なにごとにもあまり根を詰めない怠惰な性格なのですが、何年か前、鳥に興味を持ち、休日には双眼鏡を持ってそのへんをうろつき回ったこともあります。
その人相や風体からして覗きや痴漢と間違えられる可能性もあり、最近はそんな恰好では出かけません。
そういえば、偶然、野外でセックスをしているカップルに出くわしたことがあります。その時は気が動転してこちらがこそこそ逃げ出したのですが、今から思うと、もっと良くウオッチングをすればよかったと思います。
せっかく双眼鏡も持っていたのですから。
閑話休題。
そんなキャリアもあって、今でも鳥影を見かけたり鳴き声を聞いたりすると、オヤなんだろうと立ち止まったりはします。
やはり視覚的にはきれいな鳥がいいので、カワセミなど見かけると結構胸が踊るのですが、それを写真に収めるとなると至難の業です。彼らは飛翔もその動きもとても素早いのです。
つがいの二羽が右と左の端にいます
長~い望遠を付け、バシャバシャバシャと連続シャッターを押してやっと撮れるかどうかなのです。そんな文明の利器とは無縁な私などは、ひたすら偶然のチャンスを松の実、失礼、待つのみです。
先般某所で、先輩カメラマンに教えてもらってそれらしき場所で生まれて初めてレンズに収めることが出来ました。ただしカメラは小さなデジカメ、とても公表できるようなものではないのですが、初めてのものですので、恥を偲んで公表します。
左の一羽(多分メス)が羽ばたいて巣の中に
ところで、例の3・11で、野生の小動物たち、河川の魚類たちはどうなったのでしょう。鳥類は空中に逃れて大丈夫だとは思うのですが…。
*ほとんど見えないような写真で申し訳ありません。
その人相や風体からして覗きや痴漢と間違えられる可能性もあり、最近はそんな恰好では出かけません。
そういえば、偶然、野外でセックスをしているカップルに出くわしたことがあります。その時は気が動転してこちらがこそこそ逃げ出したのですが、今から思うと、もっと良くウオッチングをすればよかったと思います。
せっかく双眼鏡も持っていたのですから。
閑話休題。
そんなキャリアもあって、今でも鳥影を見かけたり鳴き声を聞いたりすると、オヤなんだろうと立ち止まったりはします。
やはり視覚的にはきれいな鳥がいいので、カワセミなど見かけると結構胸が踊るのですが、それを写真に収めるとなると至難の業です。彼らは飛翔もその動きもとても素早いのです。
つがいの二羽が右と左の端にいます
長~い望遠を付け、バシャバシャバシャと連続シャッターを押してやっと撮れるかどうかなのです。そんな文明の利器とは無縁な私などは、ひたすら偶然のチャンスを松の実、失礼、待つのみです。
先般某所で、先輩カメラマンに教えてもらってそれらしき場所で生まれて初めてレンズに収めることが出来ました。ただしカメラは小さなデジカメ、とても公表できるようなものではないのですが、初めてのものですので、恥を偲んで公表します。
左の一羽(多分メス)が羽ばたいて巣の中に
ところで、例の3・11で、野生の小動物たち、河川の魚類たちはどうなったのでしょう。鳥類は空中に逃れて大丈夫だとは思うのですが…。
*ほとんど見えないような写真で申し訳ありません。
先年、鳥の雑誌にほんの小さな欄をもらって、書いていた子どもが、そのコーナーがとりやめになり、がっかりしていました。また声がかかるのを待っていたようですが、今月出た雑誌に、他の人が似たような記事を書いていて、落胆していました。なかなか厳しい世の中ですね。いろいろな仕事も減って、お江戸で、暮らしてゆくのは、至難の業のようです。
「週刊現代」4月23日号の巻頭は「水中特撮カラー15ページ! あの海に沈んでいるわが家を撮った! 宮古・大船渡・北三陸」というグラビアで、写真は13カットです。8カット目のタイトルは「海底の泥がつまった鍋-大船渡湾内」とあり、鍋のかたわらに「死んだ魚が白く腐乱した姿をさらしてい」るのでした。続くキャプションには「湾内には、このような魚の死骸が大量に沈んでいる」とありました。幼いころの記憶。堤防で作業する男たちを遠くから見ていた台風が過ぎて、親戚に行くとバケツの中でウグイが盛り上がるように泳いでいました。親戚は本流にそそぐ小川の上流部を炊事や洗濯の場にしていましたが、そこに突如、魚がやってきた、とお嫁さんは笑顔になりました。そこで憶測。その夜、ウグイは食卓の中央で男たちを迎えたのでありました。
あれがだけ熱心に鳥に関わっていらっしゃるのですから、そのご経験を生かしたお仕事が増えるといいですね。
>bbさん
近海の岩礁などに住む海の魚にも、河口から上流の淡水魚にも、たくさん被害があったでしょうね。遡上し始めたアユの稚魚たちはどうなったのでしょう。シラスウナギも。
まあ、まずは人間がさきですが。
あ、それと原発の魚類への影響も深刻ですね。