることです。
 その彼が、オリパラの音楽を担当する?????
 
 オリパラの理念は単にたてまえ論で、現実にそれを進めているのは商業主義に毒された利権集団たちだというのはよく知られた事実です。だからこそ、そのたてまえ論からも逸脱した連中こそが中心になって進められています。
 森の「女性わきまえ論」、渡辺直美さんの蔑視起用論などなどはその産物です。小山田起用もその一環でしょう。
 
 パラが謳うところの人間の多様性の肯定のなかに、小山田の超人的サディズムもが肯定的な要素として援用され、採用されるとしたら、それこそまさにオリパラが内包するブラックユーモアの全面的開花というほかありません。
 
小山田という男がかつてしたいじめの内容は以下のとおりです。

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