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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

今年の6月22日と23日は特別?

2022-06-24 18:13:51 | よしなしごと
 毎年、6月22日と23日はやってくる。
 ただし今年のその日々は、私にとっては今までとは違ったのかもしれない。

 そのひとつは、5月中旬以降、思い立って白内障の手術を行ったことだ。6月1日に右目を、8日に左目を。手術そのものは大したことはなかったが、いわゆる白いカビ状のものが固くてしつこかったので、普通より時間がかかりましたとのことだった。

 その後は、術後の安定を維持し、その効果を安定させるためにさまざまな制限が課されていた。そして、それらの制限が解除されるのが22日だった。指定されたゴーグルにマスクという老月光仮面の出で立ちもこれで終了だ。
 もちろん全てが自由になるわけではない。白カビをとり、目の中に入れたレンズが安定するまで、眼球への圧力は禁止されているし、4種類の目薬の指し分けも継続である。

 そんな22日の午後、嬉しい電話が。釣り名人で、乗り鉄で、「薬師」(「徒然草」でいうところの「医師」)のYさんが、今日釣った日本海の朝獲れの魚をおすそ分け下さるとのことなのだ。
 やがて、Yさんが到着、「篠島のリベンジに!」とのコメント付きで釣果の一部をいただく。

 篠島のリベンジ! そう、先週は急に思いたち、三河湾に浮かぶ篠島を訪れたものの、事前の準備不足と行き違いで、鮮魚にありつけず、ウドンいっぱいで退散せざるを得なかった。それを嘆いた拙ブログを、Yさんも読んでいてくれたのだ。

      

 ハマチ(50センチ)とイサキ(40センチ)の二尾をいただく。とりわけイサキの方は、この辺のスーパーの魚売り場でも出るものの、せいぜい20センチ超えどまりだからこの大きさはすごい。おまけにこのイサキ、まるで臨月のように腹が膨らんでいる。これは真子だなと思ったら、まさにそうだった。

 久々に出刃と柳刃を出し、とりあえずハマチを三枚におろし、カマの部分などあら煮にできそうな部分を残す。ついでイサキ。やはり立派な真子をもっていた。これはあら煮とは別にさっぱりとした煮付けにするつもり。

     

 とりあえずは、今宵の刺し身として、ハマチ少々とイサキを切り分ける。
 合わせる酒は、菊水の辛口純米酒。
 ん、ん、これぞまさしく篠島のリベンジ。帰りの船の便や電車の時間など気にすることなくゆったりと味わい、飲める。
 Yさん、ありがとう。

      

 明けて23日、沖縄の戦没者慰霊祭の日。
 なぜ23日なのか。それは4月から続く沖縄戦での、「組織的抵抗が終了した日」なのだ。これがまた日本らしいのだ。東條の「戦陣訓八」が縛っていた日本軍には、どんなに劣勢になっても降伏ということはありえず、それを民間人にまで強要したため、県民の四分の一が生命を失う惨事となった。
 6月23日は、牛島満中将(死して後大将に)が自決し、組織としての抵抗が終わったと認定される日なのである。いわばズルズルベッタリの敗戦なのだ。

 19年秋、沖縄を訪れた折を思い出す。
 沖縄の友人に案内してもらったチビチリガマは、読谷村波平にある鍾乳洞で、そこへ避難した139名のうち、元日本兵の降伏を認めない示唆により、80人以上が自決をして果てたという。すぐ近くのガマでは、降伏をしたため全員が助かったのに。

         
 「慰霊の日」の儀式は、NHKで一部中継していたが、その舞台の沖縄戦終焉の地、糸満市摩文仁(まぶに)の丘に広がる沖縄平和祈念公園では、平和の灯を取り囲むように扇形に配置された黒御影石には、沖縄戦で失われた人たちの姓名二十数万人分が刻まれている。沖縄の人たちはもちろん、日本軍の兵士たち、それと戦ったアメリカ軍の兵士たち、軍属などとしてこの地で生命を失った朝鮮半島出身の人々などの名も刻まれている。

      

      

      

      

 今年の「慰霊の日」では、小学2年生の徳元穂菜さんの詩が朗読された。これまでは中高生などが多く、幾分論理的だったが、穂菜さんの詩は感性的で、タイトルは「こわいをしって へいわがわかった」だった。

          

 
 これはよく分かる。敗戦時、国民学校一年生だった私は、B29の轟音のもと、防空壕の中で雨あられと降る焼夷弾や爆弾の恐怖にうち震え、敗戦によってもう防空壕に逃げ込まなくても良いことを知ったとき、「平和」を実感したからだ。 
 
 昼食はこの前、半額でゲットした平打ちの生パスタ。具はピーマンと昨日いただいたイサキをソティにしたもの。ソースはマヨネーズに酢、オリーブオイル、すりゴマなどを加えアクセントにカレー粉を少々。カレー粉を加えたのは、イサキの重みに負けない刺激をパスタ側にも求めたため(なんて書くと一流シェフみたい)。取り合わせはわかめと豆腐のお吸い物と私流に。

      

 午後、電話で予約した上で床屋へ行く。いつも行く聾唖の人がやっている店だ。ここが気に入っていて、もう10年近く前、ここが開店して以来、ここ以外へ行ったことはない。
 ただし、今回は、白内障の術後の関係で医師からの注意事項が継続している。それをA5版の用紙に書いて持参し、彼に見せる。彼は一通り読んで、親指と人差指でOKマークを作って私に微笑みかける。

         

 そしてそのようにしてくれた。いつもに比べ、私の目やその周辺に気遣ってくれるのがよく分かる。終了して、私は大きく口を開いて「アリガトウ」といった。彼は、満面の笑みを浮かべて「いやいやどういたしまして」とばかり手を振った。
 私は、行ける限り、床屋はこの店にするつもりだ。

 

 

 

コメント
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