前回、「影」について述べましたが、そのとき何か「ん?」と引っかかるものがありました。
なにやらこれに関連したようなしないようなことで、何かが気になって仕方がないのです。
床についてからそれに思い当たりました。
気づいてみれば他愛ないことです。
私が好きだった、そして今も好きで、最近滅多に聴かないけれど、聴いたらたぶん胸に迫るような歌があったのです。
それは懐かしい童謡です。
その名もずばり、「花かげ」、つまり、「影」からの連想なのでした。
歌詞もメロディも叙情的で素敵なのですが、曲は子供の歌には数少ない短調で書かれていて、大人の鑑賞にも耐えることが出来ます。
「花かげ」 曲:豊田義一 詞:大村主計(かずえ)
十五夜お月さま ひとりぼち
桜吹雪の 花かげに
花嫁すがたの おねえさま
俥*にゆられて ゆきました
十五夜お月さま 見てたでしょう
桜吹雪の 花かげに
花嫁すがたの ねえさまと
お別れおしんで 泣きました
十五夜お月さま ひとりぼち
桜吹雪の 花かげに
遠いお里の おねえさま
わたしはひとりに なりました
*この「くるま」は人力車のこと
この歌は、1931(昭6)年にレコード化され、A面は同じ作曲者、作詞者による「繪日傘」で、この「花かげ」はB面でした。
最初のレコーディングの際に誰が歌ったのかは調べても分かりませんでしたが、私が聴いたのは川田三姉妹の長女、川田正子さんが戦後まもなく歌ったものだったと思います。
川田正子さんといえばいろいろな歌を歌っていますが、代表作は「みかんの花咲く丘」だろうと思います。
この歌は、大人にとっては並木路子さんの「りんごの歌」が戦後を象徴したように、私たち子供にとっては戦意高揚の歌から解放され、まさに戦後を告げる叙情歌だったのです。
この歌も大好きなのですが、それにもまして「花かげ」には私なりの深い思い入れがあるのです。
このイラストは二木紘三さんのページから引用しました
それは、私が生後すぐに母を亡くし、養子に出されたことに関連します。
そのとき、私には二つ年上の姉がいたのですが、その姉は別のところに養女に出され、その消息はず~っと私の知るところではありませんでした。
そんな状況であればこそ、会ったこともない姉の面影をあれこれ想像しながら、この歌に強く惹かれたのでした。
三番の「遠いお里の おねえさま わたしはひとりに なりました」で、いつも私の感傷は頂点に達するのでした。
姉と再会(私にとっては初対面同然でしたが)したのは、私が40歳を過ぎてからでした。
会うことが出来て良かったと思ういい姉でした。
住まいが遠い為、頻繁な行き来こそ出来ませんが、むろんそれ以後、付き合いはあります。
そんなわけで、この歌は40年以上にわたって姉と私とを繋いでいてくれたのでした。
まもなく「桜吹雪の 花かげ」の季を迎えます。
この時期、月や花を見ると、私はこの歌を胸の内で何度も反芻するのです。
そして、この歌に胸キュンとなったかつての自分を思い、新たに胸キュンとなるのです。馬鹿ですね。
私にこの歌を聴かせてくれた川田正子さんは、2006年に他界されたそうです。
あの透明感のある声で聴いた数々の歌、とりわけここに書いた「花かげ」は、私の生涯の歌となりました。
川田正子さん、ありがとう。
なにやらこれに関連したようなしないようなことで、何かが気になって仕方がないのです。
床についてからそれに思い当たりました。
気づいてみれば他愛ないことです。
私が好きだった、そして今も好きで、最近滅多に聴かないけれど、聴いたらたぶん胸に迫るような歌があったのです。
それは懐かしい童謡です。
その名もずばり、「花かげ」、つまり、「影」からの連想なのでした。
歌詞もメロディも叙情的で素敵なのですが、曲は子供の歌には数少ない短調で書かれていて、大人の鑑賞にも耐えることが出来ます。
「花かげ」 曲:豊田義一 詞:大村主計(かずえ)
十五夜お月さま ひとりぼち
桜吹雪の 花かげに
花嫁すがたの おねえさま
俥*にゆられて ゆきました
十五夜お月さま 見てたでしょう
桜吹雪の 花かげに
花嫁すがたの ねえさまと
お別れおしんで 泣きました
十五夜お月さま ひとりぼち
桜吹雪の 花かげに
遠いお里の おねえさま
わたしはひとりに なりました
*この「くるま」は人力車のこと
この歌は、1931(昭6)年にレコード化され、A面は同じ作曲者、作詞者による「繪日傘」で、この「花かげ」はB面でした。
最初のレコーディングの際に誰が歌ったのかは調べても分かりませんでしたが、私が聴いたのは川田三姉妹の長女、川田正子さんが戦後まもなく歌ったものだったと思います。
川田正子さんといえばいろいろな歌を歌っていますが、代表作は「みかんの花咲く丘」だろうと思います。
この歌は、大人にとっては並木路子さんの「りんごの歌」が戦後を象徴したように、私たち子供にとっては戦意高揚の歌から解放され、まさに戦後を告げる叙情歌だったのです。
この歌も大好きなのですが、それにもまして「花かげ」には私なりの深い思い入れがあるのです。
このイラストは二木紘三さんのページから引用しました
それは、私が生後すぐに母を亡くし、養子に出されたことに関連します。
そのとき、私には二つ年上の姉がいたのですが、その姉は別のところに養女に出され、その消息はず~っと私の知るところではありませんでした。
そんな状況であればこそ、会ったこともない姉の面影をあれこれ想像しながら、この歌に強く惹かれたのでした。
三番の「遠いお里の おねえさま わたしはひとりに なりました」で、いつも私の感傷は頂点に達するのでした。
姉と再会(私にとっては初対面同然でしたが)したのは、私が40歳を過ぎてからでした。
会うことが出来て良かったと思ういい姉でした。
住まいが遠い為、頻繁な行き来こそ出来ませんが、むろんそれ以後、付き合いはあります。
そんなわけで、この歌は40年以上にわたって姉と私とを繋いでいてくれたのでした。
まもなく「桜吹雪の 花かげ」の季を迎えます。
この時期、月や花を見ると、私はこの歌を胸の内で何度も反芻するのです。
そして、この歌に胸キュンとなったかつての自分を思い、新たに胸キュンとなるのです。馬鹿ですね。
私にこの歌を聴かせてくれた川田正子さんは、2006年に他界されたそうです。
あの透明感のある声で聴いた数々の歌、とりわけここに書いた「花かげ」は、私の生涯の歌となりました。
川田正子さん、ありがとう。
蕗谷は本職が挿絵画家、大村は後に東京タイムスの創設者ということがあるにせよ、この歌がそうさせた!のではないかと思うこと、しきりです。
なお、私と同学年の川田正子の「六十周年記念~みかんの花咲く丘」を求めようとしたのですが、五千円を超えた値段なので止めたことを思い出しました。この歌、今は塩野雅子、そして加藤登紀子が歌っているようです。
お触れになっている塩野雅子さんの音源は以下にありますが、私にはやはり、あの川田正子さんの透明感のある歌が懐かしく思い出されます。
http://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_0c8a.html