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難民受け入れの奇々怪々とロシア忌避のナンセンス

2022-03-15 16:59:35 | 社会評論
 
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写真は本文と関係ありません。満開になったわが家の早咲きの桜です。
 
 こんなことを書くと、プーチンのウクライナ侵攻の側面支援になるのではと誤解されそうだが、それでも書かずにはいられない。
 ウクライナから避難する人たちを世界中が競って受け入れを表明している。そのために一人でも多くの人たちが救われるならそれはいいことには間違いない。
 そんな尻馬に乗ってか岸田内閣までそれを「積極的に」受け入れると表明している。もちろん、それに反対するわけではない。むしろ忠実に実行してほしい。
 
 しかしだ、過去も今も、様々な紛争で数多くの難民を生み出している事実がある。問題は、国際社会は、それらをすべて今回のように二つ返事で受け入れてきたのかにある。
 パレスチナ、シリア、クルド人、バングラデッシュ、ミャンマーetc.etc.・・・・。これまで多くの難民をだしながらもそれらは充分に受け入れられては来なかった。いまなお、路頭に迷う人々もいるという。

          

 ここには明らかに大きな差異がある。スマートにいえばダブルスタンダード、はっきりいってしえば差別だ!
 とくに、亡命者受け入れも難民受け入れもこれまで最低水準の日本国までがウクライナに関してはと手を上げるのは国際的動きに遅れを取るまいという軽薄さの見本ともいうべきだろう。この国はこれまで、そうした難民を積極的に受け入れたことはまったくないのだから。

 そればかりか、この国は、「実習生」名義で受け入れた外国人を劣悪な条件で使い捨てにし、事情があって不法滞在になってしまった人々を獄につなぎ、ウィシュマさんがそうであったように殺してしまうことすらあるのだ。

 いままでにも、遠いヨーロッパなどはともかく、アジア地区で起きた紛争でも、難民を積極的に受け入れたことなどはないのだ。
 それなのになぜウクライナに関しては・・・・という疑問が残る。
 その一つは彼らが親米、NATO側の人間であるという政治的判断によるからだろう。
 もう一つは、パレスチナ、シリア、クルド、バングラディッシュ、ミャンマーなどなどが非白人地域であるということであろう。この国にとって、非白人は即、不逞外人の範疇に入るのだ。
 
 いいたいことはこうだ。人道支援、大いに結構。しかし、その「人道」の中に狭小な政治判断、あからさまな人種民族差別が含まれていないかどうかだ。それがウクライナ支援とその他の地域の難民への支援とを分かつ垣根になってはいないかということだ。
 とりわけこの国ではそうだ。自分たちを准白人、ないしはアジアや他の有色人種を超越した存在としてみてるからではないだろうか。これは、現実の為政者のみならず、一般国民をも含んだ問題でもある。
 
 私の懸念があたっている記事があった。ウクライナ人が各種国境を越え避難する際、一般的にはすんなりと通り過ぎることができるところで、黒人を始めとする有色人種は長く留め置かれ、厳しい検査を受けなければならないのだそうだ。
 
 なお、今回の戦端をきったのはプーチンであり、その責任は免れ難いが、それを彼の個性に還元するのは事態を見る視野を狭くすると思う。
 ソ連圏崩壊以後のロシアは、かつての東欧諸国が経済的にはEUの支配下に入り、軍事的にはアメリカ主体のNATOの支配下に入るのを観てきた。それがいよいよ隣国ウクライナにまで迫った。
 今回の戦端はプーチンの強圧的な支配意欲の発露とみなされているようだが、ある意味ではそれは、「窮鼠猫を噛む」ような追い詰められた心境による行為ともみえる。
 
 繰り返すが、だからプーチンの決断を正当化しようとは思わない。プーチンもそしてその相手側も、それ以前に理性的なレベルで話し合う機会がなかったのかはとても残念に思うが。

          

 そして、ここへ来て変な話に行き当たって、頭がでんぐり返りそうだ。
 ロシア憎しでロシア料理店が被害を被ったり、ロシアの物産を取り扱う店への脅迫まがいの嫌がらせがあるというのだ。

 もっと変な話もある。クラシック音楽の世界では、プーチンを批判しない指揮者がオケから首になったり、オケの演奏曲目からロシアの作曲家を外したりするようなのだ。そのままだと客の入りが悪いからだという。
 こうして、ショスタコーヴィチもラフマニノフも、ストラヴィンスキーもチャイコフスキーも「敵性音楽」に分類されるというのだ。
 そんななか、名古屋フィルがロシア音楽主体のコンサートを行ったといういうのを聴いてホッとしている。

 こんな「適性芸術」概念が大手を振リだしたら、トルストイもドストエフスキーも読んではいけないことになる。

 これはたしかに誇張かもしれないが、かつてこの国にあったことなのだ。戦時中、アメリカを始め多くの西洋音楽は「敵性音楽」として演奏もその聴取も禁止された。
 サン=サーンスやラヴェルを聴いていて摘発された人が、「いいえ、これはベートーヴェンの作曲したものです」と答えて助かった例がある。ナチスドイツはこの国の同盟国であり、従って「敵性」ではなかったからだし、取り締まった連中も、音楽なんかそもそもわかりはしなかったからだ。

 難民たちが無事に収容されること、たとえ暫定的でも戦火が止むこと、それらは緊急の実現さるべき事態だ。これこそが必要なことなのだ。

 その他無用な野次馬が、反ロ的なアジや摘発行為を行い、ロシアの文物を破壊しようが、それは人類の文化遺産の一端を傷つけ、憎悪の増幅作用を繰り広げるのみでろくなことにはならないのだ。
 
コメント
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