1950年代の中頃、私はややヒッキー気味に受験勉強をしていた。
私に許された条件は、自宅(岐阜市)からの通学が可能な公立大ならということであった。こうなると対象は絞られてくる。
商業高校に在校していた私にとっていちばん厳しかったのは、公立大の受験科目が多いことであった。英語、国語のほかに、数学2科目、理科2科目、社会2科目をクリアーしなければならなかった。
商業科というのは、簿記、そろばん、商業法規、商業実践などの授業があり、当然、いわゆる普通科目は少ない。
それだけにほぼ、独学の覚悟で望まなければならなかった。
受験勉強の徒然を慰めるのはラジオであった(TV放送は開始されつつあったが、まだ普及してはいなかった)。
チューニングの悪いそれを、マジックアイという猫の目のような指標を頼りに電波を拾い、主に音楽番組を聞いていた。そこで出会ったのがいわゆる洋楽の世界であった。
https://www.youtube.com/watch?v=REPqry3tBUE
そんなチューニングの途中、モスクワ放送や北京放送に行き当たることもあった。途切れ途切れの音声であったが、そこで「インターナショナル」のメロディも覚えた。
それらの局からは、時折、4桁ほどの数字が無機的に読み上げられることがあった。おそらく、当時の国際共産主義組織、コミンフォルムからの司令か情報の伝達だったのだろう。
もちろん、何のことかはさっぱりわからなかったが、どこかで乱数表を片手に、この数字を懸命にメモしている人がいるはずだった。
5738 4691 3974 2714 ・・・・ ・・・・と延々続く数字の羅列は、とてもシュールなBGMであった。
https://www.youtube.com/watch?v=O0gMQN9BXgo
音楽に戻ろう。敗戦後10年が経過して、戦時中ははばかられていた軍歌以外の音楽がこの国へ戻ってきた。とりわけ敵性音楽として禁じられていた欧米の音楽が、ジャズやポピュラーをはじめ雪崩をうって入ってきた。
世界にはこんなにたくさんの音楽があるのだと改めて思ったものだ。
その頃、ラジオから流れてくる歌で私が好きだったのは、ダイナ・ショアが歌って一世を風靡した「青いカナリア」だった。軽快なうちにも哀愁を含んだこの歌はすっかり私のお気に入りになった。
やがて、雪村いずみがそれをカバーしたものも流れ始め、彼女の澄んだ高音がよく合っていると思い、これも好きになった。
時を経るに従い、それらも遠い思い出の彼方に去っていったのだが、最近、ひょんなことでそれのさらに新しいカバーに巡り合うこととなった。ほんとうに偶然で、「Blue Canary」とあったのでクリックして聴きだしてぶっとんだ。
https://www.youtube.com/watch?v=04ps8n4Hlw4
歌っているのはFRANK CHICKENSという2人の女性、よく見たら1984年とあるからもう30年以上前だが、この存在は知らなかった。コミックソングの部類で、後半の盛り上がりはカナリアというより鷹か鷲のようですらある。
すごいものを聴いてしまった。
まさに、「お母さん、僕の青いカナリアはどこへ行ってしまったのでしょう」だ。
https://www.youtube.com/watch?v=p9q3-iW2DE0
変なものをお聴かせしたついでにもう一つ、お見せしよう。こちらは口パクらしいがなかなか味がある。このグループ、私が知らないだけでけっこう世界的に有名らしい。
このグループの紹介も貼り付けておこう。
http://slavasnowshow.jp/
さて、お口直しに、やはりその頃、ラジオから流れていて、私の好きだった曲、アマリア・ロドリゲスの「暗いはしけ」も聴いてもらおうか。ご存知、ポルトガルのファドの名曲だが、どういうわけかこの雰囲気は後年好きになった浅川マキにつながってくる。音楽的には随分違うと思うのだが、私の中ではいつもくっついて連想されるのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=tRsuuebZmm4
そんなわけで、浅川マキのライブに、名古屋栄のJazz inn LOVELYへ行ったのは2009年の1月17日だった。ひっきりなしに吸う彼女の煙草の煙が顔面にかかる距離でその歌を聴いた。そしてその翌年の同じ日、やはり、Jazz inn LOVELYのライブのために来ていた彼女は、ホテルで絶命しているのが発見されたのだった。
早いもので、あれからもう5年以上、まもなく6年だ。こっちも歳をとるはずだ。
おやおや、またまたどんどん脱線だ。
というわけで、「青いカナリア」は私の青春の歌であるというお話。
私に許された条件は、自宅(岐阜市)からの通学が可能な公立大ならということであった。こうなると対象は絞られてくる。
商業高校に在校していた私にとっていちばん厳しかったのは、公立大の受験科目が多いことであった。英語、国語のほかに、数学2科目、理科2科目、社会2科目をクリアーしなければならなかった。
商業科というのは、簿記、そろばん、商業法規、商業実践などの授業があり、当然、いわゆる普通科目は少ない。
それだけにほぼ、独学の覚悟で望まなければならなかった。
受験勉強の徒然を慰めるのはラジオであった(TV放送は開始されつつあったが、まだ普及してはいなかった)。
チューニングの悪いそれを、マジックアイという猫の目のような指標を頼りに電波を拾い、主に音楽番組を聞いていた。そこで出会ったのがいわゆる洋楽の世界であった。
https://www.youtube.com/watch?v=REPqry3tBUE
そんなチューニングの途中、モスクワ放送や北京放送に行き当たることもあった。途切れ途切れの音声であったが、そこで「インターナショナル」のメロディも覚えた。
それらの局からは、時折、4桁ほどの数字が無機的に読み上げられることがあった。おそらく、当時の国際共産主義組織、コミンフォルムからの司令か情報の伝達だったのだろう。
もちろん、何のことかはさっぱりわからなかったが、どこかで乱数表を片手に、この数字を懸命にメモしている人がいるはずだった。
5738 4691 3974 2714 ・・・・ ・・・・と延々続く数字の羅列は、とてもシュールなBGMであった。
https://www.youtube.com/watch?v=O0gMQN9BXgo
音楽に戻ろう。敗戦後10年が経過して、戦時中ははばかられていた軍歌以外の音楽がこの国へ戻ってきた。とりわけ敵性音楽として禁じられていた欧米の音楽が、ジャズやポピュラーをはじめ雪崩をうって入ってきた。
世界にはこんなにたくさんの音楽があるのだと改めて思ったものだ。
その頃、ラジオから流れてくる歌で私が好きだったのは、ダイナ・ショアが歌って一世を風靡した「青いカナリア」だった。軽快なうちにも哀愁を含んだこの歌はすっかり私のお気に入りになった。
やがて、雪村いずみがそれをカバーしたものも流れ始め、彼女の澄んだ高音がよく合っていると思い、これも好きになった。
時を経るに従い、それらも遠い思い出の彼方に去っていったのだが、最近、ひょんなことでそれのさらに新しいカバーに巡り合うこととなった。ほんとうに偶然で、「Blue Canary」とあったのでクリックして聴きだしてぶっとんだ。
https://www.youtube.com/watch?v=04ps8n4Hlw4
歌っているのはFRANK CHICKENSという2人の女性、よく見たら1984年とあるからもう30年以上前だが、この存在は知らなかった。コミックソングの部類で、後半の盛り上がりはカナリアというより鷹か鷲のようですらある。
すごいものを聴いてしまった。
まさに、「お母さん、僕の青いカナリアはどこへ行ってしまったのでしょう」だ。
https://www.youtube.com/watch?v=p9q3-iW2DE0
変なものをお聴かせしたついでにもう一つ、お見せしよう。こちらは口パクらしいがなかなか味がある。このグループ、私が知らないだけでけっこう世界的に有名らしい。
このグループの紹介も貼り付けておこう。
http://slavasnowshow.jp/
さて、お口直しに、やはりその頃、ラジオから流れていて、私の好きだった曲、アマリア・ロドリゲスの「暗いはしけ」も聴いてもらおうか。ご存知、ポルトガルのファドの名曲だが、どういうわけかこの雰囲気は後年好きになった浅川マキにつながってくる。音楽的には随分違うと思うのだが、私の中ではいつもくっついて連想されるのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=tRsuuebZmm4
そんなわけで、浅川マキのライブに、名古屋栄のJazz inn LOVELYへ行ったのは2009年の1月17日だった。ひっきりなしに吸う彼女の煙草の煙が顔面にかかる距離でその歌を聴いた。そしてその翌年の同じ日、やはり、Jazz inn LOVELYのライブのために来ていた彼女は、ホテルで絶命しているのが発見されたのだった。
早いもので、あれからもう5年以上、まもなく6年だ。こっちも歳をとるはずだ。
おやおや、またまたどんどん脱線だ。
というわけで、「青いカナリア」は私の青春の歌であるというお話。
あの頃の音楽は、今のように目まぐるしく消費されて、「ハイ、終わり」といった感じではなくけっこう長持ちしましたから、多少の年齢の差を超えて共感できるものが少なくないと思います。
アマリア・ロドリゲスの歌、上のジャケットの写真の下のアドレスをクリックしていただければ聴くことが出来ます。
ひょっとしたら、これもお耳にされたことがあるかもしれませんよ。そうでなくても、きっと花てぼさんのお気に召すように思います。
一度お聴きになってみてください。
やはり竹山でしたか。
しかも青森で、生でとはすごいですね。
あちこちお出かけになったことは断片的に覗っていましたが、10代終わりの青春まっただ中での北への旅、当時の時代背景とともに、感慨深いものがあったことでしょう。
中国での歌が高音が好まれるというのはわかるような気がします。先般亡くなった李香蘭こと山口淑子さんが中国で歌っていた折、受けたのはやり澄んだ高い音が出たからでしょうね。
私もすぐにコメントしたかったのですが・・・
私は六文銭さんより少し年齢が下になりますが、こんな音楽を聞くと悲しいほど懐かしいです。あ、「AMARIA」はまだ聞いていませんでした。知っていればいいのですが。
私の青春時代は、FEN放送から流れてくる音楽でした。
音楽的なことは疎いのですが、こちらでは高音が出るということが、うまい歌手の条件みたいになっています。浅川マキではダメです。
津軽三味線は高橋竹山でしょうか?私は、8トラックの弁当箱のようなカセットで店の帰りなどに聞いていた頃、疲れていて浅川マキでは寝てしまいそうなときは、竹山の三味線をガンガンかけていました。
村の老人たちが聴いているという晋劇のアリアというのは、京劇同様、私の声より2、3オクターブ高いあの甲高い声の歌でしょうか。
京劇の場合も映像とともに観たことはありますが、歌のみを聴いたことはありませんので、それの味わいというのはよくわかりません。
ところで村人たちが普段何を聞いているのかというと、実は“アリア”が多いのです。年寄りばっかりの村ですが、携帯の再生機が今流行っていてけっこう持ってます。それで「晋劇」を聞くのです。葬儀の時にも歌われます。
FRANK CHICKENSは全くの偶然でしたが、おかげで我が青春の歌をまざまざと思い起こさせてくれました。
「青いカナリア」から、アマリア・ロドリゲス、そして浅川マキとなぜか私の中ではひとつながりで想起されるのです。
浅川マキのライブに行けたのはほんとに良かったとあの折の彼女の表情を思い起こしています。
ダイナ・ショアの「青いカナリア」。ああ、懐かしい。
でも、ご紹介のような演奏やパフォーマンスが派生していることは知りませんでした。
FRANK CHICKENSを皮切りにいろんなサイトを巡りました。
唖然としたり、見とれたり、うっとり聴き入ったりしました。
単なるカバーの域を超え、クオリティの高いものが多いですね。
これも原曲の持つ強烈な吸引力が影響しているんでしょうか。
学生時代、アルバイトの金で最初に買ったLPが浅川マキでした。
映画を作っていた先輩の家で聞いた暗い曲が印象に残り、買いました。
名古屋で亡くなったんですよね。
いつかいつかと思いながら、生で聴く機会を逃してしまい残念。
六文さんが、うらやましいです。
上手いし、すごい表現力だと再評価し始めたのは私自身が歳を重ねてからです。「哀愁波止場」なんてうるうるものです。https://www.youtube.com/watch?v=S0WqvSXazdk
この頃のあまり崩さない歌い方が好きです。
アマリア・ロドリゲスの晩年のコンサート、そんなふうでしたか。寂しいですね。私も応援に駆けつければよかった。
3人娘の中では、雪村いずみが一番好きでした。何故か美空ひばりだけは好きになれなかった若い頃の私です。エリチエミのテネシーワルツは好きでした。雪村の「オーマイパパ~~~」も好きでした。歳月は流れて、アマリア。ロドリゲスが名古屋に来たとき、どうしようもなく聴きたくて、当日券で入りました。もう60歳を過ぎたファドの女王の人気は凋落していて、目を覆うばかりの空席。そして聞いた暗いはしけ。忘れがたい思いでです。