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イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

アムロ生きます

2017-12-08 19:26:27 | テレビ番組

 引退までカウントダウン中、閉店フェス中の安室奈美恵さん、大晦日のNHK紅白歌合戦出場は決まったのでしょうか。

 NHK会長は是非ともと言っていたようだけれど、安室さんって、演歌系歌謡曲系の畑から出た歌手と違って「NHKさんのおかげで今日がある」的な意識は薄そうだし、安室さんのファンの皆さんも、通り一遍のいち出場者の扱いで何が何でも紅白で見たいとまでは思っているかどうか。

 改めて会長みずから「出てほしい」と表明するくらい、安室さんって紅白と縁が薄いのかな?と、当方も紅白を、司会者発表だ初出場組のお披露目だの前振りニュース以外、“本編”を見なくなって久しいのでちょっと手元で調べてみたら、1995(平成7)年から2003(平成15)年まで9年連続出場して、その後は安室さん一度も出ていません。一度は常連の時期があって、それから14年間のインターバルがあるとお久しぶり感、引退興行中ということもあってスペシャル感もかなり期待されるのだろうと思います。

 それにしても“アムロちゃん”、もう40歳ですか。茶髪に日サロガングロ、足くじきそうな厚底ブーツにタイトなマイクロミニのフォロアー=“アムラー”さんたちを量産していたのがもう二十年以上前です。安室さん本人が結婚や出産や離婚を経ても、忘れられるほどのブランクもなくバリ最前線に居続け、ボディや顔の輪郭もシュッとしたままで、これだけ邦楽シーンの変転が激しい中でも楽曲面でも進化し続けて過去の人感がまったくないので、もう引退を考えるようなトシかマジか?と不思議な気がします。

 来年9月16日をもって引退、の報を伝えるTVで、テレビ朝日の宇賀なつみアナウンサーだったと思いますが、「物心ついてからずっと安室さんがいて、曲を聴いてきたので、安室さんが(芸能界、音楽シーンから)いなくなるとどうなるのか想像ができない」というような意味のことを言っていて、宇賀さんは1986(昭和61)年6月生まれ、安室さんがSUPER MONKEY'Sのセンターとしてデビューしたのが1992(平成4)年、グループと別名義でのソロデビューが95(平成7)年4月ですから、宇賀さんがTVを見て振り付けや歌を覚えて真似したいさかりの小学生女子になった頃からずっと、安室さんはスターダムにいたわけです。アムロちゃんがいない世界が想像できない・・と、大袈裟に言えばこんな所感を抱く宇賀さん世代も、もう若者でもギャルでもコギャルでもなく三十路に入っている。「ウチの娘がアムロちゃんアムロちゃんってもう夢中なのよ」と苦笑いしていたお母さんたち世代に至っては、五十代後半から還暦越えてるかもしれない。これだけ幅広い年代に認知されていて、引退と報じられれば「えーっ」と興味を喚起できる力のある歌手はいま、ほとんどいませんから、NHK紅白スタッフが前のめりになるのもちょっとは理解できます。このご時世、“歌”でTVの画面の前に客を引っ張ってくるのがどれだけ難しいか、いちばん身にしみているのが紅白スタッフでしょうから。

 安室さんが紅白に定着していた1995~2003年の期間というと、個人的には、完全に年末の念頭から紅白の存在が消えてなくなっていた時期と一致するのですが、その間一度、あれは何年だったのかな?夕食時からレンタルの映画を見ていて、ビデオ入れ替える(まだビデオでしたよ)のにいったん止めたら、高齢家族が「氷川きよしの歌だけは聞きたいな、あのコの声はなかなかいいぞ」と言い出し、たまたま遊びに来ていた非高齢家族の知人が「私も浜ちゃん(ダウンタウン浜田雅功さん)たちの『明日があるさ』は見たい、振り付けちゃんとできてるかどうか」と同調したので(・・それで思い出しました。Re:Japanが出たんだから2001年でした)、当時はまだネット環境になかったのでNHKの、懇切丁寧に大体の歌手順放送時間が載ったウェブにアクセスなんてこともできず、新聞で曲順を調べて、「そろそろかな」「小林幸子が歌ってたら次だから」「絵ヅラ派手だからすぐわかるな」なんてやってるうちに、全然見たことのない人がポンと映って「誰このおばちゃん、知ってる?」「知らない」「歌うまいね」・・って紅白に出るようなプロの歌手だからそりゃ歌はうまいの当たり前でしょうが、居合わせた老若5人ほどの誰も顔を知らず、曲順表をもう一度見て「小柳ゆきだって」「あぁ居た居た」なんてこともありました。前々年に『あなたのキスを数えましょう』という曲が大ヒット、大ブレイクした小柳さんは2001年にはまだ19歳ですから“おばさん”呼ばわりは失礼というより「眼科行け」ですが、メイクなどがえらく大人っぽく、というか“初々しさの対極”に見えた以上に、この時点で既に“旬を過ぎた”感が強かった。

 この年の紅白の安室奈美恵さんは、氷川きよしさんより歌唱順が多分後だったはずで、見てないのでどんな曲をどんな感じで歌ったのかわかりませんが、色褪せずくたびれずに何年も前線に居続けるという事はたいへんなことだな、と思います。安室さんが出ずっぱりだった間に、ものすごい勢いで脚光を浴び高評価されては、倍の勢いで退いていったアーティストは、小柳さん以外にも数えきれないでしょう。

 そして、紅白歌合戦についても、「贔屓の〇〇の出るところだけ見たい」「何時何分頃だ?」と検索されて摘み食いされる時点で、昔ながらの“歌合戦”はもう成立が無理だと認めたほうがいいと思う。1970年代でも、たとえば若い頃から洋裁をやっていた月河の実家母は「いしだあゆみの衣装が楽しみ」「順番来たら教えて」と言いながらおせち料理の小分け盛りなどやっていたものですが、いしださんが出ていないときでも、誰が出ているときでもあの頃の茶の間のTVは、紅白やってる時間は紅白がたらーーーっと流れているのが当たり前で、誰も無駄だとは思っていなかった。いまの平日の朝ドラと同じ、善男善女の環境ビデオの“ハレの日”版みたいなものだったのです。

 こういう緩い、ある意味“逆贅沢”なTV番組の作り方は、さすがにもう無理でしょう。できなくなったことを嘆くのではなく、そういうやり方が“社会的使命を終えた”と思っていい。誰に、どんな人に見てもらうために、どんな出演者にオファーして何を歌わせるか、何をやらせるか、細かく狭く、囲って絞って研磨して打ち出さないと、3時間も4時間も「誰が見るんだ」な番組になってしまう。安室さんであれ誰であれ、或る一人or一組のアーティストに「是非出ていただきたい」とあからさまにヘコヘコするのは、制作側の“芸のなさ知恵のなさ”を露呈して恥ずかしいからやめたほうがいいと思います。

 ・・・ところで、来年、宣言通り引退されたら4日後に満41歳になる安室さん、芸能活動をやめたらどんな生活を計画しているのでしょうね。普通に就職したOLなんかだと、やおらこれから婚活だ妊活だとジタバタし出してもおかしくない若さで、悠々自適です。これだけの期間前線に居て、途切れずヒット曲を出し続けていたら、もう“一生遊んで暮らせる”を20回ぐらいやれる余裕があるはず・・ってイヤらしく自分の物でもない蓄財状況に想像を膨らませてもしょうがないですが、売れた芸能人がよくやらかす、株や新規事業に手を出したり、胡散臭い投資話に乗せられたり、人の保証人になって大火傷なんて噂も聞かないですし、一方ではローティーンの頃から芸能活動一本で、普通のギャルなら学園生活や旅行や合コンざかりの年頃をずっと働き詰めだったわけですから、あとは好きな事を何してもいいし何もしなくてもいいし・・と思ったら、もう結婚も出産も離婚も経験済みなんですね。なんという濃い人生。前倒しの人生

 じゃあ、あと、やってない事といったら、国政進出ぐらいか。選挙の話、もういろんな党から来ているんだろうな。沖縄出身、子育て、バツイチシングルマザーと、美味しい記号いっぱい持ってるもんなあ。お金に困らないで自由になれるって話はアカの他人でもなんか気分がいいけど、くれぐれも自由の使い道を誤らないでね。思いっきり老婆心でした。 


改善カンコク

2017-11-25 21:15:31 | テレビ番組

 日中、TVの“国産”番組を見ると大相撲横綱の暴行問題ばっかり(しかし所詮、上も下も“酒の上の失態”やらかしたってだけの話をよくまあこれだけ膨らませるもんです)だからというわけでもないんですが、先月から、久々の個人的韓ドラブームが再来して、ふと日中のチャンネルをザッピングしてみると、そこらじゅうで新旧の韓国ドラマ花ざかりなんですな。特に民放BSは、朝から、夕方深い時間まで、ほとんど韓ドラとTVショッピングと言ってもいいくらい。国産の時代劇や2サスの再放送もありますが、多勢に無勢。

 試しに、24日(金)の『TV Bros.』のTV番組表から拾ってみたら、地上波BS合わせて25本、韓ドラやってました。25本ですよ。WOWWOW、CSなど有料チャンネルを入れたらもっとあるでしょう。

 平日でなければ、BS11には週末土・日だけの韓ドラ枠が二つあるし、日曜夜9:00~にはNHKBプレでも一本、土曜朝にも再放送で一枠あるはずです。

 これ凄くないですか。というより、怖くないですか。BS限定ならドラマ枠の過半が外国製、それも韓国製いつからこんな按配になったんでしょう。たまたま興味持ったから調べてみたんですけど、興味持たなかったら知らずにいるところでした。

 月河が物心ついて、大人の見ている番組をチラチラ見て、意味が分かって興がれるようになった昭和40年代前半頃は、NHKも含めて、アメリカ製の、日本語吹替所謂“アテレコ”のTVドラマや劇場洋画がかなりの枠を取っていた記憶がありますが、まだUHFもない頃でチャンネル数が少なかったにせよ、“朝から夕方までどこかしらで必ずやってる”ほどの占有率ではなかった。春夏冬休みや風邪で休んだ日の記憶だと、平日はたいてい、昔ながらの、昼“メロ”というほうがぴったりくるベタな昼ドラ、それとワイドショーが主体だったと思います。さもなきゃちょっと前の、夜やってた番組の再放送。何しろ子供だったもんで夜9:00以降はTVはダメという決め事があった時期、この時間帯にチャンバラとか、血糊も有りお色気もありの系統が正々堂々と(?)垣間見られたのは有難かった。

 ともあれ、日本人が日本で制作した、日本人が日本語でしゃべる番組が、TVをつければいつでも放送されていた。それが当たり前でした。洋ものドラマや劇場映画も吹替で、ジョン・ウェインもアラン・ラッドも、ゲイリー・クーパーもグレイス・ケリーもオードリー・ヘップバーンも日本語で台詞言って、言い争ったり啖呵切ったり、甘く口説いたりしていました。いま放送されている韓ドラって普通に字幕放送で、画面から目を離せば韓国語の会話がぎゃんぎゃん叫んだり号泣したりしているだけのテレビになるのです。日本のテレビ局なのに。

 なんかヘンだなぁと思うだけで、いいとか悪いとかの問題ではありません。面白くて日本の視聴者の趣味嗜好に合っていると思ったらどこの国の何国語のドラマでもソフトでも放送して構わないし、こちらも面白いと思えば視聴するし、つまらなかったり不快だったりすれば見ないだけです。

 ただ、ここ数年、日本のドラマ界は目立って低調なのです。ヒット作がなかなか出ないし、人気漫画原作や旬のアイドルを起用したりで鳴り物入りでスタートした作品でも、地上波プライムタイム・ゴールデンタイムのいちばん敷居の低い枠で視聴率が10パーセント行かない事が多い。制作費・宣伝費がかさむわりに数字が取れないから、連続もの、単発ともに、ドラマ枠自体どんどん減ってきていて、かなり有名どころベテランクラスのドラマ俳優さんたちがぽっと出の雛壇芸人に混じってバラエティで面白い事を言わされていたり、TVショッピングでサプリや健康器具のデモンストレーションをしていたりは珍しくなくなりました。

 なぜ低調になってしまったか。原因はいろいろ言われていますが、視聴者がドラマというソフト形態に倦んできた以上に、制作側がドラマの作り方を見失ってしまったということはないでしょうか。数字が取れないもの、数字のわりにコストがかかるものを避け、暴力やセクシーなど放送コードに抵触しそうな要素を避け、スポンサーに気を遣い、長い付き合いの芸能事務所の顔を立て、昔に実績あった老トル作家に頭を下げ、バラエティでブレイクしたてのお笑い芸人を引っ張ってきたり大手所属のアイドルをはめこんだり、あっちを曲げこっちを縮めて無理くり絞り出しているうちに、本当に視聴者が待望し喜ぶドラマってどうやって着想しどう作るんだったかわからなくなっているのではないでしょうか。そして、そういう志の低い作品ばかり見せられているうちに、視聴者も「ドラマなんて所詮こんなものだ」と期待しなくなっていくし、ドラマに夢もリスペクトも持たなくなっていく。これではクォリティも数字も無限デフレスパイラルから脱出できません。

 ドラマの居場所がどんどん狭くなってきているこんな状況で、韓国ドラマが一日25本って、どこか間違ってないですかね。その枠の半分か三分の一でも、自前の、国産ドラマ制作実験&育成枠に使えないものでしょうか。新人脚本家にチャンスを与えて、長尺の連続モノの書き方を覚えてもらえば、次の次の次ぐらいに地上波プライムでの放送に耐えるホンが出来るかもしれないし、そのまた次の次ぐらいには大河ドラマやテレビ小説を半年一年任せることができるかもしれない。ブレイク前の俳優さんを多数起用すればギャラ人件費も安く済みます。「そんな無名役者ばっかりじゃ数字が取れないよ」という向きもあるかもしれませんが、韓国ドラマの俳優さんは大多数の日本人視聴者は知らないわけで、本国では有名でも日本では無名と一緒でしょう。ストーリーにひかれて二作、三作と続けて視聴していると、あ、あの俳優さんが前見た時と全然キャラ違う役どころで出てる!ということが何度かあって、だんだん俳優さん単体にも興味がわいてファンになって、次の出演作を待望するようになる。役者さんだってファンが増えてくれば演技にも熱が入って、出演作を重ねるごとに風格も華もついてくる。こういう流れを国産ドラマで普通に作れるはずです。

 韓ドラの番組BBSはどれもそこそこ賑わっていて、ストーリーや個々のキャスティング、時代背景やセット小道具などにも興味津々でツッコみが入ったり展開についてのシロウト予想が繰り広げられたりしています。“TVのドラマ”の、いろいろな切り口を楽しみたいお客さんは、数字の字ヅラほどには激減していません。作り手が熱意もって発想して形にしてくれないから、諦めて離れているだけです。「出来上がった韓国ドラマ買ってきて枠に嵌め込むほうが労力も予算も安上がり」なんて思わないで、日本人が日本人の客のためにモノを作る気概を、もう一度取り戻してもらいたいものです。


楽しドラマ

2017-11-03 23:27:51 | テレビ番組

 せっかくWindows 10搭載の新品を入手したのだからもっといろいろやってみればいいのですが、何もしないから何も恩恵も、スキルの進歩発展もないうちにはや十一月。前回のエントリが八月のお盆前でしたから、振り返ればいろいろありましたねえ。ミサイルもあれからまた飽きもせず飛んできたし、衆議院解散、総選挙なんて騒ぎもありました。

 個人的に、日常ライフで意識して変えたことと言えば、朝ドラ視聴から撤退しました。撤退しましたったら撤退しました。あーーすっきり。別に『ひよっこ』の後から始まった『わろてんか』が、致命的につまらないからというわけではないのです。誤解無き様。

 要するに、わかったんですね「コレ、詰まるところはスタッフのマンパワーと受信料を費やした良心的環境ビデオだな」と。

 ずいぶん昔に読んだ近未来SFで、映画も小説もコミックも、どこかの万能人工知能が一般民衆の好みを分析して、好まれる要素だけを抽出して組み合わせて作ってリリースするから、「おもしろくない映画」も「退屈な小説」も存在しない・・という、一見、夢のような、一周回って悪夢のようなくだりがありましたが、NHK朝ドラもここ数年の人気高止まりで、“この枠の客が好むもの”“嫌うもの”が制作側にくっきりはっきりわかってしまっているので、題材にせよ演出にせよキャスティングにせよ、“嫌われるのを承知で攻める”ということができにくい環境になっているのだなと思います。

 そうは言っても『ひよっこ』は最終話まで完走したわけですが、宮川彬良さんの音楽を聴いていたかったからという事がいちばん大きかった。中盤過ぎまで引っ張った出稼ぎお父ちゃん蒸発→記憶喪失→高名な女優が保護匿う、というくだりは、作家さんとしては朝ドラ枠ではなく夜22:00台ぐらいの、シリアスコミカル半々ぐらいのドラマ用に考えていたスジではないでしょうか。なんか、あのスジだけドラマ全体の地合いから浮いていました。

 みね子に案内されて夫を引き取りに上京して来た美代子さんが、奥茨城ではついぞ見たことがない瀟洒なマンションを前に「着物にしたほうが良かったかな」と自分の服装の見劣りを気にし、部屋に招き入れられてからも袖の小さな綻びに気もそぞろ、それを一抹物悲しい思いで横目で見ているみね子。このへんは岡田惠和さん得意の“乙女ゆえにブラック”な感性が垣間見える名シーンなのですが、大枠がとにかく朝ドラの譲らない“家族の意味と再生”という不動のフォーマットに両手両足拘束されているので、前後と有機的に融け合わないのです。

 そもそも昭和40年に高卒十八歳の少女が地方から単身上京したら、訛りやファッションセンスや金銭感覚、家族観や人間関係の距離感、性意識などすべてにおいて、砂利のシャワーを浴びて擦り傷だらけにされるような思いをせざるを得なかったはずで、そこらへんをすべてすっ飛ばして、年長者の親心や思いやり、友情やチームメイトシップ、地方者同士の連帯感といった共感性の風呂敷で包み込んでしまうのですから、こりゃもう、朝の気分をあったかさわやかに保つための手の込んだ環境ビデオと言うしかありません。

 このへんで、つねづねTVの連続モノから気持ちが引いていくときの個人的王道心理=「任(にん)ではないな」が発動しました。適任者は自分ではない。こういうドラマ、と言うより動画ソフトに熱意をもって嵌まり続ける人は日本中にたくさんいて、その中にもう一人月河が、辛抱して参加している必要はない。月河にはない適性を持ち合わせている多くの人にお任せして、当方は撤退すべき。

 環境ビデオの存在も、朝ドラが環境ビデオ化する経緯も、まるごとは否定しません。世の中の一郭にこういう世界があって、送り手と受け手の間で自足しているなら、それはそれで結構で、いっそ気分がいい。

 ただこれぐらいは言わせてもらっても。「好まれるものしか食材にしないし盛りつけない」という覚悟があるなら、もっと違うもので固めてほしかったなと思う客もこの世の片隅にいる、ということです。


あきが来た(とならないように)

2016-01-05 15:06:23 | テレビ番組

 えー拙ブログにご訪問の皆様ご機嫌うるわしゅう。気がつけば平成二十八年の幕もあけて舞台も回り出したわけで、改めてよくよく見ると昨年4月からご無沙汰してるのですね。

 明けた以上、当然、ご無沙汰の間にひとつ年を取ってしまいました。なんだひとつぐらいなら大したことないじゃないかと言えば言えるし、いやこのひとつの間に数限りない出来事の発生終息、会って別れの積み重ねもあった。

 思い返し読み返せば、一昨年=平成二十六年(2014年)のいまごろは、前年大晦日の紅白歌合戦における『あまちゃん』押しについて飽きもせず何エントリも投稿し続けているのが微笑ましいというか、ザワザワとこっ恥ずかしい。NHKが狙って掬い取ろうとする客取り網の中に、好き好んで掬われて気分よくしていた自分がいる。思うにアレは、「ドラマ本編にハマった客なら、このへんをくすぐればウケてくれるだろう」という紅白スタッフの媚び媚び目線よりも、作家さんキャストさんの「紅白でやるならこういうのどう?こういうのやってみたいと思ってたんだよ」という"前へ前へ意欲"がまさったからこそのさわやかさでしょう。特に音楽担当の大友良英さんがナマ演奏顔出しで深入りしてくれたのが大きい。

 一昨年も振り返っていますが、近年の紅白は、楽曲の力も歌手の集客力もまったく信用していません。その年はやったもの、ウケたもの、話題を集めたものなら、人であれ出来事であれ事件であれキャラであれ、なんでもぶっこんできます。

 その年のウケたもので、権利関係など心配なくNHKが使いまわしきれるソフトと言えば最近は"朝ドラ"に尽きますから、当然今回は『あさが来た』メンバーもかり出されました。ドラマ本編のセットでの小芝居から"飛び出し"てつなぎ、NHKホール廊下に切り替わって、三代目JSBと加野屋八代目榮三郎(演・ジャニーズ桐山照史さん)との絡みもありつつハンディカメラでフォローされながらステージへ。毎週月~金、放送後に朝ドラ受けで盛り立ててくれている有働由美子アナと井ノっちへの「お世話になった御礼」にことよせて、結局はドラマの主題歌『365日の紙飛行機』の壮大な"曲紹介"に尽きたという。

 確かに、ドラマが絶賛好視聴率叩き出し中ですから、流行っているといえばいえる曲ではありますが、なにぶん歌唱がAKB48なので、画面が大人数の"アイドルニッコリ"の女子で埋め尽くされて、毎朝のオンエア時とはまったく異質な"ちゃらちゃら感""シナシナ感"満載なため、えらく「ダシに使われた」印象の残るあさ来たキャスト来演ではありました。

 月河はあまり高体温なあさ来たウォッチャーではないのですが、ファンの皆さんは満足したのかな。『紅白』演出の一環としてもあまりスマートな部類ではなかったような。

 それより『あさが来た』は久々、サウンドトラック発売が待ち遠しいと思える朝ドラです。今月27日に第1弾、来月24日に第2弾。待たせますねえ。放送期間中にもう一声、欲しいところです。


あまちゃニアンの幾らなんでもそろそろ寝ないとヤバい夜

2014-01-30 02:29:45 | テレビ番組

 それでもいささか心配になったのも事実です。『紅白歌合戦』、予想していたこととはいえ冒頭から怒涛のごとき“あま押し”。

 いや、“押し”にとどまらず、“あま寄り”“あま差し”“あま掛け”“あますかし”。

 そうでなくてもここ4~5年の『紅白』は、つまみ食い的に視聴しただけでも歴然と(歌・音楽以外で)この1年間話題になったもの、流行ったもの、ウケた人、ウケたわけじゃないけどなんか露出が多かった人、なんでもぶっこんでくる見事なまでの節操なさです。『あまちゃん』は久々にNHKがオリジナルで生み出した、全方向に胸を張って「当たった!」と言えるヒットコンテンツですから、『紅白』にからめてこないわけがないと月河もにらんではいました。

  しかし、あれだけ大っぴらだとねぇ。いくら人気ドラマだったとは言ってもたかだか視聴率20数パーセントです。いやこれでもドラマとしては当節大変なヒットと言えるのですけれども、『紅白』は腐ってもまだ40以上は取ってるわけで、単純計算で『紅白』を見ていた人の半数近くは「なにアレ?」状態だったのではないでしょうか。

 

 我らあまちゃニアンとしては、ユイちゃん(橋本愛さん)が鉄拳アニメ合成のワザ使ってでもなにしてもとにかく北三陸から東京の土(無いか)を踏めただけでも大感激拍手喝采だし、GMTとアメ女正規軍との、シャドウの壁を破った『暦の上ではディセンバー』共演にアキちゃん(能年玲奈さん)とマメりん(足立梨花さん)も同列で、しかも笑顔全開で並んで歌い踊っているのも溜飲の下がる絵。しかもしかも、GMTの緑担当・寿脱退したアユミさん(山下リオさん)も復帰している。しかもしかもしかも、涙の抱擁和解したリーダー(松岡茉優さん)の隣のポジだ。感動だ。

 アキユイ歌唱の『潮騒のメモリー』に続いて、前段のスナック梨明日(りあす)での寸劇の衣装のまま天野春子(小泉今日子さん)が登場、さらには鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子さん)は着物でセリから、しかもまだ音痴治ってる・・となったら、全国のちゃニアン(略し方が中途半端だ)瞬殺です。死因:贅沢死 

 しかし半数以上の、お茶の間の“普通の”紅白視聴者の皆さんは、「なんでひっさびさのキョンキョンがあんなチープな光り物ニットにスケバンスカートなんだ?」「歌が売れてた1980年代にも一度も出場してない薬師丸がココで歌う?」「そもそもこの曲、この歌詞何?“千円返して”とかフザけてんの?」と、キツネの大群につままれリレーされたようなOPと10数分のコーナーだったような気がします。

 意味がわからない。わからないものがウケている、ウケている人たちには意味がわかっているのだろうが、自分はわからないからウケることができないというのは、ストレスがたまるものです。 

 大晦日のお茶の間娯楽の超王道、超定番だったはずの『紅白』も、いつの間にか「わかるヤツだけわかりゃいい」という姿勢を隠さなくなった。これはいい事なのか、あまりいい事じゃないのか。

 1983年(昭和58年)の紅白で、総合司会に“深夜密室芸人”だったはずのタモリさんが起用されただけでも、当時はまだ普通の日本人として紅白ウォッチャーだった月河は「くぁ~~」と思ったのですが、冒頭そのタモリさんが客席に向かって「そろそろ始めてもいいかなー!?」とコール、満員のNHKホールに「いいともー!!」のレスポンスが響き渡ったときは、大袈裟に言えばひとつの時代が終わったなという気がしたものです。

 「いま、これをやればウケるな、いい反応来るな」と思ったからタモリさんはアレをやったのだろうと思います。当時の『紅白』視聴者の中には「いいとも」の意味、タモリさんがそれを言うことの意味を全然知らない人もいるだろうし、そもそもタモリっちゅうのが何者で、なんで総合司会なのかさえわからない人もいるだろう。それでもそういう人を置き去りにしてでも、「ウケるな」に賭けた。

 「いまやればウケる」に、当時はまだ冒険心というか、度胸、気魄、もっと言えば“良き山師根性”のようなものが感じられました。

 だからこそ2013年=平成25年の「わかるヤツだけわかりゃいい」“あま押し”の臆面もない大っぴらさに、一抹の空虚感をおぼえたことでした。もっと腹の底からウケてもよかったのですけどね。軽く“贅沢死”はしたけれど。