イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

伝説の男

2007-11-18 19:58:45 | CM

もう数日前の訃報ですが、元・西鉄ライオンズ投手で監督の稲尾和久さん、亡くなられましたね。

70歳。うーん。往年のスポーツヒーローは、監督や解説者としてメディアに露出せずとも、とにかく“生きた歴史”として「居てくれるだけでいい」のに、惜しい年代で倒れるかたが多いような気がします。

同世代の中でも抜きん出た身体能力、筋力、瞬発力、持久力、へこたれない根性・精神力を備えていたからこそのスポーツヒーローなのですが、そういうフィジカル面の優秀さ強靭さと“病気にならない”ということは必ずしも一致しないんですね。

月河もさすがに稲尾さんの現役バリバリ時代にはまだ生まれていなかったので、資料で知るのみですが『神様 仏様 稲尾様』ってすごい見出しだしキャッチですよね。

もし本当にこの通りの見出しを冠した当時の新聞が存在したとしたら、考えた記者かデスクが、「これで行こう」と思いついた段階でもう胸震える心地だったことでしょう。“流行語大賞”的なものがあったら何冠も総舐め、その年前半のニュースや話題あれやこれやは全滅吹っ飛んだんじゃないでしょうか。

リアルタイムで見ていなくても、それくらいイメージ喚起パワーのある、何と言うか、背後に幾千万の人々の情念や渇望を引き連れて熱風を起こすかのような言葉です。

月河は残念ながら西鉄→太平洋やロッテの監督としての稲尾さんすらあまり記憶になく、いちばん印象があざやかなのは94年春~夏頃に放送されていたキリンビール・シャウトCMでの監督役です。

原田芳雄さんが落ち目の剛球投手に扮したこのシリーズ、稲尾さんは原田投手が「引っ込め原田!」「引退しろ!」の罵声を浴びつつ降板してベンチに下がってきたところへ「…変化球も覚えろよ」とどっかり腕組みのまま声をかける、という役。

原田投手は目もあわせず「引退したらな!」と悪態をついてダグアウトに消えるのですが、たぶん稲尾さん扮する“監督”も、現役時代同じことを監督に言われてきたんだろうな…と、世代の違う男ふたりの、それぞれの戦いの軌跡を垣間見せるような、ちょっと素敵な寸劇CMでした。

“いかにもプロ野球選手”なシマシマ背広にド派手幅広ネクタイの原田投手がインタビュー番組のしつらえで「客は野球を観に来てるんじゃねぇんだ、オレを観に来てるんだよ、この伝説の男原田を」と大見得切るヴァージョンを皮切りに、試合後?の原田のホテルの部屋に元カノ?元妻?から電話がかかってきて…なんてちょっと色っぽい篇もあったけど、意外とあっさりビール市場からは降板してしまいました“シャウト”。

稲尾さんが監督で、原田さんが落日エースの球団。

こりゃ、ファンもオーナーも連日シャウトするしかないだろうな。

稲尾さんのバリバリ時代はいまのように投手が先発・中継ぎ・抑え・クローザー等と分業化されていなかったので、先発完投した翌日の試合にリリーフ登板、なんてことも珍しくなかったとは、当時を知る大御所野球人の皆さんが強調されること。

ま、だからと言って現在と一勝の重みがどうこう比べて言うのも野暮な話です。当時は飛ぶボールとか飛ぶバットなんかもなかっただろうし、その代わり球場も古くて狭くてホームランになりやすく、でも雨が降ればしっかり中止になった。

カネになる、スターになれるプロスポーツの選択肢もほかにあんまりなかったから、学力や学歴では勝負にならないが、身体は地元一頑健で肩が強い、足が速いと自負する男の子はもれなくプロ野球志望だったはずです。

稲尾さんのすごいのは、記録より記憶。その名を聞いただけで呼び起こされるイメージ、映像、言葉、昭和30年代という時代の熱気、空気感でしょう。これだけは数字がどんなに塗り替えられても、代われる人がいない。

ご冥福をお祈りします。

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