イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

純情愛情 過剰に異常

2018-02-05 17:12:32 | 芸能ネタ

 誰にでも幸福追求の権利というものがあります。

 男でも女でも、有名人にも無名人にも、中高年にも若者にも、既婚者にも未婚者にも離婚者にも、人として存在する限り、法に抵触しない範囲で“自分はこう行動したらいまより幸福になれると思う行動をしていい”権利は平等にあります。

 だから、好ましいと思う異性がいたら恋愛感情を持っていいし、黙ってられなかったら告白していいし、相手が乗ってきたらイチャイチャしたっていいし、「私はこの人と恋愛しているの」と世間に公言したって、それは全然構わないと思うのですが。

 ただ、どちらかもしくは双方が既婚者で、配偶者がすでに居る場合は、幸福追求権の行使と言ったって、「先客がいる」わけですわ。割り込みです。横入りです。昼どき行列のできるラーメン店の前に、並んで順番待つことを知らない中国人観光客がどやどや押しかけて舗道を塞いじゃったようなもんです。

・・・・あ、小泉今日子さんと豊原功補さんの話です。

 別にいいと思うんですよ、不倫でも、好きになっちゃったものはしょうがない。恋心に戸は立てられない。

 しかし“先客”がいる以上、公表とか宣言とか会見といったアナウンスメント活動についてはいま少し、恥じらい、遠慮、“先客を慮って慎む”という姿勢が、なきゃいけないというのじゃないけれど、あるほうが美しいし格好いいと思います。

 なんだかいつの間にか何処の方角からか「この(不倫と言えば叩かれる)ご時世に勇気がある」「慌てて否定やもみ消しや隠し立てをしないのは潔い」というようなささやき交わしが上がっているようなんで。こういうのは潔くもなんともない。「図々しい」「いけしゃあしゃあ」「ツラの皮千枚張り」と言うんです。

 昔、「不倫は文化でしょう」と口走ってはからずもご自身のキャッチコピーになってしまった俳優さんがいましたが、これも外野の第三者がある程度の距離置いて眺めて「ああいう男女関係も、ある意味風情があるね」「カタチになってるね」「キャラに合ってるよね」等と論評する中で出てくるなら「文化でしょう」もアリですが、当事者本人もしくは本人たちが「コレ文化だから」と自称したら終わりです。ただの開き直りです。醜悪そのものです。

 慎みや遠慮や恥じらいをぜんぶ取っぱらって裸にして、他人に見せたら、人がおのれの幸福追求にいそしんでいる姿は醜悪なものです。文字通りカタハラ痛いものです。

 含羞の欠片もなく一意専心にテメエの幸福を追求する姿を、テメエで広報宣伝する、それが「潔い」と勘違いされる世の中は、非常によろしくないのではないかということで。

 見方を変えればあれかな、小泉さんが一時筆頭だった80年代アイドルをおかずに育った男子諸君が、いまやマス媒体や言論界の管理職クラスを占めるおじさま軍団になってるってことなのかな。あのへんの元アイドルはしばらく、向こう10年ぐらいは、何やっても総スカンとまでは叩かれないのかも。やっぱり青春の思い出は、いつまでもカッコよくあってほしいですからね。青春って自体、じゅうぶん一意専心でこっ恥ずかしいのにね。

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