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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

大西巨人氏と原子力発電について

2014-03-14 03:39:55 | 日記
 大西巨人氏が亡くなりました。
 97歳というから大往生といっていいでしょう。
 明日あたりから、新聞などのメデュイアでは氏の追悼記事が種々掲載されるでしょうね。

 氏については、さしていうべきことはもちませんが、一昨年の一月、同人誌の先達から、大西氏が書いた短い文章が送られてきて、どう思うと感想を求められたことがありました。
 それに関して私は、当時、原発に賛成していた吉本隆明氏と絡めて批判的な文章をブログに載せたことがあります(思えば二人とも故人になりましたね)。
 それについては後で紹介するとして、その折に触れた大西氏の文章を再録してみようと思います。


        


   原子力発電に思うこと       大西巨人

 このたびの東日本大震災で、結果として、私の知人たちがおおむね無
事であったことは、ひとまず喜ばしい現象であった。それに引きつづき
福島第一原発における重大な事故が発生しており、原子力発電の是非が
論じられているけれども、これについてはなお慎重な論議が必要である
と思う。
 これまで私は、原子力発電に反対するものであったが、このたびの天
変を経験することによって、賛成の立場に転じた。即ち現在の私は、た
とえば吉本隆明が従来原子力発電に賛成であったのと同じく――あるい
はより強くーー原子力発電に賛意を抱いているのである。
 福島第一発電の異変は、地震及び津波という天災によって招来せられ
た。仮にその関係が実は逆であり、今回の天災が原子力発電の結果とし
て惹き起こされものであることが証明せられたとするならば、私の反対
の考えはなお一層強まるであろう。
 原子力発電が人類にもたらす災厄は、いっそ不可避的な結実である。
その現実的な発生を目の当たりにしない限りは、人類は原子力発電の実
相を知りえなかったであろう。人類は、原発事故という不可避的な事態
を経ることによって、新たなる次元へと進み得るかもしれぬと私は考え
る。
 言うまでもなく、それは多くの人々にとって現象的・物理的には極め
て悲惨な状況となるであろう。しかしながら、その望ましからぬ未来の
ありようもまた、人類にとって必然の一局面たらざるを得ないと私は考
えるのである。
                      (以上全文)


        


 この出典は雑誌『メタポゾン』2011夏号241ページで、その先達から抜き刷りで送ってもらったものに依りました。                   
 もともとは大手の文芸誌のために書かれたもののようですが、短すぎて没になったようです。内容絡みでの没ではないようです。

 人類がここまで来た以上、とことんゆくところまでといったやや斜に構えたシニカルな発想とも見受けられます。とりわけ、原発事故までは反対であったのが、その事故後、賛成に転じたというあたりが、そして後半の、「その望ましからぬ未来のありようもまた、人類にとって必然の一局面たらざるを得ない」のかどうかあたりが鍵になりそうです。

 今回はこれ以上は書きませんが、当時の私が書いたそれへの批判的見解は以下をご参照下さい。

 「人類」という虚構 吉本・大西氏の原発容認論を巡って
 http://pub.ne.jp/rokumon/?daily_id=20120121

 なにはともあれ、氏の文学上の業績をたたえ、その死を悼みたいと思います。     
合掌

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