今年最後のツツジのレポートです(たぶん)。2、3日続いた雨が上がり、まさに満開を迎えました。
この上が私の部屋
白いものは、ひと枝の赤と、ところどころの花に赤いキッス・マークを宿して咲き誇っています。
別のひと枝はぐんぐん伸びて二階の私の部屋のすぐ真下まできて私を誘惑しています。
赤い方は、半分はバス通りに面した玄関脇でおもいっきり咲きました。
ご覧のように、かなり道路側にはみ出していますから、可哀想に花が終わったら刈り込まれる運命です。
この赤い花の半分の部分は、ガレージの突き当りに面しています。
車で帰って来ると、真正面で「おかえりなさい」と迎えてくれます。
帰宅したと実感する瞬間です。
私はこの二本のツツジを愛しています。
この時期、二階の自室から、下の庭で、そして玄関先で、これらの花を見るとなにやら浮き立つ思いがするのです。
ところでこのツツジ、どういう経緯で我が家にあるのかは忘却の彼方なのです。前にも書きましたが庭師など入れたことがありませんから、私がどこかでもらってきて植えたのには間違いありません。樹齢はたぶん、40~50年の間でしょう。
ところで、ツツジの寿命はどのくらいかを調べたのですが、はっきりと書いたものはありませんでした。ただ、100年を越えても花をつけているという記事がありましたし、群馬県館林市の「つつじが岡公園」では、樹齢800年のものがあるといいますから、ずいぶん長生きなのですね。
これで、うちの彼らが私の死後も咲き誇るであろうことがはっきりしましたが、その折には誰がどのように愛でるのでしょうか。私がこれらの花を愛していたことを誰が覚えていてくれるのでしょうか。「ごめんね、ごめんね」といいながら刈り込んできたことを誰が知っているのでしょうか。
たぶん、ツツジたちが覚えていてくれると信じて、その満開に連れ添うようにためつすがめつ眺めているのです。
この上が私の部屋
白いものは、ひと枝の赤と、ところどころの花に赤いキッス・マークを宿して咲き誇っています。
別のひと枝はぐんぐん伸びて二階の私の部屋のすぐ真下まできて私を誘惑しています。
赤い方は、半分はバス通りに面した玄関脇でおもいっきり咲きました。
ご覧のように、かなり道路側にはみ出していますから、可哀想に花が終わったら刈り込まれる運命です。
この赤い花の半分の部分は、ガレージの突き当りに面しています。
車で帰って来ると、真正面で「おかえりなさい」と迎えてくれます。
帰宅したと実感する瞬間です。
私はこの二本のツツジを愛しています。
この時期、二階の自室から、下の庭で、そして玄関先で、これらの花を見るとなにやら浮き立つ思いがするのです。
ところでこのツツジ、どういう経緯で我が家にあるのかは忘却の彼方なのです。前にも書きましたが庭師など入れたことがありませんから、私がどこかでもらってきて植えたのには間違いありません。樹齢はたぶん、40~50年の間でしょう。
ところで、ツツジの寿命はどのくらいかを調べたのですが、はっきりと書いたものはありませんでした。ただ、100年を越えても花をつけているという記事がありましたし、群馬県館林市の「つつじが岡公園」では、樹齢800年のものがあるといいますから、ずいぶん長生きなのですね。
これで、うちの彼らが私の死後も咲き誇るであろうことがはっきりしましたが、その折には誰がどのように愛でるのでしょうか。私がこれらの花を愛していたことを誰が覚えていてくれるのでしょうか。「ごめんね、ごめんね」といいながら刈り込んできたことを誰が知っているのでしょうか。
たぶん、ツツジたちが覚えていてくれると信じて、その満開に連れ添うようにためつすがめつ眺めているのです。
ツツジについても、今回調べてはじめて知りました。
日本人が、潔さや儚さの代名詞にする桜にしても、根尾の薄墨のように千年を越える寿命のものがありますからね。