魔人の鉞

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渡辺清氏の 昭和天皇批判

2014-06-06 17:56:32 | 第2次大戦
戦艦武蔵の乗組員で、レイテ沖海戦の撃沈から奇蹟的に生還 (当時19才)
した渡辺清氏の文章を手掛かりに戦争責任を考える、「日本人と戦争責任」 
斉藤貴男・森達也 (高文研、2007)。

著者2人の考察は措いて、冒頭にある渡辺清氏の 「少年兵における戦後
史の落丁」 (「思想の科学」 1960年8月号初出) に感じるところが
ありました。

渡辺氏は言います。「ぼくら少年兵は純粋だった。大人の兵隊に劣らず
勇敢だった。(中略) 
どんな戦場の苦しみにも耐えてきたのである。進んで天皇に命を捧げる
機会を待っていたのである。(中略) それがどうだ、敗戦の責任をとって
自決するどころか、いのちからがら復員してみれば、当の御本人はチャッ
カリ、敵の司令官と握手している。ねんごろになっている。おまけ
に手土産なんかもらって、『マッカーサーがチョコレートをくれたよ』
などと喜んでいる。厚顔無恥、なんというぬけぬけとした晏如たる
居直りであろう。」 (13p)

しかし氏はさらに考える。「僕はこの戦争に対する責任から逃れられ
るのか。(中略) どういう動機にせよ、事実、僕は戦闘に参加したの
である。僕にはその責任がある。(中略) ほかでもない、自己責任で
ある。」 「僕は天皇に裏切られた。しかし、裏切られたのは正に天皇
をそのように信じていた自分自身に対してである。自分が自分の内部
に蟠踞していた天皇に裏切られたのである。これこそ自分が負わなけ
ればならないおのれの責任である。」 (15p)

氏の考察はこうして天皇批判から自らの責任の自覚へと深まっていき
ます。

それでは当の昭和天皇はどうなのでしょうか。右派の学者は、明治
憲法では天皇は無答責=責任がなく、輔弼する大臣や軍統帥部に
責任があると主張します。ところが無能な戦争指導で敗戦した
輔弼の者たちを責めるのも間違いで、不法な東京裁判は受け入れ
られないというのです。結局、天皇を助けて戦いに勝つことができ
なかった国民全員が悪かった、という国民総懺悔論に至るわけです。

昭和天皇の責任を否定するから、指導者は誰も悪くなかったなど
という結論になってしまう。満州事変を起こした関東軍を褒めた
勅語、緒戦の大勝利にはしゃいでいたこと、特攻を黙認したこと、
なんと沖縄戦後に自ら雲南作戦を発案したこと。ちょっと思いつ
くだけでも、昭和天皇が平和主義者などではなかったことがよく
分かります。
天皇の裁可なしには何一つ決めることができないのが大日本帝国
でした。開戦にも敗戦にも、最も責任が重いはず。終戦時に国体
維持を唯一の条件にしたのも、いろいろ言い訳はあるけれど、
情けない話でした。仁徳天皇のような仁君の歴史もあるのに、
なぜ自分の安泰を優先して、「天皇の赤子」 であるはずの一般
国民の保護安寧を条件としなかったのでしょう。天皇神話はすべ
てが虚言であったというほかありません。

昭和天皇の責任を認めないでは、「日本を取り戻す」 と呼号
する総理の下で、特定秘密保護法を使った思想統制と天皇崇拝
が取り戻される可能性があると思います。その時に、「自分が
自分の内部に蟠踞している大勢順応主義」 に裏切られないよう、
心しなければなりません。
        (わが家で  2014年6月6日)
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