イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

紳士だったら知っている

2013-11-04 00:39:54 | アニメ・コミック・ゲーム

 打撃の神様・川上哲治さん死去。 

・・と聞いても、赤バットの現役選手時代のイメージがマッタク無いのは、なにぶん当方が生まれるかなーり前に引退しておられたかたですからしょうがないとして、V9を達成した巨人軍監督時代のお姿も、気がつけばあんまり記憶が無いのですな。
 

背番号が77だったか88だったか、重くてゾロ目で縁起のいい感じの数字だったはずです。昭和389年には当時住んでいた地域でも読売系列のTV放送が視聴可能な環境になっていたし、長嶋さん王さんファンの男子諸君も周囲には多かったのですが、当時の野球中継には監督をアップで映したり、ピンのインタヴューを流したりする機会があまりなかったように思う。月河が川上さんを“野球界の凄い人”としてヴィジュアルを認識したのは、“現物”じゃなくて漫画『巨人の星』作中でした。
 

設定としては確か飛雄馬パパ・星一徹さんと、第二次大戦出征前はともに読売巨人軍選手として同じ釜の飯を食った元・戦友で、一徹さん家族が長く住んだ下町のボロ長屋におしのびで訪ねてくる場面も一度ならずあったような。月河の初見は昭和434年頃刊の単行本で、画像引用するのはこのブログの任ではないので省略しますが、結構でっぷりして、顔にも笑いジワとも渋面ジワともつかないヒダヒダの多い、なんだか叩き上げのブルーカラーの社長みたいな絵柄でした。“巨人”の星というタイトルの作品における“巨人”の大監督ですから、流れ上は主人公が仰ぎ見る立場でありやがて味方になり上司になるわけで“偉くて頼れる人”ポジションの描かれ方とはいえ、あの絵柄はご本人サイドからクレーム来なかったのかな。
 

“現物”のほうを初めて見たのは日曜朝の『ミユキ野球教室』で、たぶんシーズンオフの放送回です。漫画と似ているようで全然似てないので、「コレがカワカミ監督?」と驚いた記憶があります。衝立っぽいいかつい体型ではあったけれども、結構、締まっていて、地方出身の元・野球少年らしい青臭さや素朴さを残した“軍隊系で農耕民族な体育会おじさま”だったように思います。『巨人の星』での絵柄は返す返すも老けさせ過ぎで、漫画の単行本は雑誌連載に遅れて刊行されますから、あの絵柄に描かれた当時の川上さんはまだ40代前半~半ばぐらいだったはずですけどね。
 

川上監督の他にも、ユニホにベースボールキャップもしくはメット姿でない、スーツ等の私服姿を見たのはこの『野球教室』でが初めてだったプロ野球選手は数多く、月河が当時から、及び現在でも、野球選手に所謂「萌え~」を感じたことがないのはそのせいかもしれません。何せ、キャップ無しだと、大抵の選手が刈り上げもしくはスポーツ刈りなんですよ。そしてスーツの横幅がやたらでかい。幼稚園坊主の頃から背伸びして、少フレ週マ別マになかよし、りぼんの類いを愛読していた小学生女子月河には、到底“憧れ琴線”に触れないヴィジュアルの人たちばっかりでした。
 

ただ、スタープレイヤーと呼ばれるような主力選手たちは、さすがに私服にスポ刈りでも独特の、旬のオーラとでも呼ぶべきものは画面から伝わってきていて、昭和何年のオフシーズンの放送だったか忘れましたが、長嶋茂雄選手がちびっ子ファンからの「今年は4割打ちますか?」の質問に「打ちますよ!もちろん打ちます!」と笑顔で、バットを持つ手の形をしてみせて即答していたのが印象的でした。実際の長嶋さんは、ビックリするほどの高打率を続けたタイプの選手ではなく、4割を窺うどころか通算3割オーバーだったシーズンは17年間のプロ生活中9回か10回ぐらいだったはず(それでもたいしたもの)ですが、月河は長嶋さんと言えば、「『野球教室』でちびっ子からああいう質問が出て、ああいう答えを速攻出す人」というイメージで今日までも記憶しています。
 

川上さんは、良くも悪しくも“戦前”の匂いをまとった最後の世代のプロ野球人のおひとりだったのではないかと思います。彼が指揮を執った時代の巨人軍は、前出の様な漫画の題材になったり、ONなど個人の人気選手たちとは別に、黙々と勝ちに行って本当に勝つみたいな色気も艶気もない戦いぶりが、少なからぬ“アンチ巨人”を生みもしました。しかし軍隊従軍経験者からすると、勝負は勝つことがすべてで、とにかく勝たなければ物も言えないしごはんも食べられないし、明日も明後日も来年もないのです。どんな接戦でも僅差でも、過程が名勝負でも、結果負けならそこでぜんぶ終わりです。
 

勝つこと、ただ勝つことに集中し徹底する川上さんのスタイルが、別の一角にアンチ層を育てつつ一時代を築いたという事実は、日本のプロ野球史にとっては大きな宝ではないでしょうか。いろんなタイプの指揮官がいていいし、いろんなカラーのチームが存在していいけれど、「どこよりも長く頂点に君臨していたのが川上さんの率いるジャイアンツだった」という史実は、ひとつの原点として長く記憶にとどめておいていいと思うのです。
 

人生がジャイアンツの歴史の一部でもあった川上さん、訃報の伝えられた1030日は日本シリーズ第4戦で、vs東北楽天イーグルス対戦成績12敗から起死回生の逆転勝ちをプレゼントしてくれましたが、名将の弔い合戦も第6戦で今季無敗田中マー君に土をつけたところまででツキを使い果たしたような結果に終わりましたな。彼岸で川上さんが「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」とゲキを飛ばしているかも・・・ってこれは野村克也監督のほうの名言だったかな。
 

とにかく93歳、一代に時代を二つも三つも経験され見聞された人生だったと思います。漫画の中でまで監督やってたのですからね。お疲れ様でした。ご冥福をお祈りいたします。ちなみに来年はうちの日本ハムファイターズが巻き返して東京ドームに乗り込みますので天国からの解説とゲキはお手やわらかに。 

コメント
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