イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

新元号ラプソディ ~二字の架け橋~

2019-03-28 13:46:26 | 世相

 毎週土曜に『刑事コロンボ』の人気投票順再放送(NHKBSプレミアム)を見つつ、本放送当時には意識しなかった『コロンボ』の魅力は、“民放二時間サスペンスが未だ無かった頃の、NHK一時間半枠のスペシャル感”にあり・・というような事を書きたいと、この四週間ぐらいずっと思っていたんですよ。

 ところがそうこうするうちに年度替わりの三月末がどんどんどんどん迫ってきて、そればかりか今年=2019年限定の問題“新元号”の発表が刻々と近づいているではありませんか。大化の改新でおなじみ大化→(中略)→和銅開宝でおなじみ和銅→(中略)→(中略)→明治→大正→昭和→と来て、平成の次は何なのか。いや漢字2文字だから“何々”なのか。

 4月1日という、人を“馬鹿”にしたような発表日程がすでに決まっているので、世のカレンダー屋さん、手帳屋さん、伝票用紙屋さん等々、年号を商材にしている業界は一刻も早く同業者に先駆けて情報を得んと虎視眈々なようです。

 三十年前、「新しい元号は『平成』であります」と額入り色紙を立てて見せた小渕恵三官房長官(当時)の役を今回担うことになる菅義偉官房長官も、その瞬間に備えてひそかに、増毛とかしているかも。

 この日の、この場面の映像が今後何十年も、たぶん次の代替わりの際にも、次の次の際にも繰り返し媒体でリピートされるとわかっていたら、そりゃもう女子だってその日に合わせて髪切ったり巻いたり、エステ行ったりダイエットしたりたいへんですよ。甘党の菅さん、十年以上前にダイエットと筋トレで減量には見事成功されていると聞いたので、やはりあとは頭髪でしょう(一方的に決めてますが)。ここ二~三日、おもに韓国からの、流行り病みたいなムチャ発信で、遺憾砲発射に忙しい菅さんをTVで拝見する限り、特に、一部の高齢俳優さんにありがちな“分厚く”なったり“目深に”なったりしている様子は見受けられないので、当日のサプライズなのかしら(意味がない)。

 記者がびっしり集まってる前で「では新しい元号を・・」と席に着いたときに「なんで葉加瀬太郎が来たんだ」となったりしたら(ならない)。

 ・・馬鹿は4月1日だけにして、発表まであと四日なので、もう最終候補のそのまた最終の5候補ぐらいに絞られているんだろうなと想像しますが、せっかくですから月河も、委嘱を受けた有識者気分で考えてみました。

 月河における漢籍の素養は昭和五十年代の高校古文で止まっていますから、「漢字二文字」「ポジティヴな意味」「読みやすく書きやすい」しか意識していません。あと頭文字がM、T、S、H以外になるようにはしました。古典からの出典は誰か何かしら見つけて、後付けでくっつけてください。

 

①    「啓保」(けいほ):「啓」は拝啓、啓発、啓蒙の啓で新しく開く、明るくする、スタートの意味。「保」は昔からあるものを大切にする。

②    「広元」(こうげん):「広」はゆったり、寛大。「元」は始まり。根もと。

③    「以改」(いかい):「以(もっ)て改める」。何をもって、何を改めるかは人それぞれということで。

④    「宇恒」(うこう):・・別に某民放の女子アナの退社を惜しんでるわけじゃなくて。「宇宙」の「恒常性」を大事にしましょうということで。「恒宇(こうう)」でもいいんですが、タテ書きにすると“一本足打法”みたいになるかなと。

⑤    「扶自」(ふじ):「自」はおのずから。おのずからたすける。フジは日本一の山。採用されたらあやかり命名で全国に「扶自子ちゃ~ん」が増えるかも。関係ないけど、ヴァイオリニストで諏訪根自子(すわ・ねじこ)さんっておられましたよね。

⑥    「研致」(けんち):「研」はみがく、とぐ、洗練させる。「致」はやりきる、尽くす、きわめる。

⑦    「応可」(おうか):「応」は答える、承知する、ふさわしい。「可」はみとめる、できる、ゆるす、よろしい。二つ揃ってポジティヴの極み。

 

 ・・ホールインワンは無理でも一文字ぐらい当たらないかしら。宝くじの末等の下一ケタみたいな。当たっても何ももらえない?

 ・・考えていて思ったんですが、これ、漢和辞典出してきて、画数の少ない、読み方がおおかた一定している漢字を片っ端からつまみ上げて2個一組で並べていったら、別に有識者でなくても、日本人誰でも十や二十候補考え出せますな。だからこそ“出典”が不可欠で重んじられるのかも。

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感じの日

2017-12-12 12:00:09 | 世相

 恒例の『今年の漢字』が、今日(12日)の午後に発表されるそうです。

 なんで今日かというと、12月12日が“漢字の日”なんですって。これこそ誰が決めたんだ、と思いますけど、例によって京都・清水寺の住職さん、貫主(かんしゅ)さんっていうんですか、あのかたが掃除道具みたいな筆でドバーッ、バッサ、バッサと揮毫してくれるんでしょうね。

 今年の一字は、何になるんでしょう。月河は、“問”がいいんじゃないかと思うんですが。

 いろんなことが“問われた”年だった気がするんです。国会は野党がモリカケモリカケ言って、安倍さんがやたら「謙虚」「丁寧」って言って、お互いに言えば言うほど平行線の延長線になるだけだった印象ですが、結局解散総選挙で信を“問う”ことになった。

 証人喚“問”、トランプ大統領の日本~東南アジア訪“問”、大相撲暴力“問”題の問でもあり、天皇陛下の生前退位にパンダの赤ちゃんの名前、2020東京五輪のマスコットキャラクターなど、否応なく国民が“問”われなければならないクエスチョンやタスクやプロブレムが続きました。

 で、来年の漢字が“答”になればきれいです。解答の“解”のほうがいいかな。いやソレ困る!という声が一部野党から上がるかもしれませんが。

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帰れソレトトントへ

2017-04-27 01:06:11 | 世相

 『ひよっこ』が始まってから改めて知ったのですが、オリジナル脚本の岡田惠和さん(惠和と書いて”よしかず”さんなんですね。これも今作で初めて知りました。ずっと”しげかず”さんだと思っていたので。何でだろう)は、月河とほぼ同年代なんですな。もっとずっと若いと思っていました。朝ドラ脚本イコール長丁場の体力勝負、だから若くなきゃ無理だと決めてかかっていたからかな。

 ともあれこれで話が早い。同年代なら、脚本家さんが幼稚園の頃見たものはだいだい月河も幼稚園児として見ているし、たとえば小学校3年生のときこんなニュースが大人たちの間で騒ぎになっていたという記憶が岡田さんにあれば、月河も概ね小学校低中学年の頃大人たちの同じ騒ぎを小耳にはさんでいたはずです。『ひよっこ』は昭和39年初秋からドラマが始まっていますが、昭和39年という年がどんな年だったかの記憶も、脚本家さんと月河でそんなに差は無いと思います。

 この年といえばドラマでも取り上げられたようにまずは東京オリンピックに尽きるでしょうね。奥茨城よりもっとはるかに東京から遠い地域に住んでいた月河も、雑誌の特集ページで参加各国紹介地図やグラビアで何となく「おりんぴっくってのがあるんだ~」と、ワクワクともそわそわともイライラとも(よく意味がわかんなかったので)つかない感覚を持っていたのは覚えています。それ関係の媒体で当時の月河がいちばんお気に入りだったのは各国の国旗を見開き2ページにずらっと並べたどこかの雑誌で、クレヨンでチラシの裏にマネして描きまくっていたそうです。「”ぽーらんど”と”もなこ”のコッキ、にてるね~」なんて言ってたとか。赤白天地逆なだけだし。自分で描くのがムリだと思うこみいったデザインのやつは、親戚のおじさんや年上の従兄弟に「これかいてー」とせがんで、随所で「セイロン!?どこだそれ」「なんだこの三角つないだのは!?ネパール!?」と嵐を巻き起こしていたらしいです。

 あと、小学館の学年誌の巻末に”保護者のお父さんお母さんに読んでもらう記事ページ”が必ず毎号あったのですが、そこにあの三波春夫さんで有名な『東京五輪音頭』の、「こうやって踊ろう」「踊って見せてお子さんに教えてあげよう」という主旨の振り付け連続写真が載っていたのも覚えています。小学館じゃなかったかもしれない。そこらへんこの年頃の記憶のつねでウロなのですが、とにかく子供向けじゃなく、大人向けの、と言うか親向けの、親だけが読む、通常ならグラビアも漫画もないページに載ってたの。結構細かいコマ割りで。一時期『明星』とかに新曲のたびに載ってたピンク・レディーの振り付け分解写真みたいの。あれ見て、灰皿かなんか文鎮代わりにして見開き開いて一生懸命踊って覚えてたお父さんお母さん、彼らに手ほどき受けて教わった子供たち、多いのかな。ソレトトントネ。それはそれでまた微笑ましい、戻りたくても(戻りたくなくても)戻れない昭和の一断面ではあります。

 ちなみに月河の実家両親はふたりとも、お祭りの盆踊りを始め”踊り”と付くものをいっさい受け付けない人たちだったので、幼い日の月河も親から五輪音頭を教わる事はありませんでした。地元東京だと「幼稚園で習って皆で踊った」という同年代もいるようです。雑誌にTVにラジオ、すでにマスメディアの時代になっていたとは言え、東京とそれ以外との体温差、距離感は五輪をきっかけにますます開いて行ったと言えるかもしれません。

 ところで、前のエントリで月河が書いたのと同じ趣旨の事を、先週、宗男叔父さん(峯田和伸さん)が奥茨城聖火リレーの回で言ってくれましたね。

 「すっげーなみね子ら、かっこいいなー、日本の新しい世代の幕開けだっぺや、これ、な!」・・昭和40年3月高校卒業見込みの”みね子(有村架純さん)”は、くどいですが昭和21年4月2日から22年4月1日までの間に生まれた子たちで成る学年。つまり”生まれた時にはもう戦争中でなかった””だけ”が集まった、最初の、皮切りの学年なのです。

(ついでにまたくどく付け加えれば、本当の意味での”団塊世代”は、この時点で高2か高1として同じ校舎にいる、もしくはこの年の春に中卒で就職してすでに働いている子たちが主力となります)

 「戦争に行って帰ってきてから(人が)変わった」と兄の実さん(=みね子たち3人きょうだいのお父ちゃん)にも言われている宗男さんとしては、やはり自然に世の中のいろんなことを”戦争の前か、後か”で分けて考えずにはいられない。ワンカットだけ背中の大きな戦傷痕らしきものが映りましたが、国内のまま終戦を迎えた人でも、大半の日本人がそういう思考回路を植え付けられたことでしょう。彼らにとっては”まるごと戦後生まれ”の”みね子ら”こそが、まっさらで、無傷で、眩いばかりの希望の象徴だったのではないかと想像できます。

 存命ならば90歳代に足を踏み入れていると思われる宗男叔父さん。2年ぶり来日中のポール・マッカートニー(74歳)の公演には行ったかな。杖ついたりして。

 みね子が、昭和39年を幼稚園児としてではなく高校3年生として過ごしている分、脚本の岡田さんにとってはたとえば『おひさま』のような”史料と取材でしか知りようがない時代”を舞台に書くより微妙に難しくて骨が折れるのではないかと思います。”オリンピック”というモチーフひとつとっても、頑是ない幼稚園児の記憶や皮膚感覚と、卒業を控え進路に迷い家族の事情に心騒ぐ高校生のそれとでは大幅に違いがあり、間を埋めるために想像力と取材力にかなりターボかけなければならない。トランプ大統領がマスメディアを叩くときによく言う”alternative fact”(もう一つの真実)じゃありませんが、”自分も覚えている時代の、別の側面””同じものを見ても自分は感じなかった、別の感じ方”を、みね子を書く事で日々発見していく作業かもしれません。

 フィクションを作るのが作家の仕事ですが、作家が”自分”を直截にフィクションに吐き出すと、概ね、と言うかほぼ例外なくスベります。その意味では今作は岡田さんにとって、良作にできる条件が揃っている。戦後生まれ皮切り世代のみね子が、ひと回り下世代の岡田さんにどう造形され、どう成長し、どう泣き笑いどんな人生を手にするのか。見守るとしましょう。

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結局、金なんだろ

2010-12-18 15:58:48 | 世相

クレジットやローンの多重債務者には、実は金づかいの本当にルーズな人、ずぼらでだらしない人は少なく、どちらかというと几帳面でまじめな人のほうが多い、という話は何度か聞いたことがあります。

あてにしていた収入が入らずあるいは足りないまま返済期日が迫ると、「どうしよう返せない、返さなければ」と焦り、返済のためだけにさらに借金を重ねる。そちらの期日が迫るとまた借りる。そうこうするうちに、自前の収入では一生かかっても返せない額にまで債務がふくらんでしまう。

とことんずぼらで無神経な人なら、「返せ返せ言われたって、無い袖は振れないもん」「返せませんが何か?」と開き直るから、かえって多重債務を背負うこともないそうです。

『相棒 season 98話(実質7話)“ボーダーライン”の元・派遣社員柴田(山本浩司さん。『ゲゲゲの女房』では今回と対照的な、嫌味な税務署員に扮しました)も、ある意味そういう、真面目さでみずからの首を絞める悲しき多重債務者と似ていたような気がします。

「食えませんが何か?」と開き直って、恋人の部屋に転がり込むなり兄に泣きつくなりしていれば、あるいはいっそ門前払いを食わせた相手に暴力のひとつもふるって警察に突き出されてでもいれば、とりあえずの一夜の宿と、先の見通しにつながる示唆や出会いも望め、最悪の結末を迎えずに済んだかもしれないのに。

「何としても就職して自立を」「人にぶらさがって迷惑かけて生きたくない」にこだわった不器用な廉直さ、どこか“硬度”のイビツな潔さゆえに、あてどない報われない自助努力のハムスターホイールに嵌まり込み、やがてはみずから墜落する結果になってしまいました。

転落死体の解剖結果の中の、胃の内容物にまず右京さん(水谷豊さん)が食いつくところはseason 3“書き直す女”を思い出させ、“失われた足跡のトレース”ものとしては、season 5“イエスタデイ”にも相通じるものが。「食えるようになろう」として、結果的にはどんどん食えなくなっていった柴田の、死までの11ヶ月。視聴途中で「食べ物を万引きして隠れ食いしていたから、右京さんから不審がられるような内容物構成になったのか?」「悪いヤツに犯行現場を見咎められて脅され交戦の結果転落?」とも思いましたが、明らかになった真相はもっとずっと痛ましいもので……

右京さんらの捜査の過程で、派遣切りカムフラージュや労基法違反の名ばかり請負土建会社、免許偽装の盗品故売商、偽装自己破産や不法入国隠しのための名義売買、違法ではないが本人確認せず書面だけで契約するため、何の温床になるかわからないコンテナレンタル業、生活保護費圧縮のため困窮者の見極めもせず年齢で前捌きする福祉事務所など、弱者・敗者に徹底的に冷たく、なおかつ隙あらば食いものにしようとさえする現代の歪み病んだ社会の端々が明るみに出ました。柴田はそこまで読んで期待してあの挙に出たわけではなかったかもしれませんが、彼の死も無駄ではなかったとせめても思いたいものです。

“ここで何とかできてさえいれば”の最大のターニングポイントだった、実兄への相談場面がいちばんせつなかった。事実上の休職を何度かはさみながらもどうにか2年間契約雇用を得、やっと正社員に取り立ててもらえるはずだったイベント会社からまさかの雇い止め、お為ごかしに紹介された転職先もブラック派遣で収入は激減、一時しのぎでも少しは融通してもらえないかというギリギリの相談が、なんと寒空の1月の夜の公園砂場です。

兄は勤めから鞄を持って帰宅途中。実の兄なのに、自宅に上げてもらうことすらできない。

兄も、実の弟として窮状を気づかう情(じょう)が皆無なわけはない。しかし大卒時就職氷河期で定職に就けず、10数年非正規雇用を転々として慢性的に金欠のまま30代半ばに達した弟を連れ帰り面倒みてやるのは、他人である嫁や、(あるいはお受験期かもしれない)子供たちに顔向けならないという、兄には兄なりのプライドや恥の観念があるのです。まして実母(「おふくろが入院したときにも顔見せないで…」の台詞あり)を同居させ、おそらくは嫁に介護させてもいる。

あるいは柴田自身、高齢で(たぶん)病気持ちの母親に、“いい年をして食えてない自分”を見せたくないと思っての夜空の公園相談だったのかもしれない。そっちのほうが、もっと痛いなあ。

兄の口から特命コンビと捜一トリオに語られるこの回想場面のあと、薄皮を剥いでいくように明らかになる悪辣な裏社会システム、冷たい役所対応、食えないゆえに冷え切っていく恋人との関係などより、最も切実に映りました。

劇中でも出てくるように、公的生活扶助はまず“親族・縁戚がいるならまずそっちに頼ってから”という順位づけになっています。助けてもらえる“身内”が誰もいないことが明らかになって初めて生活保護申請もできるという話。

しかし実際、困窮者の立場になると、親兄弟ほど助けを求めにくい相手はいないくらいなのです。困窮している姿をいちばん見られたくない相手だし、いちばん迷惑をかけるのが申し訳ないと思う相手でもある。

真相解明後、「(柴田本人と、周りの他者たちとの)どちらかが“本気で”手を差し出していたら、このような結果にはならなかったんじゃありませんか」「残念ですねぇ」とつぶやいた後、珍しく神戸くん(及川光博さん)を“たまきさんのところ(=花の里)”に誘った右京さん、「ちょっと、暖まりたい(気分)ですね」と速攻応じた神戸くんともども、当夜の一献は柴田の鎮魂のために傾けたと信じたい。

すでに起きてしまった事象どもを推理推理で追いかける、犯人追跡捕り物サスペンスも特にない淡々とした叙述のエピソードでしたが、たとえば“違法ではないけれど問題含み”のレンタルコンテナ会社社長が聞き込みの間じゅう熱っぽい顔にマスクで、しきりに鼻をかんでいたり、特命コンビと入れ違いに事務所から出て行った従業員も背を丸めて咳き込んでいたり、柴田が(ブラック派遣とは知らず寮付き転職と信じて)引っ越した後のアパートを案内する女性管理人が「さむ~」と震え上がっていたりなど、“いろんなところに底辺が覗く”感を随所に垣間見させる演出も秀逸でした。

年の瀬にボーナスのちょっぴりもない、当方の身に沁み入るようなエピの中にも、神戸くん→捜一トリオ「ギブアンドテイクでいきません?さっきのアパート大家さん情報がこちらのギブです(←左手ポッケで右手でギブモーション×2)」→右京さんが芹沢くん(山中崇史さん)の腕グッ!(←“失敬、掴みやすいところにあったもので”みたいな)など、微苦笑寸劇も要所にまぶしてある。劇場版ⅡはDVD化されてからレンタルという、月河のいつもの運びになりそうですが、『相棒』、10周年を迎えてますます磐石です。

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パセリ政治ローズマリー&タイム

2009-01-27 00:11:41 | 世相

オバマ大統領の就任式の模様や、直後の世論調査での支持率報道など見るにつけ思うのですが、オバマさんよりずっと前、特に1992年にクリントンさんが当選した頃でしょうか、「どっち党の誰が当選するにしても、国民が自国のトップを、セカンド(=副大統領)とセットで、直接選んで投票して決めて、決まったら満場の喝采で誇りを持って迎えるんだから、アメリカは進んでいるよなあ」とイノセントに思った時期が月河にもありました。

当選時クリントンさん46歳、アル・ゴアさん44歳、2人とも長身で体格がよく(白人男性としては普通なのかもしれませんが)、まあ二枚目と言ってもよく、ひるがえって当時の日本のトップと言えばヨーダ…ではなく宮沢喜一さん73歳だったことも相俟って、“アメリカ(の民主主義政治)はいいなぁ”の感がひとしおだったのだと思います。

実際には大統領&副大統領候補に有権者が直接投票するわけではなく、各州上下院議員数と同数の“選挙人”を選ぶことになっているそうですが、とにかく「国民が自分の意思でトップを選び、選んだら、ミーハーなくらい賞賛しリスペクトしヒーロー、スター扱いする」というところが見事に日本と対照的な気がしたのです。

日本でも、就任当初の安倍晋三さんや、最初の総裁選の頃の小泉純一郎さんなんかは地元の街頭だけでなく、地方遊説でも結構な人気がありましたが、“国民がみずから選んだ”ということに裏打ちされた人気というより、“TVで話題のアノ人をナマで見たい”という物見遊山的な気分が半分は混じっていたと思う。

それ以外は、○○さんが総理になりましたと聞いても、国会に登壇しても「へぇー」「ふーん」ならまだましなほうで、ヘタしたら半笑い、「けっ」としか世間の人は反応しなかった。リスペクトや、ましてや熱狂とは真逆です。

日本では、衆参両議会議員をそれぞれの選挙区から選ぶまでは確かに直接投票で、その結果でどこの政党が過半数を取るかを決めるまでは関与できますが、その先、トップを決めるのは議員たちの互選で、総選挙当時の党のトップが党規約の任期や何やらで降板すると、あれよあれよと言う間に「こんな人が総理大臣になっちゃうの?」「聞いてないよ」となることも多い。少なくともここ10年ぐらいの歴代内閣総理大臣で、名実ともに、磐石に“日本国民の選択と付託”に基づいて就任し勤め上げたと言える人は、一人か二人か、あるいはそもそも居るかどうかも疑わしい。

しかも、その議員を選ぶ(までしかできない)選挙の投票率も、紅白歌合戦じゃないけど憲政史始まって以来少しずつ、しかし一本調子に下げ続け、平成に入って以降は70%を超えたことがなく、概ね60%台なかば、ヘタしたら50%台に落ちています。

話が変わりますが月河実家の祖父は、生前、選挙と名のつくものに一度も投票したことがないと公言していました。

地方の家業を継ぎ、東京に進出して本家は長男に預け、東京で次男以下42女を育て(長男も入れれば52女の子福者でした)、男の子は全員大学、女の子もそれに準じる高等教育まで進学させ、子供たちにも「選挙なんてのは思想かぶれした、学校の教師や学者連中がやることで、オレたちはまじめに働いて妻子を養い、余裕ができたら貯金する、それに専念することだ」「真っ当な人間は政治なんかに興味持つものじゃない」人は政治で幸せにはならん」と口癖のように言っていました。或いは地元にいた若い頃、政治・選挙に関わって不幸になった親しい友達でもいたのかもしれないし、自分も家業の職域か町内会がらみで手伝って大火傷でも負ったのかもしれない。そこらへんは聞きそびれました。もう少し存命でいてくれたらと思います。

とりあえず祖父のその言葉を長い間聞いて育った息子たち(月河の伯叔父たち)も、「選挙で一票入れたって何も変わらないし、良くならない」と自分たち流に翻訳して、やはり今日まで区議会町議会レベルの選挙も投票に行ったことがないそうです。

(ちなみに2女のうちのひとりである月河実家母は、結婚して実家を離れるのが早かったので、旦那のほうにより影響され、「投票日が暇で天気も体調も良ければ行く」「選挙公報や政見放送は“耳目に飛び込んで来れば”見るし読む」という姿勢でした)

民主主義、主権在民の憲法精神に則れば、決して褒められたことではないけれど、「参政より、それぞれが自分の天職に専心して、働いて貯蓄」という、祖父のような考え方は、それはそれで有りなのかなとも思う。

 「人は政治で幸せにはならん」という祖父の口癖は、“人は医者やクスリで健康にはならない”という月河の最近の所感と相似のような気がします。国会質疑や予算委員会中継、ぶら下がり会見で毎日のように見る政治家、議員たちの顔を見、喋りを聞いていると、オバマブームのUS発のニュースと引き比べるのとは別の意味で「政治(家の力)で日本が良くなるわけじゃないよな」とつくづく思う。

国民ひとりひとりがそれぞれの職分においてまじめに働き、家族や近しい人たちを幸せにするよう努力する。国が良い方向に向かうためには結局それしかありません。総理大臣が何党の誰になるかなんてことは、関係ないわけではないけれども、飽くまでその扶助、サポート、もっと言えば“邪魔しない”役にしか立たない。

選挙をやるたびに投票率が下がっていくのは、“自分の一票で政治が変わった”“変わった政治のおかげで自分の幸福度が上がった”という実感を誰も持てないからでしょう。「実感がなくても投票するのが主権在民、民主主義国家というものだ」「一票の権利もなく独裁者の恣意で弾圧される国になったほうがいいのか」なんて言説は、“政治が自分の幸福につながらない”という圧倒的な現実の前には屁理屈に過ぎません。

次の選挙は昨年からちらついては消え、またちらついては消えしていますが、オバマさんのような“選ばれて喝采を浴びるリーダー”がさっぱり現れないことより、直接政治に関わることのできる唯一の機会である選挙の投票率が、いくら広報宣伝してもジリ貧なことのほうが問題なのかもしれない。

そういうことを考えるたびに祖父の「真っ当な人間なら政治を考えるより働け」「人は政治で幸せにはならん」という言葉を思い出し、ヒーローのようにもてはやされなくてもいいから、せめて自分と家族のためにまじめに働く国民を、静かに邪魔せずサポートしてくれる政治家、総理大臣が出てこないものかと思うのです。

もちろんそういう人がトップに立つにも、国民が投票に行かないと始まらない。

自分の尻尾を咥えた蛇のように、どうにも堂々廻りが続きます。

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