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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

日記らしく?・・初映画、初コンサート。

2008-01-09 05:46:49 | よしなしごと
 ご託を並べるばかりが能ではないので、たまには時系列に添った日記らしい日記を書こう。
 といっても昨日のことだが、そこのところはご容赦願いたい。

 締め切りをひとつクリアーし、その校正も済んだので、今年はじめて名古屋へ出る。
 まずはシネマテークで初映画

 『ここに幸あり
 これを聞いて、かつての大津美(よし)子の歌を思い出すとしたら、あなたはもう年金世代(笑)。
 監督はオタール・イオセリアーニ。イタリア人的な名前だが、旧ソ連、グルジアの出身。
 映画の制作国は、フランス、イタリア、ロシアとある。

 

 なぜ観に行ったかというと、この監督のものでかつて観た、『月曜日に乾杯!』、『素敵な歌と舟はゆく』が何ともいえぬすっぽ抜けたような味を出していたからだ。
 まあ、少し理屈っぽく言うと、すっぽ抜けたらこの競争社会の中ではアウトということなのだが、この監督は執拗にすっぽ抜けることを追求している。この映画もそうだ。
 この映画についてはあまり語るまい。賢しら気に語ることから身を引くことこそがこの映画の真意なのだから。
 主人公の母親役、ミシェル・ピッコリがいい味を出していた。

 

 映画のあとはやはり初コンサートだ。
 河合優子モーツアルト・ピアノソナタ全曲演奏会(全4回)の最終回。

 この人、地元愛知の出身。菊里高校から愛知県立芸大、そして今は、ポーランドに住むショパン弾き
 しかし、モーツアルトも良い。メリハリが効いていて表情が豊かである。特に、最後のソナタ第17番ニ長調(K576)の終章、対位法が全面的に展開される箇所の演奏は鮮やかであった。

        

 このコンサート、設営から手伝ったこともあり、彼女のリハーサル風景から、最後の打ち上げまで付き合うこととなった

 彼女の写真はそのHPからのパクリだが、風景を撮したものは、映画とコンサートの間の街中の夕まぐれである。
 昨日の夕方は、一月にしては暖かかった。厳しい寒さの宵よりも、少しけだるい冬の夕べの方がなんとなくメランコリーである

 打ち上げで飲んだワインの火照りが残っている中でこれを書いている。
 考えてみれば、贅沢な一日だった。
 



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3 コメント

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Unknown (只今)
2008-01-09 06:51:39
 昼に映画、夜にコンサートとは羨ましいかぎりと僻みそうになりましたが、しかし年明けて始めての来名と聞けば、敬老パスを手にしている者としてはどこか申訳なくも思っての一言を。
 小生昨日は、定例の医院通いのあと書店に寄り、『新潮』二月号を買ってきました。新聞で、「黒川創『かもめの日』330枚一挙掲載」という広告を見たからです。
 女性初の宇宙飛行士テレシコワは、地上との交信で「わたしは、かもめ」と繰り返しましたが、このフレーズは、チェホウの「ヤー、チャイカ」と同じです。これを受けたフルシチョフは、「あなたの声はとてもよく聞こえますよ。あなたは〈かもめ〉と呼ばれていますが、わたしにはただワーリャと呼ばせてください」と言った。
 といったこんな場面からこの作品は始まり、政治と芸術の問題を推理もののように展開していきます。彼は私たちの子どもの世代でありますが、私たちが抱えた理性と狂気の問題を、軽やかに飛び越えているのではないかといった生意気な感想を持ちました。
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Unknown (只今)
2008-01-09 13:43:10
先程、横町から一本のメールがやってきました。 意訳すると、「政治と芸術」の問題なぞと、大仰でステレオタイプな物言いは如何?といったものでした。そこで、息せき切って言い繕うのですが、私のいう「政治」とは、「公・会社・仕事」であり、「芸術」とは、「私・自由・あい」といったものであります。
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Unknown (冠山)
2008-01-09 21:34:11
只今さんのコメントは、理性と狂気を飛び越えている作品という指摘と読みました。横町さんは、よほど「政治と芸術」に火傷しているのでしよう。
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