若松孝二監督の『実録連合赤軍』を観た。
私はこれを、映画の良否の問題として語ることは出来ない。「作品」として、距離を保つことが困難なのだ。
むろん私は当事者ではないし、年齢的にもほぼ一世代の隔たりがある。にもかかわらず、どこかで、しかも逃れようがない倫理的な面で、ある種の繋がりを感じてしまうのだ。それは、私の側からの一方的な関連づけかもしれないのだが。
映画は大きく分けると三部に別れる。まさに私の時代であった60年初頭から、様々な経緯を経て連合赤軍が形成されるまでの過程、ついで、彼らの武装路線が具体化し、山岳アジトにこもっての軍事訓練といわゆる「総括」の場面、そして最後の浅間山荘での銃撃戦とその終結までである。
これらの中で、もっとも重いのは真ん中の山岳アジトでのシーンであろう。若松監督も、この部分を丁重に撮っているように見える。
「共産主義的主体の形成」の名のもとに行われる「総括」は次第に凄惨なものとなり、ついにはリンチ殺人に至る。解放の名のもとでの人間の根底的な否定!
ここには、この時代の「反スターリニズム」の限界が集約されているように思う。彼らは、既成の左翼、とりわけ革命主体を僭称する共産党とその国際的なバックとしての旧コミンテルン体制を、抑圧の体制に過ぎないとして切って捨て、その前衛の座に自分たちが付くことを夢見る。
しかし、彼らは既成の左翼をどこで切ったのか、既成の左翼が抑圧の体制であることをどの次元で批判したのか。
その戦術的な曖昧さ、党組織の官僚的な硬直化、組織成員の革命主体としての弱さ、そんなレベルでそれを批判し、乗り越え得たと思ってしまったのではないだろうか。
確かに既成の左翼は、上に述べたレベルでも十分に批判さるべきだったろう。しかし、にもかかわらず、彼らが無謬の前衛党を名乗り続けることが出来たのは、その背後に彼らなりの確信があったからである。
いわく、「世の中には唯一の真理、唯一の正義があり、それは常に既にわれわれのもとにある」という形而上学ともいえる思想的なバックである。
いわゆる新左翼は、このレベルでの批判を展開し得なかった。そして、そこが抜けていたからこそ、自らもまた、「より真面目でストイックなスターリニスト」たらざるを得なかったのだ。
彼らが、既成スターリニストの思想的バックボーンを以下のようにさらに強化した。
いわく、「世の中には唯一の真理、唯一の正義があり、それは常に既にわれわれのもとにある。したがって、そのためには自他共に死を厭わず」。
つまり、そのためには、人を殺しても、また自らが死すことも恐れないということである。
映画の中での、「共産主義的主体の形成」という総括の題目は、上に述べたテーゼを実践しうる主体の形成ということに他ならない。
もとよりこれは、旧ソ連邦などにもあったものであり、スターリンの支配下で、その中央委員の三分の二が粛清(処刑)されているという歴史的事実があり、彼ら連赤のそれは、そのカリカチュアライズでもあったといえるかもしれない。さらに、その連赤のカリカチュアライズとして、オウム真理教を数え上げることも出来るだろう。
この時点で、彼らを批判することはある意味では容易であろう。しかし、それを単に常軌を逸した挙動であるとして私たちの歴史から抹殺することは二重の意味で許されない。
ひとつは、彼らが批判しようとして自らそこへと到達したスターリニスト的原理主義は、様々に形を変えて現存しているし、それが情勢の動向に従って、容易に牙をむくことがあるからだ。いわゆる「全体主義」的趨勢は、人の歴史に張り付いたものとしてあると思った方がよい。
いまひとつは、人はパンのみに生きるにあらずとして、何かを志向しようとする若者たちはいつの世にもいるものであり、それ自体を笑い飛ばすことは出来ないということだ。
連赤もまた、当初は閉塞した世界に異議申し立てをし、解放を志向する若者たちの集団であった。にもかかわらずそれ自身が、まさに抑圧や人間の根底的な否定に至ってしまうのは、歴史のアイロニーという他ない。これは重い。
虚しく山中に埋められた若者たち、あるいはその周辺で命を散らしていった人たち、私はなにがしかその責めを担った者として、彼らに深甚な合掌を捧げる。
<追記>映画の感想らしいことを付け加えれば、森 恒夫役と永田洋子役が好演。容赦なく総括を迫る永田が、森と一緒になり、事実上の夫であった坂口と別れる際の、ほんのわずかな表情の崩れの中に、何かしらホッとしたものを感じた。
私はこれを、映画の良否の問題として語ることは出来ない。「作品」として、距離を保つことが困難なのだ。
むろん私は当事者ではないし、年齢的にもほぼ一世代の隔たりがある。にもかかわらず、どこかで、しかも逃れようがない倫理的な面で、ある種の繋がりを感じてしまうのだ。それは、私の側からの一方的な関連づけかもしれないのだが。
映画は大きく分けると三部に別れる。まさに私の時代であった60年初頭から、様々な経緯を経て連合赤軍が形成されるまでの過程、ついで、彼らの武装路線が具体化し、山岳アジトにこもっての軍事訓練といわゆる「総括」の場面、そして最後の浅間山荘での銃撃戦とその終結までである。
これらの中で、もっとも重いのは真ん中の山岳アジトでのシーンであろう。若松監督も、この部分を丁重に撮っているように見える。
「共産主義的主体の形成」の名のもとに行われる「総括」は次第に凄惨なものとなり、ついにはリンチ殺人に至る。解放の名のもとでの人間の根底的な否定!
ここには、この時代の「反スターリニズム」の限界が集約されているように思う。彼らは、既成の左翼、とりわけ革命主体を僭称する共産党とその国際的なバックとしての旧コミンテルン体制を、抑圧の体制に過ぎないとして切って捨て、その前衛の座に自分たちが付くことを夢見る。
しかし、彼らは既成の左翼をどこで切ったのか、既成の左翼が抑圧の体制であることをどの次元で批判したのか。
その戦術的な曖昧さ、党組織の官僚的な硬直化、組織成員の革命主体としての弱さ、そんなレベルでそれを批判し、乗り越え得たと思ってしまったのではないだろうか。
確かに既成の左翼は、上に述べたレベルでも十分に批判さるべきだったろう。しかし、にもかかわらず、彼らが無謬の前衛党を名乗り続けることが出来たのは、その背後に彼らなりの確信があったからである。
いわく、「世の中には唯一の真理、唯一の正義があり、それは常に既にわれわれのもとにある」という形而上学ともいえる思想的なバックである。
いわゆる新左翼は、このレベルでの批判を展開し得なかった。そして、そこが抜けていたからこそ、自らもまた、「より真面目でストイックなスターリニスト」たらざるを得なかったのだ。
彼らが、既成スターリニストの思想的バックボーンを以下のようにさらに強化した。
いわく、「世の中には唯一の真理、唯一の正義があり、それは常に既にわれわれのもとにある。したがって、そのためには自他共に死を厭わず」。
つまり、そのためには、人を殺しても、また自らが死すことも恐れないということである。
映画の中での、「共産主義的主体の形成」という総括の題目は、上に述べたテーゼを実践しうる主体の形成ということに他ならない。
もとよりこれは、旧ソ連邦などにもあったものであり、スターリンの支配下で、その中央委員の三分の二が粛清(処刑)されているという歴史的事実があり、彼ら連赤のそれは、そのカリカチュアライズでもあったといえるかもしれない。さらに、その連赤のカリカチュアライズとして、オウム真理教を数え上げることも出来るだろう。
この時点で、彼らを批判することはある意味では容易であろう。しかし、それを単に常軌を逸した挙動であるとして私たちの歴史から抹殺することは二重の意味で許されない。
ひとつは、彼らが批判しようとして自らそこへと到達したスターリニスト的原理主義は、様々に形を変えて現存しているし、それが情勢の動向に従って、容易に牙をむくことがあるからだ。いわゆる「全体主義」的趨勢は、人の歴史に張り付いたものとしてあると思った方がよい。
いまひとつは、人はパンのみに生きるにあらずとして、何かを志向しようとする若者たちはいつの世にもいるものであり、それ自体を笑い飛ばすことは出来ないということだ。
連赤もまた、当初は閉塞した世界に異議申し立てをし、解放を志向する若者たちの集団であった。にもかかわらずそれ自身が、まさに抑圧や人間の根底的な否定に至ってしまうのは、歴史のアイロニーという他ない。これは重い。
虚しく山中に埋められた若者たち、あるいはその周辺で命を散らしていった人たち、私はなにがしかその責めを担った者として、彼らに深甚な合掌を捧げる。
<追記>映画の感想らしいことを付け加えれば、森 恒夫役と永田洋子役が好演。容赦なく総括を迫る永田が、森と一緒になり、事実上の夫であった坂口と別れる際の、ほんのわずかな表情の崩れの中に、何かしらホッとしたものを感じた。
鶴見さんからのハガキご転送ありがとうございました。
いきなり私の名前があったのでびっくりしました。
ご解読(鶴見さん、失礼!)のものを上に掲載していただきましたが、私のものも怪しげな「翻訳」ですから、いずれが正確かは分かりかねると言うところでしょうか。
いずれにしてもお目に止めていただいたようで、今後の勉強の励みになります。
結果として、仲立ちをいただいた只今さんに感謝しています。
「全体性にひきとられない考え方にマルクスはわずかに気がついていた。そのかかわりを『資本論』そのものに見出すそのさぐりかたに共感をもちます」。
ところでハガキの消印は十二月二十五日なのに、届いたのは二十八日と3日も要している。これも郵政改革とやらの一環なのでしょうか。