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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

李香蘭(山口淑子)と川島芳子のことなど

2014-09-13 18:07:37 | 想い出を掘り起こす
 これは、アメリカに住む、私の年長の友人のブログに付けたコメントを一部加筆編集したものです。


 女優で歌手であった中国名・李香蘭、日本名・山口淑子さんが、94歳でなくなりました。
 
 私は戦時中の幼少時以来、ラジオからの彼女の澄んだ声が、『蘇州夜曲』や『夜来香』(イェライシャン)を歌うのを聴いて育ちました。

 私は、彼女が中国の人だとばかり思っていました。しかし、それは私ばかりではなく、当時の日本人の大半がそうだったのでした。

               

 そればかりか、中国でもそう思われていたようで、敗戦後、中国人のくせに利敵行為をしたと疑われ軍事裁判にかけられそうになったのですが、日本人だとわかり保釈されたというエピソードがあります。
 したがって、戦後にはなってからやっと、実は彼女は日本人・山口淑子だったことが広く知られるようになったのです。 
 
 
 この人と同様に謎であったのが、男装の麗人といわれた川島芳子さんこと、清朝の一族で中国名・愛新覺羅顯玗で、文字通り男装を好み、日本名の通名で活躍しました。彼女がどの程度の役割を果たしたのかはよくわかっていないようですが、日本軍の大陸支配や満州国建国に協力的であったことは事実のようです。
 そしてこの人の場合は、1948年、国民党軍によって、漢奸(国家反逆罪)として銃殺刑に処されています。

               
 
 最近知ったのですが、この二人はとても仲が良くて、姉妹のように振舞っていたそうです。そしてこれも最近知ったのですが、川島芳子の墓は、国民党政府からもらい下げた遺骨ともども、川島家の墓所がある、長野県の松本市にあるようです。
 
 戦争に翻弄された女性としての共通点が二人を強く結びつけたのでしょうが、長く生きた山口淑子さんが川島芳子さんのことを晩年、どのように偲び続けたのだろうかと空想しながら、私の幼少時に、日中を股にかけて活躍した当時の謎の女性二人のことに改めて思いを馳せるのでした。


【おまけ】https://www.youtube.com/watch?v=fZCHk-McCws 

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9 コメント

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時代の歯車がまたひとつ (くろあしまる)
2014-09-16 21:58:35
動いて静かな音をたてた気がします。
 昭和40年代の参議院全国区の選挙が行われた時にコールタールで黒光りしている電柱に山口淑子(李香蘭)さんのポスターが貼られていたことを思い出しました。
ポスターの山口淑子さんは今で言うところの「美魔女」でした。確か、宮田輝さんや市川房枝さんらと同期の当選だったと思います。
 テレビ番組「3時のあなた」で放送された日本赤軍の重信房子とのインタビューも驚いたものでした。

生きていた頃のことを知っている人が亡くなると自分の過去の記憶が固まっていくようで寂しいですね。
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『間諜X27』 (杳子)
2014-09-16 23:07:52
子供の頃、『間諜X27』という映画をみました。確かNHK教育か何かでやっていたのだと思います。ほとんど忘れてしまったけど、ラストシーンは鮮明に覚えています。マレーネ•ディートリッヒ演ずる「間諜X27」が銃殺される間際、彼女の銃殺に兵士が抗議した騒ぎの隙に、彼女がストッキングを直して口紅をさっと塗り直したのです。
でも、じっさいに銃殺された川島芳子さんは、当然そんなふうじゃなかっただろうと思います。もっとあっけなくて、ひどいものだっただろうと思います。
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言い得て妙 (六文錢)
2014-09-16 23:59:36
 「時代の歯車がまたひとつ動いて静かな音をたてた」は言い得て妙ですね。
 確かに山口淑子さんの死は、エポックメーキングではないにしろ、あの時代をかすかに知る私にとっては、ひとつの時代の推移が静かに感じられる出来事でした。
 おしゃるように、「3時のあなた」の頃には、重信さんとのインタビューも行っていますし、当時の金日成主席とも会っていますね。

 国会議員になった時には、正直言って、「何で自民党から」と思ったのですが、今から振り返れば、田中角栄率いいる当時の自民党は現在の同党よりはるかに牧歌的で、政界には「保革対立」という今では死語となった言葉が生きていた時代でしたね。

 いろんな分野から引退されてから、かなり経ってからの悲報でしたので、改めてはっと胸を衝かれた思いがいたしました。



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ある歴史の終焉に立ち会う思いです。 (六文錢)
2014-09-17 00:31:07
 古い人間ではありますが、『間諜X27』は未見で、その存在も知りませんでした。
 よく記憶していらっしゃいましたね。
 検索して以下を見つけました。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=5022

 ところで川島芳子さんですが、その存在そのものがミステリアスだったせいか死後にもその残響はあり、今世紀に入ってもなおかつ、実は処刑されていなかったという生存説が存続し続けています。

 なお、ネットでこんな記事も見つけました。

 「日中関係筋が26日明らかにしたところによると、中国清朝の元王女で「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた川島芳子の実妹である愛新覚羅顕さんが死去した。95歳だった。死亡した日時や場所、死因は不明。
 1918年、清朝粛親王の第十七女として旅順(現・遼寧省大連市)で生まれた。中国で生存する「清朝最後の王女」と呼ばれた。(共同)[2014年5月26日22時29分]
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昔、中国語を話した日本女性 (Thomas Penfield)
2014-09-17 10:37:17
八十数年前の満洲には不思議な日本人女性が一杯居ました。日本人男性は漢語が苦手なのばっかりだったけど、僕の母のまわりには漢語をべらべら話す日本女性がずいぶん居ました。李香蘭にしろ、川島芳子にしろ突出しては居たけど、好例です。彼らは国境線を乗り越えていたし、漢族と関係をもつ人たちが多かった。
母だって大正期に日本の大学を出た女性だったから。
要するに、あのころの旧体制的な軍閥下の女性蔑視社会からはみ出ていたのでしょうね。
皆さん消えてしまったけど。
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やはりそうでしたか。 (六文錢)
2014-09-17 11:58:16
 なんとなくそんな感じがしていたのですが、このトーマスさんのコメントでなるほどなと思いました。
 大正デモクラシーのなかで、ある種のリベラリズムも芽生え、また、日本で最初のフェミニズム運動などが見え始めた折、そうした女性たちは旧弊な本土社会から飛翔して、大陸にその自己実現の場を求めたのかもしれません。
 最もそれは戦争の激化と軍部の統制の強化のなかで摘み取られてゆくことが多かったのですが…。
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お久しぶりです。 (maotouying)
2014-09-17 20:30:03
ヘロヘロになって松本まで帰りました。今回はビザ延長のためだけで、1週間で中国に戻ります。

山口淑子さんが亡くなったのはハルビンで知りましたが、ちょうどその前日、彼女が子どものころ暮らしていた撫順の永安台という旧日本人居住区をぶらぶらしていました。今もそのころの面影があちこちに残っている地域です。

川島芳子という名前は、松本ではつとに有名で、私の友人のお母さんは、川島芳子の女学校の後輩にあたり、彼女の姿をよく覚えているそうです。毎日お供を連れて、馬に乗って学校に通っていたのでとても目立ったからです。私はこれから、その女学校の前を通って、この地のねぐらとしている土蔵まで帰ります。

あまりに符号が一致してしまったので、ついひとこと。今年の学校ツアーも無事に終わり、今夜はようやくゆっくり寝られます。なつめがちょっと遠いところに行っていて、今回は会えないのが残念ですが。
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なるほど (六文錢)
2014-09-17 22:36:29
 お疲れ様でした。
 「あまりに符号が一致してしまったので」はまさにそうですね。
 私も、旧満州を生徒たちと旅してらっしゃったこと、そして日本でのご本拠・松本を思い、あ、共通点があるなあと思いながら書いていました。
 なつめに逢えないままのとんぼ返りですか。それはちょっとさみしいですね。
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「七人の侍」歌入りバージョン (六文錢)
2014-09-17 22:45:01
 このブログをお読みいただいた大先輩のOさんから、黒澤明の映画、『七人の侍』の音楽を担当したのは早坂文雄だが、その音楽に歌入りバージョンがあり、それを歌っているのが山口淑子さんだとのご教示を頂きました。
 歌入りのものがあることは知っていて、昔聴いたことがあるような気もするのですが、それを歌っていたのが山口淑子さんだとは知りませんでした。
 例の澄み切った声で、朗々と歌いあげています。

 https://www.youtube.com/watch?v=jW8TyYKyVw4
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