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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

ついに田んぼが見えなくなった! 私たちが隔てられてあるもの

2018-06-05 01:56:29 | よしなしごと
 半世紀前、私が今の住まいに来た折、四方八方が田んぼであった。簡易舗装の道路の脇に、ポツネンと建ったわが家は、六、七月に周囲の稲が青々と風に波打つ折などには、絶海を往く孤舟のようであった。

          

 やがて西方に、材木を収容するための倉庫が建ち、ついで南に隣接する田が埋め立てられて、一階は店舗、二階は住宅という三軒続きの長屋が建てられた。
 それでもなお、東方と北方は田んぼが広がっていた。

          

 やがて、私の家を包囲するように家々が建てられ、東方の一反は埋め立てられて駐車場となったが、いささか視野がせまくなったとはいえ、二方向の田んぼをウオッチングすることはできた。

          

 それらが激変したのは一昨年からである。東方に残っていた田んぼ二枚が埋め立てられ、ひとつはドラッグストアに、ひとつは駐車場になった。
 そして北側にあった三反の田んぼのうち、手前の休耕田が埋め立てられ、そこに四軒の建売住宅が並び、その向こうの二反の田んぼはすっかり見えなくなってしまった。
 この田んぼこそ、私が長年にわたって、田植えや稲刈り、あるいはその途中の作業などを観察し、ブログなどに載せてきたところである。
 かくして、わが家から居ながらにして見ることができる田はなくなってしまった。

          

 もちろんこうした趨勢は我が家の周囲のみのことではない。冒頭に書いたように、半世紀前は田んぼが圧倒的に多く、その中に昔ながらの集落があるという典型的な農村風景であった。
 そして、私がネットなどに関わり始めた二〇年ほど前は、都市化の波が押し寄せ、まだら模様の風景が実現していた。

          
 
 その後、バブルの崩壊などがあって、都市の侵食は一時的にその勢いを弱めたかに見えた。しかし、ここ何年か前からふたたびその勢いを回復し、いまや田んぼが包囲されるところとなった。
 実際のところ、住宅に包囲された田んぼが孤立していたりして、どうやって必要な取水などしているのかわからないところもある。

          

 しかしそれらの田も、そうした水処理や日照の問題で白旗を掲げて宅地や駐車場へと変わってゆく。こうなると、オセロゲームのように事態は一挙に進行する。
 デベロッパーが暗躍し、私のうちまでアタックの対象になる。これは誤解によるもので、わが家に隣接する妹夫妻(いまはその長男の甥の経営だが)の二百何十坪かの材木置場が狙い目なのだ。

          

 こうした趨勢に伴い、周辺の自然条件も激変した。それらをいちいち列挙していたらキリがない。
 その是非は問うまい。ただ、そうした変化によって、人間が生態系から切断され、自然環境や四季の移ろいから疎外されつつあるのは事実であろう。
 そして自然は、そのなかで私たちが生き、共存してゆくものではなく、人間の欲望に従わせるもの、そのための資源と化してしまった。

          

 これはものごころついた頃に疎開で田舎に転居し、今のように機械化されず、田植えから田の草取り、稲刈りまで、まさに地を這うような労働を、そして、その結果としての実りの喜びを観てきたものの感傷かもしれない。

          
 
 テクノロジーの進化は、生産性を飛躍的に向上させ、それにより余暇を与えられた人間はより豊かになるはずであった。しかし、かつて地を這って労働していた人たちより、今の人たちのほうが本当に豊かなのか、いろいろ考えるところではある。

          

 いわゆる先端企業で過労死が頻発する事態は決して正常とはいえまい。奴隷時代ならともかく、「自由な」労働市場でそれが起こっているのである。それらを規制すると称して、ちゃっかり抜け道を用意している法案が強行採決されようとしているとき、その法案のまやかしを暴いてゆくことは必須といえる。

 と同時に、そこへと至った私たちの文明史を振り返ってみる機会であるのかもしれない。
 田んぼの話が、いくぶん飛躍した感があるが、私のなかではつながっているのだ。
コメント (2)
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