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「雑然こそ素晴らしい ! 」 今池まつりのレポート

2012-09-18 16:21:30 | 催しへのお誘い
 16、17の両日は今池祭りでした。
 名古屋の今池という街は「雑然としていて駄目だ」というのは行政に委託されたコンサルタントの提言の結論でした。1989年のことです。
 雑然?雑然がなぜ悪いんだ?その雑然をぶっつけてやろうじゃないか・・・というので始まった今池まつりなのですが、今年でもう24回になります。

 
  
  


 嬉しいことに「雑然がなぜ悪い」というコンセプトは今なお生きています。
 これはまさに、電通や博報堂を始めとする広告会社の介入を一切断り、すべてが住民の手作りで運営されていることの賜物だと思います。
 ですから、統制もセレクトもありません、今池と何らかの関連を持つという表現者がこの時とばかりわっと集まります。

     
     

 しこもこの街は、中心になる広場なぞを持たないので、おおよそ10箇所の空き地や公園で、同時多発的、かつゲリラ的にパフォーマンスが展開されるのです。
 どこで何を見るのかは来訪者の選択によります。

        
      

 しまった、あそこであれを見ればよかったということは頻繁に起こります。
 しかしそれが人生で、人生は選択なのです。
 広告会社のガイドに従って「正規」のものを見るのとは一味も二味も違った祭りがここにはあるのです。

          

 ここに載せた写真は、私がセレクトしたパフォーマンスです。
 しかしそれによって、私が見過ごしてしまった数々のもっと面白かったかも知れないパフォーマンスが背後にはあるのだと思います。

          
  
      
 ここには、私がこの街で過ごした30年の歴史と、そこで出会った人びと、別れた人びと、の歴史がぎっしり詰まっています。
 「雑然がなぜ悪い」は当初は負け惜しみだったかも知れませんが、ここにいたってポジティヴな意味を持っていると思います。
 必然性や科学的予測の中に人の生が収斂されてゆくなか、それらをはみ出してゆく、複数性、多様性、偶然性の中にこそ、予測を裏切る面白さ、真の「出来事」があるように思うのです。


  

 かつて今池はエロスに満ちた街でした。現行はそうしたものは不可視です。しかしどこかにそうした「エロスを隠し持った街」ではないかと密かに思っているのです。
 私はこの街に来るといつも密かにつぶやくのです、「雑然がなぜ悪い」、「雑然こそ命 ! 」と。

 
韓国芸能のノリパン農楽隊の写真をたくさん載せました。私が好きだからです。
  他にも理由があります。時節柄、変な連中からの横槍や妨害工作がありはしないかという心配もあったからです。
  しかし、それは杞憂でした。野次ひとつもなく、素晴らしい演技には全員が拍手を送っていました。
  それにこの組織は、まだ冷戦時代の頃、南北の在日の人たち、日本人のいずれをも問わず、半島の芸能を学ぼうとする若者たちが始めたものです。ですから今なお、そのメンバーは混成のままです。
  今から24年前の今池まつりにこのグループが初めて登場した時のことが忘れられません。
  今池は在日のひとが多い街です。
  そしてその頃はまだ在日一世の人がたくさんいたのです。
  そこでこのノリパン農楽隊の演奏が始まるや、そうした人たちが立ち上がり涙しながら共に踊り出したのです。
  「生きているうちにこれが聞けるとは思わなかった」とメンバーの手を固く握り締める人たちもいました。
  涙、涙の演奏になりました。
 
コメント (2)
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