六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

冬の木立のラプソディ

2011-02-21 04:19:09 | 写真とおしゃべり
       
 
 冬に見かける木々は美しいと思います。
 それは一見、死んだものの絵姿のようですが、そこには再生への意志を秘めた生命そのものが宿っています。
 しかも、花や葉などを失ったその姿には、その生命の骨格がくっきり表現されています。

     
      
 私たちも再生するためには一度は枯れねばならないのかも知れません。
 再生は自分の再創造です。
 その都度多様性を生きることです。
 美しく枯れることが出来れば、美しく再生できるかも知れません。

      


 冬の木立もなかなか見捨てたものではありません。
コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【書を読む】忘却された混沌... | トップ | 節操がない「春」への日記 »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (さんこ)
2011-02-21 11:29:42
本当に、冬木立は美しいですね。枝に止まっているのは、
ヒヨドリでしょうか?

ぐずぐず愚痴も言わず、木は偉いです。そしてもうじき、柔らかな新芽を萌えださせるのですから、あっぱれです。

わが身とおもわず引き比べ、自己嫌悪に陥るのは、この素敵な写真に対しても、申し訳ないですね。きっぱりと枯れなければ。
返信する
Unknown (Tです。)
2011-02-21 15:21:57
修正:「欲しい」→「教えていただきたい」
返信する
Unknown (六文錢)
2011-02-21 22:42:44
>さんこさん
 冬木立が美しいのはその装飾を取り払って骨格自体がくっきりと見えるからでしょうね。
 ヒヨドリは正解です。
 「自己嫌悪」はさんこさんかおばママかは知りませんが、どちらにしても己が赴くままに生きていらっして素敵だと思っています。

>Tさん
 トレッキング、いいですね。
 大山といえばかつて江戸時代には大山参りで賑わった山のことでしょうか。
 落語や古川柳にもよく出てきます。
 
 私の先輩に1960年頃、小林多喜二の母を訪ねて小樽へ行ったひとがいて、その方の記録によれば戦時中、多喜二の母は、愛知県豊田市設楽町田口(段戸山の麓です)にいたことがあるそうです。
 
 資本主義は、もはや多喜二の時代ほど野蛮な形態をとりませんが、それでも昨今の季節工のような使い捨てをみると、生産手段を持ちそれに支配的に関わるものとそうでないものとの矛盾が垣間見られます。
 前世紀の社会主義というのはそうではない所有形態の実験であったわけですが、それが失敗に帰したことはご存じの通りです。

 しかし、この事実は資本主義的生産様式が人類にとって普遍的であるということではなく、やがて歴史はアルタナティヴな様式を見いだして行くかも知れません。

 とりあえずは、この生産様式のもつ矛盾からこぼれ落ちる人たちを救済するセーフティ・ネットの充実が課題であろうかと思います。
返信する
Unknown (Tです。)
2011-02-22 14:27:50
ベーシックインカムはネット上ではホリエモンが一番熱心ですね。

http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10178349619.html

ヨーロッパ(フランスなど)にないことを理由に思考実験と考える人。

http://mesetudesenfrance.blogspot.com/2010/02/blog-post_22.html

まだ読んでいませんが「苦役列車」は買いました。
返信する
Unknown (六文錢)
2011-02-22 23:40:57
>Tさん
 実は私には、昨秋書いたベーシックインカムに関する小論文があって、未発表のまま放置されています。
 これを書くとき、堀江氏の見解も参照させててもらいました。
 以下はその一部です
 
==============================
ベーシック・インカムの実施によって考えられるメリットをあげておきましょう。

○これまで評価されてこなかった専業主婦の家事労働への報酬の意味も持つ。
○不意の失業などの備えになる。
○余裕を持って職を選ぶことが出来るので、劣悪な労働条件の企業が淘汰される。
 あるいは三Kで、なおかつ給与の悪い企業はその待遇の改善を迫られる。
○最低限の収入が保障されるので、逆に給与は安いが働きがいがあるところでも働ける。
○年金やその他の社会保障とが統合される形になるので、雇用に伴う企業の負担は減少。
○同右の理由により、厚生関係の省庁はいうならば「ベーシック・インカム」庁に一元化 
 され、官僚組織の統廃合が飛躍的に進む。 

 こんなわけで、このベーシック・インカムという「大ばらまき」は実施されてしかるべきだと思うのですがいかがでしょう。少なくとも、もっと広く検討されてもいいのではないでしょうか。
 ライブ・ドアーの堀江さんは、ベーシック・インカムについて賛成論を展開していらっしゃいます。また、労働についても面白いことをいっていらっしゃいます。
 「世の中には、二〇万円が支払われる労働に対して、その労働(雇用)を生み出すのに社会全体は三〇万円を費やしているような事例が結構ある」のだそうです。いうならば、これは「負の労働」であって、それに対しては、働いてもらわずに二〇万円を渡してしまった方が社会全体では一〇万円の得になるのだそうです。従って、労働が必ずしもいいものではないとのことです。面白い見方ですね。 
返信する
Unknown (Tです。)
2011-02-23 11:53:30
資源のある中東の国の民主化にはベーシックインカムを採用すべきではないかと考え始めました。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。