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【最後の晩餐】珍味中の珍味・渓流小魚の熟れ寿司が届く

2020-01-16 01:25:52 | グルメ

 

 私の父の故郷は福井県で、九頭竜川の支流、石徹白川沿いにある。
 この地域では、毎年夏になると川の一部をせき止め、その一箇所に水が落ちるようにし、そこに網や水のみを通す箱を仕掛ける「登り落ち漁」を行う。これはせき止められると、その壁に沿って下流に行ける場所を探す魚の習性に沿った漁法で、これにかかるのは、ギバチの仲間のギギやカジカ、渓流にのみ住むアジメドジョウなどの渓流の小魚である。

 それで穫れた小魚を、熟れ寿司にしたのが上の写真である。秋口に漬け込んで、正月前後が食べごろという珍味である。
 もちろん、民間漁法に依る原材料を民間の調理に従って行うものだから、同じ熟れ寿司でも、琵琶湖の鮒ずしのように市場に出回ることはほとんどない。
 その流通範囲は、私が今回そうであったような親戚関係とか、親しい知己の範囲を越えることはないと思う。

 とはいえ、その私にとっても今回は久々で、全く僥倖という他はないのだ。
 というのは、かの地でも各戸でそういう漁をすることがうんと少なくなり、したがってこうした熟れ寿司を作る家もどんどん減少していること、加えて、父が亡くなってからもう4半世紀経ち、先方でもその世代が全て亡くなり、それどころか、私の世代自身がどんどん亡くなっている状況の中で、親戚といえどもその関係がどんどん希薄になっているなかでの今回なのである。

 私自身、もう何年も口にしていないし、殆ど諦めていたところ、ひょんなことでそれが届けられたのだ。
 懐かしくも美味い味だ。漬けられた小魚たちは、骨や皮や身の識別は不可能なほど一体となって馴染んでいる。発酵による程よい酸味と香りが口腔に広がる。
 熟れ寿司には、漬け込んだご飯の部分をこそげて、そこへ漬けた素材の部分のみ食べるものもあるが、この熟れ寿司は、そのご飯の部分がじつに美味しい。小魚とご飯の部分を一緒に食べるとなおなお美味しい。

 合わせる酒は、赤ワインだと生臭味が残ることがあり、白のほうがいいが、なんといっても日本酒だろう。ついで焼酎だが、これはお湯割りがいいと思う。
 こんな美味いものを今宵食しているのは、日本の中でも、いや世界の中でも、ごくごくご~く少ないのではないかとの優越感のうちにそれを食している。

 それに今ひとつ、上に述べたような事情から、そして私の年齢から、これがその最後になる可能性がとても大きいのだ。
 だからこれだけは、巨万の富を積まれても、百年の恋人にも、絶対に譲ることはできないのだ。
 だから恋人たちよ! 諦めてくれ!

コメント (2)
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