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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

白鳳、天平の佛に逢いにゆく

2011-09-25 02:54:03 | 歴史を考える
       

 台風一過、さわやかな秋風が吹くなか、折から岐阜歴史博物館で開催中の「国宝 薬師寺展」へ行ってきた。
 日ごろ生意気にも、宗教画や仏像などはそれが本来安置されている場所のアウラとともに出会うもので、それらと引き離された美術館で見ても・・・などと言っている割には素直に出かけた。
 だいたい、奈良の薬師寺に行ったことがなく、これから先も行ける可能性は極めて少ないので、この際、その国宝などを手っ取り早く我が街で見てしまおうという魂胆なのである。
 
           
            歴史博物館前の噴水 後方は金華山と岐阜城

 そもそも、なぜ岐阜くんだりでこんな特別展が開かれるかというにはそれなりの訳がある。
 時代は遡るが、天智天皇の亡き後、その皇位継承をめぐって子息の大友皇子と実弟の大海人皇子が争った壬申の乱(672年)に遡る。その折大海人皇子は美濃の豪族の支援を得て関ヶ原付近での合戦に勝利し(関ヶ原は豊臣・徳川の戦場でもあった 1600年)、その勢いで都を制し、天武天皇として即位する。

           

 といったわけで、その天武天皇が建立した薬師寺の寺宝を、当時天武を応援した美濃の人にも見せてやろうということなのである。
 この薬師寺、天武の妻・持統(このひと、天智の妻でもあったがついで天武の妻となった)が病身のため、天武がその平癒を祈って建立したものであったが、皮肉なことにその天武が先に召されてしまい、結局は持統の手によって完成したといわれる。そして持統は天武の皇位を継ぎ、41代の天皇に即位している。「春過ぎて夏来るらし白たへの衣乾したり天の香具山」という歌を読んだ人である。

 こうして、持統は天智・天武の両者の妻になるのだが、この二人の天皇、もう一人の女性とも関連がある。それは額田王で、彼女は最初弟の天武と結ばれ、その間に子をなしながら、ついで兄の天智の元へと移ったといわれている。
 「万葉集」で有名な、「茜さす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」は、天智のもとへ行ったあと、まだ大海人皇子であった天武が盛んに愛の仕草を送るので、これをたしなめた歌とされている。

       
 
 さらに一説には、この額田王をめぐる争奪戦が壬申の乱の遠因であるという飛躍もあるが、先の歌そのものが宴席での戯れ歌でさしてリアルなものではないというのが通説なようだ。またこの額田王、天武の第九皇子、弓削皇子と交わした贈答歌があり、恋多き女性であったことは推測される。

 さて前置きが長くなったが、展示そのもについても語らねばなるまい。
 とはいえ、視覚に訴える古代の美を文章で表現するなど到底私の筆力ではかなわぬ技である。
 そこで、私がこれはと目指していった二点について述べよう。

             

 そのひとつは「国宝 吉祥天女像」である。像といってもこれは絵画である。
 奈良時代のふくよかな女性像、資料によればこの絵画のモデルは一五歳の少女だという。しかしもう、しっかりとした女性の風貌をたたえ、「日本のモナリザ」の愛称もそう飛躍したものではない。
 少し意外だったのは普段見る仏像の掛け軸と異なり、思ったより小さく、しかも額装だったことだ。ただし、1300年の時を越えてその色彩は割合しっかし残っている。
 一度通り過ぎてからもう一度引き返してみた。
 ここに描かれた当時一五歳の少女のその後の運命はなどとまたまた要らざることに思いをめぐらしたりした。

 さらに注目したのは、「国宝 聖観世音菩薩像」で、高さ188cmの銅製鍍金、飛鳥奈良時代の作品。
 しかしこの像、銅製でありながら金属の硬さや冷ややかさを感じさせず、温かみさえ感じる。反面そのなだらかでつややかな肌合いはやはり金属ならではで、そうした材質を越えた存在感はその製作技術とそれに込められた祈りのようなものによるのだろうか。

            

 ところでこの像、後世にいたって女性的な観音像が多いなか、仏教の原典に忠実で堂々たる体躯の男性像である。また一説によればこの像のモデルは有間皇子ともいわれているが、その有馬皇子というのが、薬師寺を建立した天武の先代にして兄の天智と争って敗れていることを考えると、少し年代が合わない気もする。
 しかし、薬師寺の言い伝えの中にもあるということから、不幸にして倒れた(冤罪ともいわれている)皇子を偲んで作られたのかも知れない。
 ついでながら、「家にあれば笥(け=うつわ)に盛る飯(いい)を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」という有馬皇子の歌は、処刑地へ護送される途次のものとされる。

 さてこの像の展示、薬師寺で拝観するよりもこの会場でならではのメリットがある。
 それは薬師寺では壁を背に光背などがあって前面からしか見ることができないのを、ここでは360度あらゆる角度から見ることができるということである。
 それで360度回ってみたが、背面にも寸分の隙もなく、どの角度から見ても素晴らしいのだ。光背などはあとからの装飾で、もともとは独立した立像ではなかったかと思うくらいだ。

 しかし、しかしである、この像の魅力はやはり一定の距離を置いて全体を見ることであろう。近くで、ディティールを撫で回すように見るのもいいが、最後には距離を置いて正面の左右90度以内でじっくり見るのがいいと思った。
 その質量感は「絶対的で厳かなもの」というより、やはり「現世で働く観世音菩薩」としての慈愛と温かみがあるように思った。

       
                  金華山頂と岐阜城

 その他のものでも印象に残ったものもあったがもう十分長くなった。
 はじめに、寺院から切り離された仏像などアウラが欠落していると生意気なことを書いたが、多分、当の薬師寺にいっても、これだけじっくりは拝観できないだろうと思った。

 外に出ると、空はもうすっかり秋の様相を呈していいた。 
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