先般の健康診断の結果を聞きに行きつけのクリニックへゆく。
結果は、コレストロールがやや多いが、これは善玉の方だから問題ない。さらに、貧血症状がみられるがこれも大したことはないとのこと。
じつは、この結果はこの3年間、判で押したようにまったく一緒なのだ。で、健康状態は安定してるということで安心できるかというと、そうばかりではない。
どういうことかというと、こんなに安定して健康が保たれていること自体が不思議なのだ。というか、そんなことはありえないのだ。
傘寿をすぎることふたとせという老齢もさることながら、睡眠は不規則で熟睡は少なく、酒類は休肝日なんてどこの話という毎日皆勤、運動ときたら一週間ほとんど家にこもりっきりということもザラ、日に数度の二階との往復のみといった暮らしぶりなのだ。
どう考えたって、これで健康なはずがないのだ。にもかかわらず、数値には全く異常は出てこない。ということは、休火山のその潜伏ぶりがあまりにも穏やかで、なんの兆候もデータには出ないにもかかわらず、ある日突、然爆発的な噴火をするような、そんな状態ではなかろうかと思えるのだ。
まあ、この歳になれば、それもじゅうぶんあり得ることで、その可能性を心得た上で、これまでの生活を続けようと思っている。変に怯んで、これまでの生活習慣を変えようものなら、私が私でなくなってしまう。私と世界とのバランスが崩れてしまうのだ。
そんな、ある意味身勝手なことを考えながら、クリニックの帰りを少しばかり遠回りして散歩に当てた。秋の深まりとともに日の落ちるのが早くなった。
夕ざれた変哲のない道を辿っていたら、突然、忘却の彼方から、この間ほとんど耳にしたことがない歌が思い浮かんできた。
「あの町この町」詞:野口雨情 曲:中山晋平がそれだ。
歌詞の日本語とメロディの見事な調和、そして、そこに醸し出されるそこはかとない哀愁。かつての子どもたちは、こんな美しく豊かな世界を、自分たちの周りにもっていたのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=GE8a3vH44uI
*受診結果表の他の写真は帰途に撮ったもの 白い花は「お茶の花」