イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

虎よ虎よ

2010-08-10 13:39:04 | 国際・政治

気がつけば、昨年の夏の終わりの総選挙→民主党政権誕生から1年になろうとしていますね。光陰矢のごとし。あたふたしてもダラダラしても、必死にものを考えても考えなくても、汗だくで働いても働かなくても、24時間経ちゃ1日過ぎるし、7日終われば一週間過ぎるし、12ヶ月過ぎれば1年経っちゃってるわけです。

国民の多くが大いに期待して成ったはずの政権交代だったにもかかわらず、鳩山由紀夫前総理が短期間で面白いように下げた内閣支持率。菅直人総理に交代してほどほど持ち直し、かと思ったら参院選前後の例の消費税発言からまた一本調子で下げ勾配となり、早くも支持・不支持逆転の局面を迎えていますが、ここへ来て「日本の総理大臣が1年ももたずにころころ変わるのは問題だ」「腰を据えた政策が何も打てないうちに立ち消えになる繰り返し、嘆かわしい」「トップがこう安定しないのでは、国対国のグランドプラン的な話が日本とはできないと、アメリカはじめ先進諸外国からも指摘されている、カッコ悪い恥ずかしい」みたいな論調が目について来ているのはどうなんでしょう。

トップがころころ変わる、つまり内閣ないし政権の短命化は、前の政権与党の所謂“55年体制”にかげりが見えはじめた1990年代前半から、もっと言えば中曽根康弘さん以降からすでに歴然としているのに、何ゆえそれから10数年、無為無策ころころ変わるにまかせたのちの2010年になってやっとこさ「ころころ変わっちゃイカンのだ」なんて、あっちの媒体でもこっちのメディアでも言い出すのか。

“いままでは我慢してきたが、もう堪忍袋の緒が切れた”という地合いでのこの論調ではないように思える。堪忍袋のせいにするには、いささか遅すぎ、溜めすぎです。

つまりは、思いっきりプリミティヴな言い方をすれば“上のほうからの圧力”が発生しているのではないかと思えてならないのです。

“世論が逆風でも、不支持率が支持率を下回っても、とにかく次の総選挙までの任期いっぱい、ひとりの総理大臣が踏んばって政策にあたるべきだ”と言わせたい、思わせたい、そういう空気にしたいという作為が、現政権から、もっと言えば菅総理とその周辺からはたらいているのではないか。

月河が民主党をいけ好かないのは(←逆に、他党にない好ましい、興趣尽きないところもありますが)、一事が万事こういう具合に“世論の風”に過敏で、神経質で、なおかつ、反対に「世論の風をどうにかすればどうにかなる」と思っているふしが濃厚なことです。

世論の風、国民の気分の風向きにヘコヘコちょろちょろし、かつ、なめてかかってもいる。

政権を任せ、リスクもコストもメリットも、この人たちの舵取りにゆだねて日本丸の乗客として生きて行こう…というハラを据えさせてくれる頼り甲斐、論評のし甲斐、ハッパのかけ甲斐から、これほど遠い政治家集団もない。

先頃の参院選で返り咲き当選された片山虎之助さんは、媒体での初見では「山上たつひこ『こまわり君』と同じ顔の輪郭の人って実在するんだなあ」という印象しかありませんでしたがそれはさておき(誰が何て言おうとさておき)、自治省官僚としてあるいは総務大臣としての在職中の業績とは別に(て言うかほとんど知らないし)、あまり政策や政局に直接影響を及ぼさない、一歩引いた距離からのコメントにおける表現力が実にユニークなかたで、いつだったか「民主党は風力発電だから、風が吹いている間は威勢がいいが、風がやむとたちまちガス欠になる」というような意味のことを言っておられました。

“風”次第、“風”に汲々、右往左往。“風”に目クジラ、本気で喧嘩。

片山さんのこの発言は今年の菅政権誕生に先立つこと何年も前でしたが、菅さん個人どうこうではなく、民主党自体の体質、志向、人となりならぬ“党となり”を言い当てて妙でした。

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