NHK大河ドラマ『龍馬伝』は好評放送中ですが、何やらピーチクパーチクにぎやかな鳩山邦夫議員にいくらか請求しなくていいもんでしょうかね。
慰謝料的な。いっそ損害賠償的な。龍馬をダシに使うなと。イメージが壊れるじゃないかと。せっかく福山雅治さんをかつぎ出したのに。
西郷隆盛と勝海舟の間を取り持って江戸無血開城を果たした故事を念頭に、ご本人は、頭脳の与謝野馨さんと、人気の舛添要一さんを取り結んで、自民党ではなくて、かつ民主党に代わり得る新進勢力を形成する気満々だった様ですが、どっちが西郷か海舟か、いずれにせよ“ありがた迷惑”どころか“迷惑迷惑”の表情。「この指とーまれ」したら、誰も集まってこなかったという、いちばんイタいパターンになってしまいました。
幕末群像における坂本龍馬と、初当選時の新自由クラブを皮切りに数々の会派を入ったり出たりした邦夫さんとの間に、イメージ的に距離がありすぎるということはさておいても、歴史上の人物や偉人の名前を引き合いに出して「私はこうなりたい」と言うには、年齢制限があるべきだと思うのです。
小・中・高校生まで、最大限譲って大学生も部活勧誘に目を白黒してる新入生までは、「野口英世になりたい」「緒方貞子さんのようになりたい」と言ってもいい。しかし完成品の社会人、会社人間、ましてや選挙で選ばれる国会議員になってまで「○○のようになりたい」「平成の○○たらんとする」と言うのは恥ずかしいです。邦夫さんなど28歳で初当選から勤めて11期、政治家を志す若者たちから「鳩山邦夫さんのようになりたい」と言われる立場になっていてもいい、なってなきゃおかしいベテラン代議士のはずです。61歳閣僚経験ありながら派閥トップにすら推す声もないトウの立った金まみれ世襲議員の分際で、31歳志なかばで凶刃にたおれた叩き上げ異才の人・坂本龍馬「になりたい」と媒体の前で公言する滑稽さ、みずから気がついていないとすれば、「東大法では教養は学べないんだなあ」と思うしかありません。
いい年をして「誰某になりたい」と臆面も無く発言し、「私は自分を誰某のつもりでいる」となぞらえることはイタくて滑稽、かつ僭越で見苦しい限りですが、ひとり静かに晩年まで胸のうちに“尊敬する人物”の面影を秘めているのは尊いことです。月河の遠い親戚のお爺ちゃんは一兵卒として太平洋戦争に従軍し復員した経験がありますが、部隊長として従った大尉を終生尊敬していました。漢詩、書道をよくし、兵舎で割れた黒板に論語や史記や杜甫の一節を書いて読み聞かせてくれるようなユニークな将校さんで、部下たちには厳しかったけれど「貴様らを生きて郷里の親兄弟に帰すのが俺の務めだ」「国を生かすのは人だ、天皇陛下もそう望んでおられる」と公言、最期は自分がマラリアに冒されながら敢然と撤退を指揮し戦死されたそうです。
お爺ちゃんは無事生還後、この部隊長さんに教わった漢籍を独学で勉強、生家の商売を長男に継がせた後は篆刻も習って、部隊長さんの書道の雅号を手彫りして「あっち(=彼岸)へ行ったら隊長殿に献呈するから、忘れずに棺桶に入れてくれと嫁にしつこく言っておるんだ」と笑っていました。本人は80過ぎまで長命したのですが、「隊長殿は義経公もかくやという凛々しい若武者で亡くなったが、こっちはこんなジジイになっちまって、お会いしてもわからんかもしれん」とも。
自分がその人の年齢をはるかに越えてもなお、自分より偉大で慕わしい人物として仰ぎ目標にし続けられる存在がいるというのは幸せだと思います。すでにそこばくの地位もある大人の「自分は○○のつもりだ」には“何様”“思いあがり”“結局自分がいちばん好き”のニオイがぷんぷんしますが、静かに心胆の底に据えた尊敬の念は、常に自分を一歩下がらせ無にして見つめる謙譲が芯にあるから、たとえ身体が老いても衰えても自分を成長させてくれます。
お爺ちゃんが亡くなったときはこだわっていた献呈用の篆刻のほかに、漢詩の手習い帳と愛用の筆が棺におさめられましたが、大学生の孫が「役に立つかな」と高校時代に使った古文漢文の教科書と参考書を出してきて、一緒に棺に入れてくれました。“生活がもう少し楽だったら高校にも大学にも行きたかった、オマエたちは行ける時代に生まれたんだから時間を大切に使って勉強しな”と口癖のように言っていて、「厚くて、きれいな教科書だなあ」と手にとって嬉しそうに眺めていた姿を孫たちも忘れませんでした。
ひとり鳩山邦夫さんだけに限らない。いま日本の中枢を担う人たちに必要なのは、有名で有能で偉大な誰かさんに“自分がなろうとする”ことではなく、大きな人物の前にいつも未熟で成長途上の自分の小ささを静かに自覚することだと思います。
邦夫さんって『龍馬伝』のOP見たことないのかな。“Idealist(理想家)”“Fighter(闘士)”“Peacemaker(調停者)”の字幕だけで、この人物に自分を、冗談混じりにせよたとえるのがどれだけおこがましいか、わかりそうなものなのに。
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