六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

菊との別れ

2011-11-30 15:32:39 | ラブレター
 しばしとはいえ、愛でたものとの惜別には心残りがある。
 などと意味ありげな書き方をすると、菊という女性との別れのようである。
 番町皿屋敷のお菊は類まれな女性であったとのことだが、そんな女性とならぜひ出会いたいし、また、別れたりはしたくない。
 幸いわが家には、割れて困るような10枚揃いの皿などないから、お菊との悲惨な別れなどしなくて済むし、彼女も井戸の中で毎夜皿を数えなくとも済むことだろう。

 この話、知ってる人は日本人の半分を割ったのではないだろうか。

    

 枕が長くなったが、ここでいう菊は単純に花の菊である。
 いつの間にか我が家に住みついた何の変哲もない黄色単色の小菊であるが、私のお気に入りである。
 この菊、昨年は花の付きが遅く、しかも少ししか咲かず、ずいぶん寂しい思いをしたものである。

 で、今年はというと、10月の終わりに、ポツポツと蕾の先端に黄色いものが見えはじめたのだが、それを見届けてから中国への旅立ったのだった。
 一週間程して帰国したら、それを待ちわびていたかのように一斉に開花し始めた。いつもの年にまして馥郁とした香りを伴ってである。
 しかもその花の数がなんと昨年の数倍にもおよぶ多さで、夜間でもその一角が明るいほどである。
 昨年とは打って変わったその様相に私はとても満足している。
 齢を重ねるとささやかなことにも過剰な喜びを覚えるのかも知れない。

         

 以来、一ヶ月にわたって咲き誇り、楽しませてくれてはいるが、やがては霜にうたれ、色褪せるであろう。
 その前にと感謝を込めてその終焉前の爛熟ぶりをカメラに収めた。

 ところで、なぜ昨年と今年ではこんなに花の量や質が違うのだろう。特別なことは何もしていないのにである。
 そういえば今年は、わが家では桜ん坊や琵琶など、実のなるものが不作であった。そうした不作の要因が菊にはプラスに作用したのだろうか。
 自然のなせる技はわからない。
 自然科学者ならすべて説明しおおせるとも思えない。

         

 さて、来年のお菊、いや菊は、どんな様相で私の前に現れるだろうか。
 そして私は、どんな状況下でそれを迎えることができるのであろうか。
 え?その菊が私の霊前に供えられている可能性がある?
 もちろんそれもありうる。
 いずれにしろ、またまた伸びやかに咲いて欲しいものである。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 有無変転 建てたり取り壊し... | トップ | 図書館と美術館との間の南京... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。