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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

水無月に水を考える 付:レトロな建造物

2012-06-21 17:44:12 | 写真とおしゃべり
 岐阜市の水道水は美味い。
 全部で21箇所の水源があるとのことだが、そのほとんどが長良川の伏流水を汲み上げたもので、飲料水としての水質基準をはるかに高い値でクリアーしている。
 ようするに良質の井戸水が供給されているようなものである。
 それが証拠に、これら水道の原水が、無添加無処理のままセラミックフィルターでろ過したのみでペットボトルに詰められ、販売されている。その名も「清流長良川の雫」という。

                

 ところで昨年来、私は水に関する新たな経験をふたつした。
 そのひとつは中国山西省の山の民の生活に触れたことであった。
 ここではまさに「水は天からもらい水」で、慢性的な水不足状態であった。最近では麓から週一回ぐらい給水車が来るようだが、それではとても足りない。
 家々の庭には、中央付近にくぼみが穿たれ、庭の地面はそこへと向かって傾斜している。ようするに、降った雨を逃さずそこへ誘導しようというわけである。

 また、顔を洗い口を濯いだりした水も決して捨てない。それらは畑のための貴重な資源なのだ。
 一生風呂へ入ったことのない人、シャワーも浴びたことがない人が大半だともいう。
 まさに水を「湯水のように使う」私たちからは考えられないことであり、水の貴重さをしみじみと知った次第である。

 したがって帰国して以来、以前よりは水を大切にするようになった。ただし、その後時間を経るに従い、それも幾分緩んできているので、それに気づいた折には改めて自戒するようにしている。

               
                 中国山西省の民家の庭に掘られた雨水集積のための穴

 もう一つの経験は、昨春の原発事故以来、各地で続発した飲料水をも含めた水のセシウム汚染の問題である。
 それは地元はもちろん、東京都の水道水まで汚染する結果になっている。パニックになるので詳報はされないが、検出されたことは事実であり、現在それがどの程度まで収まったかは定かではない。
 また、先般のNHKの「報道スペシャル」によると、福島で出荷不能になている米の汚染も、山林に蓄積された放射能が山水とともに水田に至ったことによるという。
 
 あたら有り余る水を、むざむざ放射能に曝すとは、まったく惨いというべきだろう。
 ついでながら再稼働が急がれている大飯原発が事故を起こした場合、関西の水瓶といわれる琵琶湖の汚染は必至であり、京阪神の人々は飲料水は無論、日常使用する水を絶たれることとなる。
 その用水に依存する田畑の収穫物についても言わずもがなであろう。

 

 そうしたあおりを食って、岐阜市の上下水道事業部でも昨年来、放射性物質の検査を行なっている。
 以下はその、HPによる。
 「岐阜県では、福島第一原子力発電所の事故に伴い、東京都などの水道水から放射性物質が検出されたことを受け、平成23年9月より岐阜県内の水道水の安全性を確認することを目的に《水道水の放射性物質モニタリング検査が実施されることになりました。」
 そしてこの6月15日の最近の報告は以下である。
 「検査結果
   現在までのところ、放射性ヨウ素及び放射性セシウムは検出されておりません。」

   

 かくして岐阜市民は安心して水を使用することが出来るわけだが、原発からはるか離れたこの地で、そうした定期検査が行われなけれがならないこと自体がこの事故が及ぼした計り知れない影響の大きさを示している。

 この検査のモニタリング・ポストの一つが先に見た水源の一つ「鏡岩水源地」であり、私の居住区域もまたそこからの給水ブロックに属する。
 そこを訪れてみた。

 織田信長の居城があった金華山が長良川へせり出す辺りの山麓と、長良川の河川敷との間にそれはある。
 水源からの揚水そのものは別に見るべきところはないかもしれないが、40年ぐらい前までそのエンジン室、ポンプ室として使われていた二棟の建造物が、現在は「水の資料館」として一般に公開されていて、山裾に抱かれたそのレトロな佇まいがなかなか素晴らしい。

    

 国の有形登録文化財に指定されたこの建物は、赤い切妻屋根を方杖(ほうづえ)で支える山小屋風の意匠をもち、花崗岩を隅石や窓の縁取りに使用し、その丸窓など曲線が全体の風情によくマッチしている。
 またこの建物の最大の特徴は、外壁にすぐ目の前の長良川の川原で収集したという無数の玉石がはめ込まれていることで、それが無機的になりやすい壁面に素晴らしいアクセントを与えている。
 また何度もいうが、山麓に位置するというロケーションもこの建物の味わいをよく引き立たせている。

    

 この前の記事で触れた引退した発電機と同じ敷地内にあるのだが、その発電機といい、この建物といい、黎明期の技術が私たちの身近にあり、手の触れる距離にあった時代を回想せずにはいられない。
 とはいえ、もうその時代に戻ることはできない以上、現代の科学技術と私たちが共存してゆく新たな方法、とりわけ、その管理が専門家と称する政官財の一部の人たちに任され、それが不透明なベールの彼方にある現状をどう打破してゆくのかを真剣に考えないと、気づいたら破局の中にいたことになりかねないように思う。

 昨年の原発事故はそうした現状への警鐘にほかならないだろう。






 
コメント (9)
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