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イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

ジャニーさん逝く ~あなたがいたから僕らがいた~

2019-07-15 22:26:05 | 芸能ネタ

 先月の中旬「救急搬送で入院したらしい」「重篤らしい」との報が流れて、それで初めて「ジャニーズ事務所のジャニー社長ってこんな顔の人だったんだ」と知った向きも多いのではないでしょうか。月河も同様。

 晩年まで積極的にライヴ等の現場に出張っておられたらしいし、知っている人は知っていたんでしょうけど、媒体に流れないよう画像の管理が周到だったということなのでしょうね。状況押し詰まってやおらボチボチ出てきた画像も、頭髪具合とか顔肌のつやシワ加減とか、ざっと10年単位で撮影時点がマチマチ。でもま、ざっくり感想を言うと「意外と普通なご老人だった」

 ・・・ジャニー(“ジョニー”じゃなくて)〇〇という通称や、「ユー、~~しちゃいなよ」というクチ癖(伝聞)からいって、なんかこうバタくさい、金髪に染めてるような、プラスおネエっぽいヴィジュアルの人を想像してませんでした?月河は正直、してました。たいへん失礼申し上げました。

 公式に訃報がNHKでもアナウンスされた10日の夜7:00のラジオ第一のニュースでは、四年前に収録されたという蜷川幸雄さんとの対談番組(蜷川さんは2016年5月に亡くなられているので、その前の年ということになります)での肉声が流れましたが、「(所属タレントを)“ユー”って呼ぶのは、名前が覚えられないから」等と脱力な話をするジャニーさん、結構、入れ歯ユーザー特有のフガフガした発音で、普通の80代のおジイちゃんでした。

 いまさらですが芸能ネタ世間話のメイン大道具とでもいったポジションで“ジャニーズ事務所”という固有名詞が認知され定着したのはいつごろからになるのでしょうかね。ジャニー喜多川さんが手がけた男性アイドルグループの嚆矢となった元祖“ジャニーズ”をリアタイで記憶しているのも月河の年代でギリでしょうか。昭和40年代初期、ひとまわりほど年上の高校生のおねえさんたちが愛読していた『週刊マーガレット』や『りぼん』の表紙や巻頭グラビアによく載っていた四人組。動く姿はあまり見る機会がなかったのですが、いつ頃だったか石原裕次郎さん主演の劇場映画に客演していたのは見ました。クレージー・キャッツの映画でも見たと思う。当時のジャニーズ事務所は、まだクレージーを擁するかの渡辺プロダクションと競合敵対はせず、仲良しの提携関係だったのです。

 当時としてはたいそうモダンだったのであろう、四肢を大きく伸ばして息を合わせた、ブロードウェイミュージカル風のダンスが売りで、おねえさんから「どの人が好き?」と訊かれて、月河は何となくいちばん小柄でひときわ目のクリッとしたメンバーが可愛く見え「アノ人がいい」と答えましたが、ダンスより歌が得意らしく歌のシーンでソロを取る事の多かったその人が、“あおい輝彦”さんと知ったのはずっと後のことです。昭和42年=1967年にジャニーズが解散してからは演技の道を歩み、木下恵介監督には特に気に入られて数々のドラマで活躍、歌手としても『あなただけを』はロングヒット、月河の上司のオジサンたちにもカラオケ得意ナンバーにしている人が多かった。TVでの当たり役はやはり10年以上つとめた『水戸黄門』の助さんでしょうが、市川崑監督の映画『犬神家の一族』でのホンモノ佐清役も印象深い。

 一方、メンバーの中で、子供の月河が見てもわかるほど抜きん出てダンスがキレッキレな人がいて、こちらは飯野おさみさん。解散後は木の実ナナさんとデュエットで歌い踊っているのを一、二度見た記憶があります。

 あとの二人は顔も名前も一致しません。ご容赦を。1967年解散ですから、当然、現在アラフィフより下の人は未知でしょう。

 ジャニー喜多川さんの訃報をつたえ追悼する各局の番組で、よくキャスターが若い女子アナやコメンテーターに「ジャニーズ事務所のタレントと言えば?」と質問し、答えの多様さから、同事務所がカバーする年代の幅広さを強調していましたが、月河にとっての“ジャニーズ事務所”のイメージは、たのきんでもシブがきでも光GENJIでも、もちろん嵐でも、もちろん元祖ジャニーズでもなく“フォーリーブスと郷ひろみ”さん一択です。セットで一択。

 元祖由来のミュージカル風シンクロダンスと、GS風エレキサウンドを取り入れた青春ポップス歌謡のフォーリーブスは、ジャニーズと入れ替わるように昭和43年=1968年にデビュー、折よく退潮したグループサウンズブームのあと、70年代初頭の一時期は“若いオンナノコたちのアイドル”の座をほとんど独占していました。月河はいまだ小学生坊主でしたが、同級生たちの中にもおませで背伸びしたいタイプの子は結構いて、いまで言う“押しメン”を競ったり、おねえさんたちの真似っこに余念がなかった。あの頃はまだ一家にきょうだいが2人から3人は普通で、姉ちゃん兄ちゃんたちの話題や流行りを見てマネして、同い年のクラスメートに自慢したりきいたふうな情報を披瀝するという文化が小学生坊主の中にもあったものです。

 フォーリーブスの中では、あまい声質とマスクで歌唱力いちばんの“ター坊”こと青山孝史さんと、驚異のバック転にほとんどアクロバティックなダンス、エキセントリックでトッポい雰囲気もただよわせる“コーちゃん”=北公次さんが双璧だったように思います。ちなみに2019年現在、お二人とも故人。

 郷ひろみさんは、たしか昭和47年=1972年の春クールから現・千葉県知事森田健作さん主演の青春学園ドラマなどに客演して、「女の子みたいに可愛い男の子が出てる」と、フォーリーブスとは別建てで話題になっていましたが、同じジャニーズ事務所から、フォー=“4”リーブスの弟分として、4の次だから5=ゴーがいいだろうと“郷”ひろみの芸名をもらったと、当時はいろんな媒体にも流布されていました。

 月河が「ジャニーズ事務所のタレントと言えば?」と訊かれて速攻「セットで一択」答えるポイントはここです。先行するタレント、もしくはグループの“弟分”“先輩後輩”という関係性でアピールするという売り出し方。ジャニーズ事務所が軌道に乗りジャニー喜多川社長の商法、よく言われる“選球眼”がクリーンヒット・タイムリーヒットを打ち続けられた要因もまさにここにあるような気がしてならないからです。

 グループ・ユニットの中でも“〇〇担当”“▽△キャラ”のような棲み分けで個々の個性を際立たせいろんな嗜好のファンを巻き込んで雪だるま式に人気をふくらませていくやり方、遅ればせながらハロプロや、秋元康さんプロデュースの諸グループが、女の子アイドルでこの手法をとっていますが、古くは宝塚歌劇団などもまさにこういうプレゼン、消費のされ方をしていました。可愛い子、歌ダンス等芸能のひいでた子を単体で提示するよりも、上下関係、ヨコのコラボや競合選抜関係でストーリーを作り、読んだり深読みしたり妄想をたくましくしてもらった方が、より強靭で太い商品になる。

 郷ひろみさんのフェイスや日本人離れした腰高で四肢の長い体型や、独特の声質・歌いまわしは当時から単体でじゅうぶん商売になるものでしたが、すでに成功しているアイドルであるフォーリーブスの“お兄さん”たちが四人こぞって弟を可愛がり、「イジったりサポートしたり、イイことも悪いことも教えてあげている」という図式は、10代女子たちにはなんともくすぐったくそそられるフィクションでした。

 確か毎週日曜日の夕方6時台だったと思います。『プラチナ・ゴールデンショー』という30分枠の音楽バラエティ番組があり、フォーリーブスがデビュー間もない頃からレギュラーで出演していた枠でしたが、ソロのアイドルとしてレコードセールスではすでに先輩をしのぐポジションになった郷ひろみさんが1973年秋から満を持してレギュラーに加わり、末弟キャラ全開で歌メインの寸劇やコントっぽいものまでこなしてくれるとファンは大うけでした。郷さんが売れたせいでリーブスが押しのけられたなんて不満は聞いたことがありません。郷さんは先輩たちを立てる振る舞いを、少なくとも媒体の中では一貫して見せてくれていました。郷さんが前年のデビュー曲『男の子女の子』でNHK紅白歌合戦に初出場したこの73年は、すでに歌い終わっていたフォーリーブスの四人が騎馬戦の様に郷さんを担ぎ上げて入場させてくれました。

 ユニットもしくはグループを複数作って“先輩後輩・擬似兄弟・擬似ファミリーの関係性で印象付け、認知を定着させていく”という手法に、ジャニー社長が無限の可能性を見た最初が、フォーリーブス+郷ひろみさんの成功だったのではないかと思います。

 それだけに昭和50年=1975年の郷ひろみさんの事務所退社は大きな痛手だったのではないかと察します。当時はまだセキュリティとかおおらかな時代で、『明星』などの10代向け芸能誌のグラビアページや付録の唄本の柱や裾に、掲載アイドルの“ファンレターの宛先”が普通に載っていたのですが、『誘われてフラメンコ』の頃だったか、結構突然郷さんの“宛先”がジャニーズ事務所ではなく“バーニングプロ”になっていて、郷さんの熱いウォッチャーとはいえなかった月河もかなり驚愕しました。

 当時粘っこいファンだった女子ならある程度事情を知っているかもしれない。そこらは月河の任ではないので掘り下げません。

 この件はかなりジャニー社長にもダメージを残したようで、76年から79年ぐらいにかけて(バンドや楽器を伴っての自作曲を歌ういわゆる“ニューミュージック”がヒットチャートを席巻した時期です)、ユニット形式でもソロでも、“ジャニーズアイドル”らしい大物アイドルが出ない時期があったのですが、ほどなくたのきんトリオ、シブがき隊、少年隊といったグループ形式、“キャラ立ち棲み分けスタイル”でのプレゼンがふたたび三たび実を結びました。ツンデレ王子様風、ちょいワルやんちゃ系、二枚目半の天然キャラ・・と、グループでありながら統一感に拘泥せず個性をぶつからせ協奏させていく手法。

 当時は“やおい”“BL”なんていう概念もジャンルも存在しませんでしたが、アイドルの客になるマインドを持つ年頃女子たちが“カッコいい男の子同士、アノ子とアノ子は仲がいい、あの子とアノ子はライバルで一目置いてる”“アノ子はチョット実技が見劣っていたけど、先輩の誰さんが目をかけて最近うまくなった”“いちばんうまかった誰クンもうかうかしてられない”・・等という妄想混じりの関係性深読みをいたく好むのを、ジャニー社長は直感的に理解していたのでしょう。すでに売れっ子人気者に、“予備軍”としてバックダンサーのチームをはべらせ実戦で踊らせて上達具合や客席の反応を見るという転がしにも、この“グループ商法”は相性がいい。

 これは異論やお叱りを受けるかもしれませんが、ジャニーさん自身の嗜好が“若く綺麗な男の子好き”というもっぱらの風評も、むしろ男子アイドルを大勢抱えてプレゼンプロデュースし世に送り出すについてプラスに働いたような気がします。ファンは一方で気遣いつつも“女=雌(メス)のフェロモンが容喙しない世界”として純粋に観賞したり萌えたりしていられた。大きな“男子校の寮”の芸能版みたいなイメージを抱きやすかったのでしょう。

 2010年代に入ってメジャーどころのグループから志願脱退者が出たり、薬物事犯その他微罪で済まされない不祥事が起きたり、グループごと解散や活動停止など、さすがに時代の変化、ジャニー社長の加齢だけではなく、タレントたちも“アイドル”維持が困難な人生後半戦にさしかかっていることを歴然と映し出す事象が相次ぐ中での他界となりました。

 当然ながら、半世紀以上にわたる芸能界・芸能プロデュース歴において、プラスの功績ばかりではないとは思います。「この人がこんなに長々と重きをなしていなければ日本の芸能界・放送界・音楽ソフト界、もっと刷新したのに」と思われる要素もある。たとえば、「ジャニーズ事務所と袂を分かって、引退や転業せず芸能界に残った人で、軋轢をのこさず嫌がらせされなかったのは郷ひろみだけ」「他はみんな、共演拒否とか、干されたり、メディアを使ってバッシングされたりで伸び悩んだり消えたりしてる」という定説もそれ。

 当初は誰も踏み込まない無人の野を行く一匹狼のパイオニア、冒険者だったものがいつの間にか“既成のパワー”“権威”になってしまうと陥りがちな弊かもしれません。それでも、擬似“家族”葬に、構成員・・じゃなく所属タレントが“息子”たちとして150人余り参列、なんて報を聞き集合写真を見ると、男ばっかりこれだけのアタマカズを抱え、管理監督し、食わせていたかと、改めて感嘆します。偉業と呼ばずして何と呼ぼうか。功罪相半ばするのは確かでも、「そうじゃなくてホラ、こうすべきだったんだよ」を誰か後進の同業者が目にもの見せてくれるまで、“功”は残り続けるでしょう。

 ジャニーズ時代に小学生坊主だった若輩から言われたくないかもしれませんが心よりお疲れさまでした。古い事を思い出すのもなかなかえらいことで、月河も疲れました。ふぅ。

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ジ、ムショ帰り ~やみやみ闇営業止まず~

2019-07-12 13:51:50 | 芸能ネタ

 ざっくり先月後半からは吉本興業所属お笑い芸人の“闇営業”と反社勢力との関係問題、今月に入ってからはジャニー喜多川さん緊急入院と容態情報(フライングもあり)に続く先日の逝去の報で、ここのところの芸能ネタは、ドラマや楽曲、或いは俳優さんアーティスト単体のリアルな話題より、“事務所(じむしょ)”なるものの存在に主役を持って行かれた感があります。

 いつの頃からでしょうかね。一般人シロウトがTVやネットや雑誌で拾った芸能ネタを日常の世間話にするときに「この人やたらCM出てんな、事務所が押してるから」「あの役者は前の事務所辞めるとき揉めたから仕事来なくなったらしいよ」「あの子、ちょっと前誰某と熱愛じゃなかった?続報ないけど事務所に別れさせられたんかな」・・等々、普通にクチにのぼせるようになった。

 月河がTVの芸能番組を大人のマネして、あるいは目を盗んで見はじめた頃、昭和40年代前半~中盤は、“事務所”ではなく“プロダクション”とよく称されていました。

 日曜夜の『シャボン玉ホリデー』をはじめいろんな番組を「押さえて」いたナベプロこと渡辺プロダクションが斯界随一の勢力で、クレージーキャッツや後輩のドリフターズ、クレージーの付け人からピンになった小松政夫さんやなべおさみさん、“三人娘”こと伊東ゆかりさん中尾ミエさん園まりさん、もちろんザ・ピーナッツ等、当時の歌謡曲や洋楽カバー、コントにコミックバンド、およそ「歌とオケと喋りとダンス」でカバーできるエンタメ界全般の有力どころをほとんど傘下に入れていて、まー、こう言っちゃなんだが、概して評判悪かった。

 歌手やタレントの誰某さん単体、もしくは全体的な芸風が嫌いだというのではなく、プロダクション=「タレントに歌わせ働かせて、彼らの才能や人気を商品にしてカネ吸い上げて、タレント本人にはちょっぴりの給料しか払わずピンハネしてる」=人のフンドシで相撲を取って儲けてるヤツらの集まりで「タレントたちは寝る間もなく酷使されて気の毒」という文脈でした。

 素質ありそげな若い子をリスクとってスカウトして、寝る所食費交通費支給してレッスンさせギャラのとれるタレントに育て上げ、大枚の宣伝費つぎ込んで売り出してやる“芸能人・芸能ソフト育成システム”としてのプラスの部分は、残念ながらシロウトの一般視聴者には評価されていなかった模様。

 当時の月河周辺の大人たちの会話を思い出すにつけ、ざっくり第二次大戦以前生まれの、特に女性は、“芸能”“プロダクション”という言葉と概念に、往年の“芸者置屋”、あるいはさらに“巡回サーカスの団長”、いっそ“角兵衛獅子の親方”に近いイメージを重ね合わせて眉をひそめていたのではないかと思います。ふっるーーい!とお笑いめさるな。だいたい東京オリンピック(1964)のちょっと後~大阪万博(1970)の前後の話ですから、団塊世代のおにいさんおねえさんたちがハタチそこそこの若者で、その親世代がまだバリ現役、矍鑠たるおジイちゃんおバアちゃんたちは明治中葉、ヘタすりゃ(しなくても)19世紀の生まれです。戦争が終わって(正確には敗けて)からニョキニョキ俄かに出現して流行り出した、特にカタカナ名前のモノは“ちょっと昔にあった〇〇と同じようなもの”というタームで脳内翻訳しないと受け入れられなかったのでしょう。

 当時はいまほどTVエンタメ番組がお笑い芸人に占有されておらず、月河一家が日本の東~北半分から出なかったこともあって、吉本興業、もしくはその前身の存在感はあまり意識されていませんでしたが、今般の“闇営業”騒動を連日見せられていると、当時の大人たちが(個々の番組やタレントには興じながら)揶揄していた“プロダクションなるもの”のマイナス部分がどうもそのまんま刷新もモデルチェンジもせずに平成~令和と持ち越されてきていたような印象です。

 喜劇の事務所だから喜劇人、お笑い芸人を抱えていろんな舞台や放送番組やイベントに派遣して、芸を披露させてウケさせギャラを取らせるのが主力業務でしょう。それはわかるわ。しかしだよ、抱えるに事欠いて6000人って。絶対、ギャラ取れるレベルの芸に達してないほうが多いわ。シロウトが想像してもわかる。通りすがりの横目立ち聞きじゃなく、わっざわざおカネを払ってでも観たい芸、観たい芸人なんて、そうそう居ないし見かけないもの。

 芸がないんだから食えないのは当たり前で、「自前で食える芸のレベルに、努力して達するまで食わせてやる」という奇特なシステムでもない限り、“闇”を頼りにしなきゃ人として生きてすらいけないのもまた当然。今回は、雨上がり宮迫やロンドンブーツ亮といった、闇じゃなく“オモテ”で十分食えてる面子まで反社への闇営業に加わっていたことが特に問題視されましたが、依然徒弟制度の昔とかわらず“入門が先の先輩から声かかったら義理上断れない”という前近代的な人間関係まで白日の下にさらされました。

 ♪義理がすたれりゃ この世は闇(やみ)だ~  という歌もあります。“義理”の気配がちらつくと、“闇”も闇と認識されなくなってくるのかもしれない。“事務所”を通さないかわり、“義理”をつたって「何日何時にドコソコの店に顔出してくれ」と来たら、なんか、二つ返事で引き受けるほうが人の道にかなっているような気がしてしまうのかも。

 「義理」を辞書で引くと「自身の利害にかかわりなく、人として行うべき道。」「特に、交際上、いやでも他人に対してしなければならないこと。」(三省堂『新明解国語辞典』第七版)と出てきます。

 とりあえず、抱える芸人の数絞ったらどうでしょう。このニュース、続報、何回か聞いた人なら皆言ってると思うのでいまさらですが。引っ張りだこまでいかなくても、月に何本かでも吉本の名前でちゃんと仕事がもらえるレベルの人だけ所属させて、食うに足りない分はバイト世話してやる。努力が実ってお笑いの仕事が増えてきたら、徐々にバイトを縮小させていけるような勤め先を開拓してキープしておくのも事務所の仕事じゃないでしょうか。大阪なら、喜劇演芸好きで若手芸人のサポート引き受けてくれる社長さんも少なくないはず。なんなら傘下の売店や事務員や配達員だっていいと思う。「会社は自分を買って、芽が出ると信じてるからここまでやってくれるんだ」と若手くんも奮い立つはずです。

 あと、言葉の正しい意味通り“manage”できるマネージャーも育てなければいけませんね。芸人と一緒に現場について行って見張ったり監督ディレクターに挨拶顔つなぎだけじゃなく、事務所と芸人と現場=仕事先との回し役になれる、気働きとフットワークのある人。不規則だし激務になるだろうけど、デスクでパソコンとにらめっこしたり、数字の足し引きパーセントいじくったり、物言わぬ商品の箱詰め輸送したりは肌に合わず「芸能の動く現場に居たい」「ユニークな芸人と出会いたい」「芸人が芸をみがいて上に行くのをサポート見届けたい」という若者は、いまの視聴者や観客の中にも必ずいると思う。

 芸能人になってスターになって、一旗揚げたい、華やかにチヤホヤされたいという向きはいつの世にも居て機会をとらえ絶えず参入してきて、養成育成を待たず勝手に自然淘汰されていきますが、“manageのプロ”ばっかりは“事務所”が乗り出さなければ育たない。売れっ子芸人、数字持ち俳優、メガヒットアーティストやアイドルを何人輩出するかも“事務所”にとって死活問題ですが、使える、稼げる“manager”を育てられるかどうかに、これからの“事務所”の存亡はかかってくるような気がします。

 個人的には、この件を契機に、“ほんとうにおもしろい芸のできる芸人”だけが生き残って、芸人起用の番組の質が上がってくれればと望んでいます。『爆笑オンエアバトル』全盛の頃は、“おもしろいネタってのはこれくらい笑えるものだ”“このネタよりさっきのコンビのあのネタのほうがkb多かったのはなんでだろう?”と、観るほうも考えていた。

 なんとなく街歩き、お店探訪、スタジオでクイズ珍回答やアイドル局アナいじりなど、本業の芸のレベル進化度がまったく問われない番組が増え過ぎたことも、芸人の意識を低くし、義理に負けさせていっているように思います。

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星由里子さん逝く ~星とカネと虹と~

2018-05-18 23:07:28 | 芸能ネタ

 2月の大杉漣さんで、何かパンドラの函的なもののフタがふっとんじゃったんじゃないかと思うくらい、「死ぬようなお年じゃないだろうに」と思う人の訃報が続きます。

 星由里子さん七十四歳。民放BSでよく流れる機能性カフェインレスコーヒーのCMで、ほとんど毎日元気なお姿を拝見していた気がしますが、あれは何年前の収録だったのでしょう。TVの人の頭髪・整形にはことのほかセンシブルな、月河の高齢家族その一は「あのフワフワ感はイブファインかねー」なんて見るたび言ってましたが、確かに髪のヴォリューム感比で、お顔の輪郭がしぼんだような印象はありました。若さのピチピチ感でもってるアイドル系カワイコちゃんと違って、星さんの様に目鼻立ちのもともと整った正統派美人さんは、いいお年になられても劣化が少ないので、衰えが目立たなかったのでしょうかね。

 東宝映画のシンデレラ・オーデションで抜擢されて、加山雄三さんの大ヒットシリーズ“若大将”でずっと共演したマドンナ役でしたから、美人さんながら加山さんの女性ファンにも反感を持たれないタイプだったのでしょう。月河はまだ小学生だったので劇場映画で拝見することはなく、せいぜい実家母がときどき買っていた婦人雑誌の表紙や、ファッションスタイルブックのモデルとして知っていた程度です。

 そんな中でも、ウロな記憶で申し訳ないのですが、1967~8年(昭和42~3年)頃、たぶん雑誌『少女フレンド』の増刊号だったと思います。巻頭か扉口絵のおしゃれグラビアで“あこがれのウェディングドレス”とかなんとかいうテーマで星さんと、吉永小百合さん、そして当時の『少フレ』のイメガだった高見エミリーさん(のちの故・鳩山邦夫議員夫人ですね)とのスリーショットが載っていたことがあります。

 当時の月河はチラシの裏にスタイル画のパロディーみたいのを描き散らすことに情熱を燃やす子供だったので、ここだけはわりと鮮明に覚えているのですが、お三方それぞれの持ち前のイメージに合わせたのでしょう、小百合さんは身頃に白いバラのように重なるフリルをたっぷりあしらい、スカート部分は純白無地の妖精さん風、エミリーちゃんはパフスリーブで袖口が細くなったおとぎ話絵本の王女さま風。星さんだけがデコルテをチュールレースで覆って露出感をおさえ、身頃にもスカートにもパールビーズを線状に散りばめた貴婦人風で、子供心にこの人がいちばんオトナなんだなと認識を新たにしたものです。

 とは言え訃報で改めて確かめると、星さん1943年12月生まれ、小百合さん1945年2月生まれで、当時推定24歳と23歳ぐらい、学年にするとひとつしか差がないんですね。小百合さんの場合、子役~少女子役歴が長いので、見るほうがいつまでも女学生的に見ていたせいもあるかもしれない。

 (ちなみに高見エミリーさんは1955年2月生まれで、このグラビア当時は十代前半だったはずですが、ハーフだからか近所の中学生のお姉さんたちよりずっと大人っぽく、というか成熟して見えていました)

 当時の東宝の社風で、星さんも清楚で優等生なイメージの女優さんでしたが、『ゴジラ対モスラ』等特撮ヒロインとしても活躍されていたのでファン層が広く、月河よりひと回りほど上のお兄さんたちにも「嫁をもらうなら」とタイプに挙げる人が多かった。色合いが変わったのは、やはり、今更ですが1969年(昭和44年)の某・不動産王ジュニアとの、高度成長期当時の芸能界基準でも法外だったクソ豪華披露宴と、二カ月余りでの超スピード離婚報道でしょう。結構熱心なファンだった月河の従兄のひとりは「あの一件以来、“カネの好きな女”に見えるようになっちゃって」と述懐しています。結婚して一時的にせよ他の男のモノになったこと自体はそんなにイヤじゃなかったそうですが。

 (男性が、マドンナ的にあこがれていたアイドルから“降りる”タイミングときっかけって女性におけるそれより微妙なような、あっけないようなですね。この星さんファンのヤツとは別の、親戚の団塊男子はフランス女優カトリーヌ・ドヌーヴさんにこよなく憧れていたのですが、彼女が70年代当時日本で出演していたCMのプロモーションで来日した際わざわざ会見場のホテルまで“生ドヌーブ”さんを拝みに行って帰ってきたら、「顔は綺麗だけれども手がグローヴみたいにでかくて、幻滅した」と部屋のポスター類も即日撤去していました。いまは“会える、握手できるアイドル”が人気ですが、当時のマドンナ的アイドルは“距離”がもっと必要、というか距離がすべてだったのです)

 星さんに話を戻すと、劇場映画でご活躍の頃は前述の雑誌グラビアぐらいでしかお姿を見ることのなかった月河にとって、女優・星由里子さんをいまだに鮮烈に覚えているのは1976年(昭和51年)のNHK大河ドラマ『風と雲と虹と』の源詮子(せんこ)ですね。ヒーロー平将門(加藤剛さん)の伯父の後妻におさまり、内側から知略、注進、焚き付けとあの手この手で将門を罠に嵌めようとする悪女。最後はヴァンパイアみたいに落雷にうたれて命を落とすのですが、これだけあからさまに険のある、嫌味全開な星さんを見るのも初めてで、やっぱり悪女役は美人さんが演ってこそだなあと改めて思いました。星さん自身も結婚離婚とゴシップ、バッシングも経験して、東宝仕様のキレイめ路線と相反する役柄に新境地を見出そうとしていた時期だったのかもしれません。

 昨今の高齢化社会で、どんなジャンルのドラマでも映画でも高齢者役は欠かせないし、“老けづくりにしても美しい”シルバー世代女優さんの需要はむしろ増えつつあるはずですが、お若かった頃の記憶の上にあまり“上書き”されないうちに去るのも、女優としての本懐なのかなとも思う。それにしても七十四歳は早いです。

 そう言えば『相棒』の内村刑事部長(片桐竜次さん)の長年の心のマドンナ女優・島加代子(@Season5『殺人シネマ』)役が星さんでした。2007年3月の放送時点で“レジェンド的大御所”の設定でしたが、演じたご本人が逝去となると、劇中、代表作『海峡の虹』の追悼上映とかないかしら。大杉漣さんの衣笠藤治副総監問題だけでもえらいことだったので、それどころじゃないか。まさにこちらも高齢化社会、ドラマも長寿になると、作品世界の維持メンテナンスがたいへんです。

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ヒデキforever ~あとは流れゆく時のままに~

2018-05-17 22:07:35 | 芸能ネタ

 ヘンな表現だけど、「人間って、死ぬんだなぁ」というのが、報道を聞いて出た最初の感想です。

 西城秀樹さん六十三歳、ここ数年は脳梗塞からのリハビリ復帰がおもな提供話題で、昭和の横綱級アイドル“新・御三家”の一郭も生活習慣病世代か・・という感慨はチラチラもたらしてくれていたものの、まさか亡くなるとは。

 年を重ねても、全盛期のいで立ちでTVに映る機会がなくなっても、所謂エヴァーグリーンとして、この人だけはいつも時が止まった状態で存在しているような気がしていました。西城秀樹さんってどんなだっけ?と思い出すたびに、永遠にワイルドな17歳で、傷だらけのローラでヤング・マンで、ヒデキ感激!で『愛と誠』で『寺内貫太郎一家』なイメージなんですね。

 何たって、西城さんを代表に、当時の“アイドル”はお茶の間物件で、全世代対応だったから、世間的な認知刻印力、その広がりが今どきのアイドルの比ではないんです。いまのアイドルは、アイドルの客に進んでなる層=ドルヲタ専用商品ですが、たとえば西城さんは、どう考えてもアイドルが客に想定してないお爺ちゃんおバアちゃんも「あんな長い髪して、ヒョロヒョロな格好して」とか言いながら見ていたし、ライバルの野口五郎さんや郷ひろみさんのファンも見て、ちゃんと特徴をとらえて咀嚼し消費していました。テレビが一人一台ではなく、一世帯に一台、お茶の間のいちばん目抜きのポジションに鎮座していた時代の強みです。

 西城さんはつねに膝から下が広がり加減なパンツをはいて、左右に腰をうねらせるたび厚めにサイドに流した前髪がバフバフ目の上にかかる感じ、歌っている曲は洋楽っぽかったり、もろカバー曲だったりもするのですが、まさに昭和の、まさにザ・芸能界なステージング。

 月河と同年代、小学校高学年~高校初期にかけてこの人のピーク期を目の当たりにした人間は、いまでもカラオケでマイクスタンドの前に立つと、スタンスの開き方、スタンドに対して肩が入る角度など、“カッコよく歌おう”という意識が働けば働くほどいつの間にかヒデキっぽくなっているのに気がつきます。サビで高音域に入ると、わざとのようにシャガッとなるハスキーパンチな声質、唱法とも相俟って、“オンナノコにキャーキャー言われる、昭和的カッコよさ”の元祖、師匠みたいな人でしたよ。月河の年代にとってはね。もう少し上の世代の人なら、GSとかロカビリー組がそういう存在だったのかもしれません。

 脳梗塞発症以降は闘病の話題に明け暮れ、芸能面での新規展開はあまりありませんでしたが、10代でデビューしてすぐに脚光を浴び長く前線に居たわりには、音楽・芸能以外の生臭い話題がつきまとわない人だったように思います。スター芸能人の輝きを曇らせる、異性・金銭・薬物(アルコールも含む)スキャンダルに、驚くほど縁が無かった。モテなかったはずはないし、某・年上大御所女優さんのお気に入り説も聞きましたが、それで干されたり汚れたりすることはなかった。

 結婚が遅かったので、一時は「ヴィレッジ・ピープルのカバーヴァージョン歌ってたし、本当は男性が好きなのか?」とも言われていましたがそれすら都市伝説みたいになっていて、一般人の女性と結婚されたときも、お相手をめぐって取材攻勢が炸裂するようなこともなかったと記憶しています。派手目に見えてもゴシップ・スキャンダル体質でない人ってそういうもので、思うに、“抜き方”がうまいんでしょう。西城さんの活躍期はアナログな突撃型の芸能レポーター全盛時代でしたが、こういう職種の面々との付き合い方も上手そうでしたね。ちょっと下の年代の、田原俊彦さん辺りとは対照的でした。

 歌い手さんも功成り名遂げると、少ない消耗で実入りの大きいプロデュース業とか、後進育成などにシフトしていくことが多いものですが、西城さんは自分で汗かいて、ステージに立って歌うのが本当に性に合っていたようです。妙に“事業”寄りにならなかったのも金銭的に火傷しなかった秘訣でしょうね。想像ですが、ご家族や奥様も堅実な感覚をお持ちなのではないでしょうか。“スターに乗っかって利用して、労せず甘い汁”の大好きな手合いは世の中多いですから、このたぐいを近づけないためには取り巻きに恵まれる必要もあるのです。

 個人的には、2014年夏のNHK『思い出のメロディー』の生出演を家族と見たのが最後だったような。非高齢家族が失礼にも「(リハビリ復帰後)これだけ声が出れば、営業いけるから生活には困らないな」と感想をもらしていました。静かなバラード調の曲にもヒット作があるのに、敢えて『情熱の嵐』と『YOUNG  MAN』を選んで歌ったところに御本人の意地が垣間見えましたね。カタカナ“ヒデキ”のワイルドでダイナミックなイメージを大切にしたかったのでしょうが、若い頃、きくにまかせてきた無理が中高年になってこたえてきた感もあり。でも、天国でものんびりダラッとしているイメージがない人でもありますね。まさにエヴァーグリーン。

 ・・・・ところで、ドサクサにまぎれて失礼ながら、若さに似合わぬ成熟した歌唱力の持ち主だった秀樹さんのヒット曲のかずかず、結構、月河のカラオケ愛唱ナンバーの宝庫なんですよ。特に、昭和50年以降、“ワイルド”から“メロウ”(←この形容詞も一時流行りました)に曲調を転換していった頃の『ブーツをぬいで朝食を』『あなたと愛のために』『ジプシー』などあのへん(どのへんだ)。

 秀樹さんのような圧倒的に優秀な声量が無くても、高音部シャガレな唱法ができなくても、コツがあるんです。『ブーツを~』は宝塚男役スターっぽく、『あなたと~』は奥村チヨさん風に♪男のアナタには わからないでしょぉん とコケティッシュに、『ジプシー』はサビで敢えて♪お・ね・が・い とウィスパーっぽく、辺見えみり・・さんのお母さんマリさん風に。いや、いけますって(イヤな客だねえ)。

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謝罪会見より深刻な事 ~メンバーを面罵~

2018-04-27 21:58:07 | 芸能ネタ

 数々の違法薬物、特に覚せい剤や麻薬系、あるいは近年急に蔓延し警戒されてきたカラフルな“脱法ドラッグ”各種に比べると危機意識が低いのかもしれませんが“アルコール”だって立派な危険薬物です。

 習慣性・耽溺性が非常に高いし、一度に大量摂取すれば短時間で死に至ることもあるし、習慣的に過剰摂取を継続するとじわじわと内臓も、精神も冒されます。

 なんたって、覚せい剤や麻薬と違って、裏社会の裏市場に大金を投じずとも、そこらのコンビニチェーンで真昼間から誰でも、ポケットマネーで買えてしまうのが一番怖いところです。

 TVで有名俳優やタレントが堂々とCMしているし、健全な居酒屋やレストランで大勢に供されていて、大勢が美味しそうに、明るく楽しげに飲んでいるのと同じ物を飲んでいるんだから、肉体的にも倫理的にも抵触感がほとんどありません。「ヤバいものを買ってる、飲んでる」「冒されてる」という自覚がないまま、どんどん抜け出られなくなっていく。

 昨日のTOKIO山口達也さんの謝罪会見、“強制猥褻”“女子高生”とヤバ要素が揃い、いや幾らアイドルで兄貴キャラでも四十男から夜中の電話呼び出しにホイホイ行っちゃう女の子もどうなの?親がどういう教育してんのよとか、TOKIOの活動どうなる、他メンバーに連帯責任は?とかCM・イメキャラキャンセルの違約金何億円とか、等比級数的に論点が増えてぼやけてしまいましたが、いちばん深刻にまずいのは、“酒の飲み過ぎで肝機能の数値が、速攻入院を要するほど悪化し、入院中は当然強制的に酒を断てたので改善して退院したが、その日のうちに飲みたくなり自宅で焼酎一本空けた”という前段部分です。

 入院中どんな診断や説明を受けたかは話に出てきませんでしたが、「飲み過ぎたから悪くなった、飲むのをやめたから改善した、また飲んだらまた悪くなる」という因果関係は、大人なんだからじゅうぶん理解できていたはずで、それでも飲みたくなり、飲まずに我慢することができず、飲み始めたらあっさり量を過ごしてしまうというのは、コレすでに立派なアルコール依存症です。意志の力で合理的に行動を制御できなくなったら、もう「酒好き」「酒飲み」の域を逸脱しています。

 昨日の報道によると、この人、数年前に離婚会見したときも原因を訊かれて「ボクの生き方が自由過ぎた、サーフィンとかお酒とか」とほとんど武勇伝みたいにシレッと答えており、その頃から危機意識がないにもほどがあったようなのです。“飲まずにはいられない”“意志で飲むのをやめることができない”のは自由じゃないってばよ。依存症の縄目にすでに縛られまくりだ。

 強制猥褻はそれ単体でれっきとした犯罪なので、女性や若者に人気のタレントという立場からしても厳しく裁かれなければなりませんが、アルコール依存症を侮ってはなりません。ひとり本人だけの心身の損傷、荒廃のみならず、周囲に及ぼす社会的悪影響がすさまじい。即入院加療を要すると思います。

 こんな事件を起こすまで好き勝手飲むにまかせておいた、あの所属事務所もずいぶん適当だし、大事な稼ぎ手タレントのはずなのに冷たいなとも思う。まぁ、昨日今日スカウトで拾われた下っ端若手じゃないし、昨日も軽く驚き直した様に四十代半ばですから、一番責任あるのはご本人でしょうが。でも、せめて離婚会見で前述のようにイキがっていた頃に、彼から見て偉い人、怖い人が強く警鐘を鳴らしていればね。

 あと、今回の山口さんでも完全にマスコミの“~メンバー”呼びが定着してしまいました。今更だけど気味が悪い。こんな日本語ありませんよ。なのに、TV各局、民放もNHKも、高齢家族が宅配購読している日本経済新聞でさえも同調。どこも、誰も「おかしくない?」と言わないの。どうしちゃったんだ日本。

 書類送検すでにされて起訴or不起訴待ちなんだから、“山口達也容疑者”でいいじゃないですか。何が怖くて、誰を憚って山口“メンバー”なのか。一週間ほど前にやはり酒に酔って、路上で通りすがりの女性に猥褻した仮面ライダーデューク(@『鎧武』)の俳優さんはきっちり“青木玄徳容疑者”で終始報じられていました。何故この違い?グループやユニットの一員じゃないから?誰かわかるように説明してもらえませんかね。説明できる人誰でもいいです。上層部じゃなくても。実際に記事原稿書いてる本人が「自分はこういう理由でこの呼び方で書いています」と、顔出して説明してほしい。

 こんなマスコミが森友、加計がどうだらこうだら、忖度だの圧力だの、鬼の首でも取ったように論う資格なんかないと思います。あぁ嫌だイヤだ。酒でも飲むか。

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