2、3日続いた微熱も治まり、鼻の調子もよくなったようなので、午前中は農協の野菜売り場をはじめ、3箇所の買い物をこなした。
午後も体調はいいようだし、幸いあまり暑くもなさそうだったので、戸外での肉体労働をした。といっても大したことではない。
バス通りの道沿いに若干の植物群があるのだが、それらがあまり伸びすぎると通行の邪魔になる。だから一年に一回ほど、大体はツツジの花が完全に終わった頃に刈込みをすることにしている。もうとっくにツツジは終わっているのだが、今年はなんやかんやと今日まで延びてしまったのだ。
勢い良く伸びきった植物を伐ってしまうのは可愛そうだし好きではない。しかし、歩道のないバス通りとあって、あまり伸び放題にしておくと、歩行者、とくに自転車で通る人の邪魔になる。上の方の枝は、バスの窓や屋根をかすめるかもしれない。
まだ、バス会社から苦情をいわれたことはないが、電話会社からはこっぴどく叱られたことがある。もう何十年も前、渓流釣りのついでに採ってきたアケビの苗を植えておいたところ、凄まじい勢いで繁殖し、それらが電話の引き込み線を経由して、気づいたら本線にまで幾重にも巻きつき、空中ジャングルの観を呈するに至ったのだ。
さすがに心配になって電話会社に電話をして来てもらった。
アケビの根元の部分は切断したのだが、はるか空中にまで巻き付いた部分はいかんともしがたい。それらの部分は電話会社がクレーン車を動員して除去してくれた。
何がしかの経費の請求は覚悟していたのだが、それはなかった。その代わり、「こんなことが続くようでしたら電話が通じなくなっても知りませんからね」と叱られたわけだ。これは明らかに私が悪い。ゴメンチャイ。
それでアケビが絶滅したわけではなかった。いまでもその残党が思わぬところから這い上がってきて植木に素知らぬ顔で巻き付いたりしている。もちろんこちらは懲りているから、見つけ次第処分することにしている。
さて、今日の作業だが、写真で赤い花をつけているのは5月1日のものである。それに比べれば30cm以上バッサリと刈り込んだ。
写真ではわかりにくいが、上の方から出ていた他の樹の枝も、脚立を使って刈り込んだ。
考えて見れば勝手なもので、私たち人類は植物や動物よりも遅れてやってきたのに、彼らを勝手に統御してきた。彼ら自身のあずかり知らぬ交配を行ってそれらの種を支配し、いまやその遺伝子的な分野にまで干渉しようとしている。自然との共存などという美しい言葉はもはや胡散臭くさえある。
食用であれ、その他の材料や観賞用であれ、私たちは彼らの固有の仕組みの中にまでズカズカと分け入り、それらを資源として徹底的にしゃぶり尽くそうとしているのだ。
どこかの車のホイルキャップがはずれてうちへ飛び込んできた
一方で私たち自身はというと、無政府的に進化する科学技術が生み出した物や情報の無際限な堆積の奔流に押し流されて、自分たち自身がどこへゆこうとしているのかもわからないまま、進歩とか前進という無内容な言葉に翻弄されてさまよい続けている始末なのだ。
オット、単なる植木の刈込み作業から話が飛躍しすぎたようだ。
ひとまずは、刈りこんでしまった箇所に、来年もちゃんと花がびっしりつきますようにと祈っておこう。
午後も体調はいいようだし、幸いあまり暑くもなさそうだったので、戸外での肉体労働をした。といっても大したことではない。
バス通りの道沿いに若干の植物群があるのだが、それらがあまり伸びすぎると通行の邪魔になる。だから一年に一回ほど、大体はツツジの花が完全に終わった頃に刈込みをすることにしている。もうとっくにツツジは終わっているのだが、今年はなんやかんやと今日まで延びてしまったのだ。
勢い良く伸びきった植物を伐ってしまうのは可愛そうだし好きではない。しかし、歩道のないバス通りとあって、あまり伸び放題にしておくと、歩行者、とくに自転車で通る人の邪魔になる。上の方の枝は、バスの窓や屋根をかすめるかもしれない。
まだ、バス会社から苦情をいわれたことはないが、電話会社からはこっぴどく叱られたことがある。もう何十年も前、渓流釣りのついでに採ってきたアケビの苗を植えておいたところ、凄まじい勢いで繁殖し、それらが電話の引き込み線を経由して、気づいたら本線にまで幾重にも巻きつき、空中ジャングルの観を呈するに至ったのだ。
さすがに心配になって電話会社に電話をして来てもらった。
アケビの根元の部分は切断したのだが、はるか空中にまで巻き付いた部分はいかんともしがたい。それらの部分は電話会社がクレーン車を動員して除去してくれた。
何がしかの経費の請求は覚悟していたのだが、それはなかった。その代わり、「こんなことが続くようでしたら電話が通じなくなっても知りませんからね」と叱られたわけだ。これは明らかに私が悪い。ゴメンチャイ。
それでアケビが絶滅したわけではなかった。いまでもその残党が思わぬところから這い上がってきて植木に素知らぬ顔で巻き付いたりしている。もちろんこちらは懲りているから、見つけ次第処分することにしている。
さて、今日の作業だが、写真で赤い花をつけているのは5月1日のものである。それに比べれば30cm以上バッサリと刈り込んだ。
写真ではわかりにくいが、上の方から出ていた他の樹の枝も、脚立を使って刈り込んだ。
考えて見れば勝手なもので、私たち人類は植物や動物よりも遅れてやってきたのに、彼らを勝手に統御してきた。彼ら自身のあずかり知らぬ交配を行ってそれらの種を支配し、いまやその遺伝子的な分野にまで干渉しようとしている。自然との共存などという美しい言葉はもはや胡散臭くさえある。
食用であれ、その他の材料や観賞用であれ、私たちは彼らの固有の仕組みの中にまでズカズカと分け入り、それらを資源として徹底的にしゃぶり尽くそうとしているのだ。
どこかの車のホイルキャップがはずれてうちへ飛び込んできた
一方で私たち自身はというと、無政府的に進化する科学技術が生み出した物や情報の無際限な堆積の奔流に押し流されて、自分たち自身がどこへゆこうとしているのかもわからないまま、進歩とか前進という無内容な言葉に翻弄されてさまよい続けている始末なのだ。
オット、単なる植木の刈込み作業から話が飛躍しすぎたようだ。
ひとまずは、刈りこんでしまった箇所に、来年もちゃんと花がびっしりつきますようにと祈っておこう。
310万の同胞の慟哭が聞かれるその八月の前に、憲法解釈の閣議決定をすませてしまおうとの安倍クンの悪智恵。
しかしその企みを見抜かれた天皇さんと美智子さんは、六月という時期に、戦没慰霊のために沖縄に行かれた。
対馬丸に乗っていた疎開学童と同年の天皇、美智子さん、そして小生は、今がどんな状況かよく判る。
W杯で熱狂させて「一億一心」にさせようとの安倍クンの思惑は敗退で少し狂ったが、こうなったら一気に突っ走ろうと七月1日には戦争への道へと舵を切るそうです。