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解きほぐされる言葉たち 多和田葉子『ボルドーの義兄』を読む

2013-01-27 01:31:23 | 書評
 多和田葉子さんの2009年の作品『ボルドーの義兄』を読了しました。
 アフォアリズム風の短い断章を連続させ、そしてそれらの断章ごとに時空を自由に行き来しながら、全体としては一編の小説にまとめあげている実験的なものです。また、それぞれの断章は、それ自身である種の完結性を持っているともいえます。それらの断章はあるときは詩的であり、またあるときは寓話的であってさまざまな含蓄を味わえる仕組みになっています。
 
  視覚的に目を引く点は、それぞれの断章には漢字一文字のタイトルが付されているのですが、それらはいわゆる裏文字(=鏡文字)になっていて、普通はよく見慣れた文字が異化され、ある種違和感を持った他形のものとして立ち現れてくることです。

             

  これらの中にも、彼女の言葉や文体に関する常に新しい試みが現れているといえます。
 こうした漢字の用い方には、この小説の中でも述べられている「漢字をときほぐすこと」による意味やイメージの展開が実践されているようです。
 それはあたかも、私たちにとっては自明になっている日本語や、表意文字としての漢字をまさに目の前でときほぐすパフォーマンスともいえるものです。
 
  こうした方法は、彼女自身が日本語やドイツ語を駆使しながら作品を発表してゆくなかで、日本語の相対化、あるいは一度その外部に出てからの日本語の考察という経験に伴って可能になったものだと思います。

         

  この本の表紙には、写真で見ていただくとお分かりのように、「力」「企」「形」という三文字が裏文字(=鏡文字)で掲げられ、それぞれの字にはこんな言葉がルビ風に配置されています。

       言葉の不思議なチカラ。
       文字の美しいタクラミ。
       小説の見たこともないカタチ。

  これらは、多和田さんがこの小説で目指したものをよく表しているように思います。

  そういえば、芥川賞を最年長でとった黒田夏子さんの作品も、あえて横書きにするなど(水村美苗さんもその作品『私小説』で行っていました)、「言葉」のマテリアルな力を意識した実験的な作品だそうですね。いま手がけていることどもが一段落したら、じっくり読んでみるつもりです。



 

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