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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

平和ボケの春の散策から

2022-03-26 15:14:50 | 写真とおしゃべり
 3月25日、クリニックへ行ったついでに少し足を伸ばして散歩。
 
 岐阜の桜の開花宣言は3,4日前だったが、わが家の近くのマイ・お花見ロードはまだ2分咲きぐらいか。よく咲いてる枝でこの程度。

          

 この辺りはどこもかしこも建築ラッシュ。この写真の向こうの黒い家も、手前の建築中の箇所も、つい最近までは田んぼだったところ。
 今や田んぼは希少価値で、建物群に取り巻かれ、不可欠な取水などもままならないのではと心配する。

          

 そんななか、やはり建物群に取り巻かれ休耕田となっている箇所にきれいな小花の絨毯が。白いのはいわゆるぺんぺん草(なずな)だが、赤い花がよくわからない。
 他の草がほとんど生えていないのは、休耕してるけどそれなりに手入れされているのだろう。

              
              

 近くにあるサンシュウの木がびっしり花をつけていた。これは宮崎県の民謡、「稗搗(ひえつき)節」の一番に出てくる。
 この民謡は椎葉村に伝わるもので、その背景には源氏の若武者、那須大八郎(「平家物語」屋島の戦いで、平家方の差し出した扇を射抜いたとされる、源氏方の弓の名人・那須与一の弟)と平家の落人・鶴富姫のラブロマンスがある。

              

 それについてのWikiの説明ではこうなっている・
 「椎葉村に伝わる平家の落人伝説では、那須大八郎(本名:那須宗久)は平家残党を追討に鎌倉から日向国椎葉村へ派遣されたが、残党には平家再興の意思はなく、平和に暮らしているのを見た。そこで彼は追討せず、残党は討伐されたと鎌倉へは報告をして、そのまま後椎葉村に留まった。滞在中、大八郎は鶴富姫を寵愛し、彼女は妊娠するが、大八郎は鎌倉帰還の命令を受け、男の子なら連れてくるように、女の子ならここで育てるようにといって、太刀と系図を与えて鎌倉へ帰還した。その後、鶴富は女子を生んだという」

   https://www.youtube.com/watch?v=dXsIq-9FXhk

 むかしは広く知られた物語であったが、民謡そのものがあまり聴かれなくなった今、知る人も少なくなったようだ。

 寄り道が長くなった。
 これらを観た後、実際に寄り道をして、例年つくしを採るスポットへ足を運ぶ。実は一週間ほど前にも覗いたのだが、その折はまだ小さくて採るのもはばかられた。今年は、例年よりうんと遅い。
 今回は、逆にやや穂が開き過ぎの感があったが、若い穂のほろ苦さもつくしの味覚だが、茎のシャキシャキ感もその味わいとひとつかみ余りを採ってきた。余り採りすぎるとはかま取りが大変なのだ。
 で、一応掃除したものがこれ。

          

 最後の写真は、わが家の終わった桜の花。ソメイヨシノのようにチリハラホロとは散らないが、その代わり、これらが桜桃になる。実が付きはじめたら、ヒヨやムクなどの鳥との攻防戦だ。要らなくなったCDを十数枚ぶら下げて防衛体制を整える。

            

 平和な話である。
 戦争の現実には手足が出ないし、ウクライナ支援の過剰なあり方にもなんかいやらしいものを感じてしまうしで、ここしばらくは平和ボケで過ごすつもり。

 


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