花の公園・俳句 ing

日本は素晴しい花の国。美しい花々と公園、四季折々の風景を記録したいと思います。我流の俳句は06年3月12日からです。

銃後の国民の心を知る本

2014年06月12日 06時02分54秒 | 本、HP制作、写真のアップ       
特高月報や作家らの日記、報道などから太平洋戦争の銃後の国民の心を
探り出す、「流言・投書の太平洋戦争 銃後」 川島高峰 (読売新聞社、1997)。

いろいろ常識と思われていることが覆される本です。たとえば、今となっては
国内の食糧難は戦争末期と思われていますが、開戦わずか4か月後の1942年
3月に司法省が「 近時に於ける飯米不足の状況及之に伴ふ流言等発生状況」
という報告書を出しているそうです (60p)。

また東京では空襲後も焼け跡にバラックを建てて生活している人が少なくなかっ
たそうです。「縁故があってもそれをあてに出来ないのは、縁故先でのいざこざ
の主要原因が食糧不足を中心として問題が発展しているため」 でした (230p)。
「焼け跡の上で順風美俗は解体していた。家族は親類縁者というより広範な結び
つきから、切り離されることを余儀なくされ、いわば核家族単位で生き抜くしか
ない」 のでした。戦後の核家族化の淵源がここにあったのでしょうか。

また権威主義と 「顔」 の横行 (215p)。美しい天皇制家族神話とはまったく逆の
ことが横行していたのでした。

大変浩瀚な資料を読み込んでいますが、2つほど指摘したい事があります。一つ
は、宣戦布告が遅れたのは在米大使館の不手際であると断定していること。(39p)
これは2008年の井口武夫「開戦神話 対米通告はなぜ遅れたのか」で解明された
ように、在米大使館の責任とは言い難く、そもそも最後通告としての文言をわざ
わざ削除していること、が明らかです。刊行がこの本の10年ほど前では仕方が
ありませんが、いったん出来上がってしまった通説を訂正するのは大変です。

また1945年3月10日の東京大空襲の被災地を天皇が視察したことに、まったく触れ
ていません。日記に残した人もいた思うのですが、ちょっと惜しまれます。

そうした点に注意すれば、この本は実に貴重です。 
        (わが家で  2014年6月11日)
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