「アメフト」「日大」「悪質タックル」と三題噺みたいにワードが揃うと、まぁ出て来るわ出て来るわ、解説者なんだかコメンテーターなんだかよくわからない、要するに、日本大学ではないけど大学でアメフト選手をやってた、もしくはアメフトコーチの経験がある、もしくはアメフト取材歴が長い、もしくはアメフト選手と友達だった、もしくはアメフト選手が贔屓にするとんかつ屋を経営している・・等々を標榜してTVや新聞で顔と名前を晒しトクトクとしゃべる人が、日本にこんなに山ほどいたとは知りませんでした。テレビ局のスタッフやアナウンサーにも、多いんですねえアメフト経験者。
こんなに社会の隅々までアメフトOBが浸透し通して、すわ今回のような事案が起きたときに一斉に百家争鳴とばかり持論を述べ立てることができる状況なら、日本のアメフト界、とっくに世界トップクラスになっているはずだと思うんですが、大学日本一を争う強豪チームのレギュラーで、日本代表に選ばれるような優秀選手でもまだ“ひとりの強権監督の号令ひとつで思考停止して暴行傷害級の反則やってしまう幼稚園児レベル”らしいのです。
思うに、“アメリカン”・フットボール、という競技名がまずいのではないでしょうか。これが選手やコーチ等、現場の鍛錬研鑽にいそしむ人たちの意識の、ガラスの天井になっているのではないでしょうか。
“アメリカン”と付いている以上、どうしたって「本場はアメリカ」なわけです。「それを日本でやっているオレらは所詮アメリカ人のマネっこ」「マネっこなんだからマネっこなりの技量でいいや」「モティベーションもスピリットも本場アメリカの後塵を拝しているのが当り前さ、身の丈さ」という諦め、遠慮、自己評価の見限りが、精神の奥底に潜んでしまう。アメリカ発の、おもにアメリカ人だけが熱狂する種目の代表である野球で、1990年代以降日本人から本場MLBも驚嘆するメジャーリーガーを輩出するレベルになったのは、やはり長年“ベースボール”ではなく“野球”として日本国内で親しまれ、日本人の競技としてプレーされ観覧されてきた積み重ねの結果だと思います。
名前って大事ですよ。よその国の名前が付いていると、やはり“他人事”とは言わないまでも、「当たり前のように自分らが世界一目指す、世界一になる」という意識になりにくいと思う。たとえばですが、“ジャパニーズジュウドー”“ジャパニーズスモウ”という種目名で外国に浸透していたら、外国人横綱大関(栃ノ心関昇進おめでとう)、外国人五輪メダリストがこんなに続々絶え間なく出たかどうか。「日本人が日本でやっていればいい競技」と見なされて、「やってみよう」「国技ヅラしている日本人負かして頂点を目指そう」と参入してくる選手、力士もそうは現れなかったのではないでしょうか。
今回の問題を反省した同大学の選手たちが「たとえ監督の指示であっても、ルールに抵触することは拒否しなければならなかったのに従ってしまった」という点を反省事項にあげていましたが、自立自尊より“依存”“忍従”を優先させてしまう姿勢も、意外とこんなところに遠因があるような気がします。
聞けば、アメフトにも“鎧球(がいきゅう)”という、名は体を表す立派な日本語種目名があるとのこと。日大アメフト部ももはや従来の組織や管理ノウハウは白紙にしないわけにいかないでしょうから、これからは“アメリカン・フットボール部”ではなく“鎧球(がいきゅう)部”として新たに日本一、世界一を目指してはどうでしょうか。
それにしても、一連のアメフト経験者のコメントでいちばん笑ったのは、確か『ミヤネ屋』だったと思います。アメリカのワシントン大学でコーチ経験があるという追手門学院大客員教授の人が、キャスターに「アメリカの大学アメフトでは、こういう(日大のような)監督によるパワハラ的な、精神的に追い詰める指導はないのか」と質問されて、「アメリカでは練習がシステマティックで分刻みのスケジュールだから、ひとりの選手を集中して責めてる様な暇がない」という意味の事を言った後、「それにアメリカは銃社会ですから、誰でも銃が持てる。あまり追い詰めると、選手がロッカーに銃を隠し持っていて、監督を・・とならない保証はないから」と、ちょっと半笑いで答えていて、これはブラック過ぎてこっちが笑いました。キャスターも「そうかー」と納得笑い。
そうか、日本で所謂“体育会系”のシゴキや“かわいがり”、「監督に“ハマる”」なんてのが平成の今日までまかり通ってきたのは、選手が丸腰だったからなのだ。これを機会に日本でも銃携帯を全面的に許可すれば、指導者によるパワハラも暴力も根絶し、明朗でフェアな大学スポーツになるかもしれません(ならないかもしれません)。