前回は、かつては田園地帯だった岐阜郊外の周辺が、徐々に市街地化され、ここ何年かでとどめを刺されるところまで来ていることを述べた。
その象徴として、長年、私がウォッチングしてきた二反(=600坪=約2千㎡)の田が、耕作者の急死により荒れ果てて、雑草のみならず灌木すら生える荒れ地になったことを述べた。
それはそれでいいのではないか。そこを懸命に耕していた彼に代わって、その土地の変遷を見届けてやるのも彼への供養かもしれない、などと勝手に思っていた。それにしても、かつての青田が伸び放題の草木に彩られ、それをいいことに、粗大ごみ級のものが打ち捨てられるのを見ることは苦痛だった。
しかし、昨年末、その様相が変わったのだ。もう1メートル以上だった灌木を始め、すべての草木が刈り取られ、放棄物も排除され、普通の休耕田に戻ったのだ。
遺族の誰かが管理を継承したのか、あるいはどこかが買ったのかと思った。しかし、それを改めて確認する手段ももたずにいたが、つい先日、その行く末が明らかになった。
2,3日前、ピンポ~ンとドアフォンが鳴って出てみると、とある建設会社の社員というのがいて、「お近くの田を埋め立て建築をはじめさせていただきますので、何かとご迷惑がかかってはと思いご挨拶です」とのこと。うやうやしく包装してあるだけで、百均でも買えそうなフェイスタオルのようなものをおいて帰っていった。
その帰り際に、「何が出来るんですか」と尋ねると、「コンビニです」とのこと。
日頃、コンビニのお世話になっている人はラッキーと思うかもしれない。何しろそれが、一軒離れた隣、私のうちから100歩以内のところに出来るのだから。
ところが私は、ほとんどコンビニで買物をしたことがない。コンビニ利用は年2,3回、予約コンサートの発券依頼ときている。だから、コンビニでの私は低姿勢だ。「すみません。すみません」と言いながらチケットをゲットする。
前にも述べたが、わが家の目の前にはドラッグストアがある。そして今度はコンビニだ。こんな便利なロケーションはないだろうといわれそうだ。
しかし、私にとっては必ずしもそうではないのだ。どう説明していいのか戸惑っているが、まあ述べてみよう。
問題は、食材の調達である。現在の私は、それらを以下のように組みたてている。
1)二つのスーパー そのうちのひとつは歩いて行けるが、鮮魚類が弱い。もうひとつはある意味オールマイティだが車でないと行けない。
2)農協野菜売り場 ここは旬の野菜を安価に手にれることが出来るメッカであるが、車でないと行けない。
3)業務店用のスーパー「アミカ」 ここはラーメンなどの生麺、その他そば、うどん、きしめん、パスタなど乾麺が豊富で安い。調味料も豊富。冷凍食品なども買い物に行けない折の予備としてゲットできる。ただし、ここも車でないと厳しい。
ようするに、これらの仕入先が私の食生活を支えてくれている。
それにドラッグストアとコンビニもあって、いうことないではないかという声が聞こえそうだ。
確かにいまのところはそうである。しかし、それは私が運転免許を保持している限りの話である。80歳を3年ほど過ぎたいま、免許証返納の圧力はあるし、事実、衰えは確実に来つつある。
で、運転できなくなった際のことを考えるのだ。そうなると私の食材入手は、鮮魚類が弱いスーパーと、ドラッグストア(ここは肉類は置いてるが生鮮野菜と魚類はない)、それに今度できるコンビニということになる。
白状するが、それほどのこだわりはないとはいえ、私は食に関しては保守派である。インスタントラーメンやカップ麺は出だしの頃、「どんなもんかいのう」と食したことはあるがそれぞれもう何十年も前で、以来全く縁がない。
麺類はラーメンの生麺か、各種乾麺を湯がき、スープは自分のその折の気まぐれで味をつけている。
何がいいたいかというと、免許を失った場合、私は食について危機に瀕するということだ。近い方のスーパーだって、足腰の条件によっては行けなくなるだろう。そうすれば、真ん前のドラッグストアと今度できるコンビニとで食生活を満たさねばならなくなることだ。
しかし、そこらで売っている既製品や冷凍食品は私には馴染みの少ないものである。
さてさて、免許返納後の私の食生活はどうなるのか、コンビニやドラッグストアが供給するものに慣らされてゆくのだろうか。
これは決して些細な問題ではない。もはや、ほとんど食にしか生きている実感、自分の生へのアクティヴな関わりを感じられない私にとっては・・・・。
【余談】ハンバーガーというものも一度しか食べたことがない。家族連れで出かけた帰途、ドライブスルーというのがあるので、その仕組みを確認するために買った。帰宅して食したのだが、なぜこんなに顎を外さなければならないほど口を大きく開けねばならないように食べにくくしなければならないのかが理解できなかった。
パンと、その間に挟むものを別々に食べたほうが美味しいのではないかとも思った。
その意味で、サンドウィッチは抵抗なく食べることができる。