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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

半径300メートルの紅葉とあの少年の日

2013-12-02 15:53:50 | インポート
   
    貸したCDに添えられていた紅葉         私の窓辺の桑

 今年の秋口、いきなり急性気管支炎を患い高熱を出して入院する破目になったので、いくぶん臆病になったせいか遠出をして紅葉を見に出かけることなく秋が終わってしまった。
 今年の紅葉は綺麗だったという評価を聞くとやや残念な気もする。

 

 そこでいくぶん遅いが、郊外に住む利点を活かし、半径300メートル以内で目にした紅葉を列挙してみることとする。
 場所は自宅と春に桜を楽しませてくれるところ(通称、マイお花見ロード)、そして近所の鎮守の森である。

 
 
 都市近郊だからどうしても遠望がない。やはり、山腹のダイナミックな紅葉、広範囲に展開される紅葉のランドスケープには叶わないが、それでも結構目を楽しませてくれる。

   

 あまりにものどかな小春日和の中で、紅葉を見上げながら歩いていると、不意に視界をよぎり、キキーッと鋭い警戒の鳴き声を上げて飛翔するヒヨドリに、なにか不安な思いを掻き立てられる。

      
 
 もう何十年も前、少年の日、ひとりで歩いていた折、ふとこうして不安を覚えたことがあったような気がする。
 それがいつどこで、何に起因するものであったのかは忘却の彼方だ。
 ひょっとして少年の日の終わりを告げるものであったのかもしれない。

 
 
 のどかな中にも少し揺れ動くものを抱きながら、かくて私の秋は終わろうとしている。
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2 コメント

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Unknown (只今)
2013-12-02 16:58:49
 「なにもかも昔の秋の深きかな」

 とは、久保田万太郎の句ですが、
 それを万太郎が詠んだ時の歳を知って、黙然。
 小生その歳、とうに過ぎているからですが、

 同様に、身寄せしてしまう句として、
 どなただったかの こんな句があります。

 「近すぎて自分が見えぬ秋の暮」

 
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Unknown (bb)
2013-12-03 16:11:24
>半径300メートル
キャラメル300粒を口にしても、走ることあたわずですが、以下、私なりのおさらいを添えて、お元気を祈ります。

<距離は250メートルを超えている>
都市計画では、250メートルを快適に歩行できる距離の目安としています。たとえば街区公園(20年ほど前の呼称:児童公園)の誘致距離は半径250メートルとされています。

<面積は0.3平方キロメートルに近い>
IOC総会でかの人は「港湾内0.3平方キロの範囲内で完全にブロックされている」といい、ほどなく訪れた福島第1では「0.3平方キロはどこ?」と聞いた由。ちなみにここで半径300メートルの面積を計算して見ますと、およそ0.28平方キロメートル、となりましたよ。

[参考]0.3平方キロメートルの広がり:
碁盤割になっている名古屋都心の一部(栄交差点~桜通大津交差点~日銀前~広小路伏見交差点に囲まれた範囲)を地図で計ってみますと約0.46平方キロメートルでした。
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