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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

居住環境変化への対応に戸惑う保守派のジイさんこと私

2022-02-03 11:43:42 | フォトエッセイ

 ここに住んで五十数年、当然のこととして環境の変化は大きい。当時は100m以内に人家がない田んぼの中の一軒家だったが、徐々に進む市街地の侵食によって次第に変貌を遂げてきた。
 それでも、10年ほど前までは、わが家の東方向、北方向には青々とした田園が眺望できた。それらもまた、失った今、ついにわが家から見える田はなくなってしまった。

          

 毎日散歩する習慣はないが、郵便物を出しに行ったり、クリニックへ行ったりしたついでに、自然が残っていそうな場所をぶらぶら歩くことはする。しかし、その田園風景が残っている場所がほとんどなくなってきた。

          

 とりわけここ2,3以来、残った田んぼ潰しはまるでゲームの終盤に差し掛かったように急速に進んでいるのだ。

 つい最近まで耕作されていた田が休耕田になり、そこが埋め立てられて建設会社の看板が立ち、三ヶ月もしないうちに今様の分譲住宅が立ち並ぶという勢いだ。ここまでくれば、半世紀以来の私が見続けてきた風景はアッという間に消え去ってしまうだろう。ほんとうにその勢いな加速度的なのだ(かつてのようにマンションやビル形式のアパートは少ないのもこの変化を早めている)。

          

 市街地までは遠い田舎と思っていたが、一時間に2本しかないバスに乗れば、10分ちょっとで岐阜駅に着き、中心部までも15~20分だ。しかも、300mほど離れたところには、もう一本のバス路線があり、そこもまた一時間に2本とすれば、その双方をうまく利用すれば15分おきの運行状況になる。
 一方、JR東海道線の快速は、岐阜・名古屋間を18分で結ぶから、この辺から名古屋駅近くは一時間以内、名古屋の中心部も一時間少々でたどり着ける。今や、名古屋のベッドタウン化しつつある岐阜市のなかでも利便性がある箇所といえる。
 事実、私の娘をはじめ、この辺から名古屋の職場に通う人は少なくはない。

          
          

 最近の身近での変化について述べよう。
 
 もう何十年前から、私が自宅二階からウオッチングしてきた二反(600坪)の田があった。しかし、その田と私の家の間の休耕田が宅地になり、2階建ての家が遮ることによってそれも不可能になった。
 しかし、その田は家から数十歩の距離、外出時には否応なしに目につき、その状況を把握することが出来た。ところが、今から四年ほど前、急に耕作がされなくなり、ああ、やはり休耕田化、そして宅地にと思っていたらどうもそうではないようで、聞けば私がウオッチングしてて言葉も交わしたことがあるあの熱心な耕作者が急死し、あとを継いで耕作する者がいなくなっての結果だという。

              

 地元に身寄りもなく管理を継承する者もいないままのその田は、普通の休耕田とは違って、荒れに荒れ、粗大ごみに属するものから小型電化製品まで捨てられ、雑草のたぐいは生え放題、おまけに灌木の種類まで伸び放題で、やがて何年か後には原始林化するのではと思わせるものがあった。

 ここからが、私が述べたい本題なのだが、もう充分長くなった。
 本題とは、私の生の終焉を迎える様式に関連するのだが、それは次回述べよう。

コメント
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