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イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

灯は消えなかった

2008-10-13 21:12:05 | 再放送ドラマ

再放送『その灯は消さない』は10日最終話でした。一連の東海テレビ制作作品は本放送では週5回放送なので、アレ?62話で終了?とちょっと“割り切れない”気がしましたが、TVドラマに関する資料サイトを複数当たってみるとこれで全話なようです。本放送が96年正月明けから始まっていますし、祝日は放送休止ということもよくありますからね。

思いを寄せる風俗嬢・晴美(有沢妃呂子さん)のアパートでの殺人未遂容疑で健一くん(芦田昌太郎さん)まさかの逮捕がきっかけとなって、離婚後の自立を目指し東京のアパートに越した智子(坂口良子さん)が、桂子(麻生真宮子さん)にも振られて酒浸りだった藤夫(柴俊夫さん)と再会、川合(大橋吾郎さん)も「健一くんがやっていないと思うなら信じぬいてあげるのが母親だろう、俺もジャーナリストとして真実を明らかにするようできるだけのことをする」と、元彼元カノの経緯を越えてアシストする…という、家族ドラマにふさわしい流れでハッピーエンドになって後味も良かったと思います。

健一くんに関しては、彼自身あまり気のないクラスメート女子がアプローチしてきて、さしたる展開もなく退場したり、血の繋がらない継母の智子をいきなり女性として意識したりと、どんなポジションのキャラにしようとしているのか定めかねているような印象もありましたが、晴美という“汚れた顔の(=風俗嬢)天使”を出したことで落とし所が決まったみたい。

誤解して罪をかぶる気の健一に手紙を書いて「コレ渡して」と智子のアパートを夜半訪れる場面でイルカの『なごり雪』が流れたのはちょっとやり過ぎな気もしましたが、脚本家さんが晴美をとても愛して書いてくれたおかげで、結果的に健一くんもいいフィニッシュができましたね。今年度の受験は結局、間に合ったのかな。

晴美のムショ帰り彼氏・栄次を演じた、高島政宏さんにちょい似の渡祐志さんはどこかで…と思ったら9798年『ウルトラマンダイナ』に何話か出演されていますね。「お金がなくて、ひとつのラーメンを分け合って食べたこともある、私にはやっぱり栄次しかいない」と晴美がハラ決めたのはカッコよかった。ぼんぼんの受験生で親がかりの健一くんとこれ以上抜き差しならなくなるより、栄次を鍛え直してたくましく生きて行くほうが晴美さんには似合いだと思う。絶妙のタイミングで意識を取り戻した栄次も、“あの坊っちゃんが晴美のために罪をかぶろうとした”と知ったら「オレもうかうかしてらんない」と本気で生き直すかもしれないし。

中盤までは智子に男として未練たっぷりな川合でしたが、伊東の実家の智子母(今井和子さん)の事故負傷を救出した辺りから「智子が大切に思うものを守る、やりたいと思うことを応援する」というベクトルに変わってきて、ラストは月河がお似合いだと思った通り智子親友・弘美(山村美智子さん)との新しい人生を暗示する終わり方。月河はむしろ「いつ香港取材に行って、ギャングに刺されるのか」とヒヤヒヤかつ楽しみにしていた(おい!)のですが、最終話前に微量ウェスタンないでたちで帰国した律子(吉野真弓さん)のためにも、死なないラストでよかった。

智子お母さんの事故死も半ば認知症進行による加齢死に近いものだったし、誰も不幸に変死しない、ってのはそれだけでもだいぶ後味がいい。

信州松本のお祖母ちゃん(東恵美子さん)はまだバリ健在なようで、律っちゃんが養女に行く話も立ち消えになったわけではなく、健一くんの受験、失職した藤夫の今後…と難問山積のままなエンドマークでしたが、堀口家全員が一堂に会し食卓を囲んだところで「あとは何とでもなる」と明るい気持ちになれたのではないでしょうか。“家族揃ってこそ”というコンセンサスを視聴者に取りつけられた時点でこの着地は成功でしょう。最近のこの枠作における“誰と誰がくっついて終わればハッピーエンド”という見かたに縛られずにエンドを迎えられるテンションを保ったからこそ、ラストシーン「家族になる前、私たちはただのオトコとオンナとして愛し合って夫婦になった、そのことを忘れちゃいけないんだと思う」藤夫「そうだ、オレはオマエと一生、添い遂げようと思ったんだ」のやりとりが活きた。

全体に“オス・メスの恋愛感情”より“家族に向ける、家族として通い合う思い”が上位に来る世界観で一貫したのが良かった。智子が「これからどちらへ?」と訊かれて答えずに去ったカウンターでマスター(不破万作さん)が「お幸せに」とひとり乾杯したところが月河はいちばん泣けましたね。彼は智子がどっちへ行くと思っていたのかな。

昼でなく深夜ドラマでもあれば、“BAR メンフィスに来る人々”というフォーマットでも作れたかもしれませんね。堀口家の人々はもう当分来ないかもしれませんが、ともにライフワークを持つ同士、距離置きつつでもカップルになった後の川合と弘美には、安らげる場所として存続してほしいと思います。あと、成人してからの健一くんにもね。

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発音が唸り声と同じ

2008-09-05 23:22:48 | 再放送ドラマ

当選すればその年に73歳になるジョン・マケインさんがアメリカ大統領選共和党候補となっていることについて先日、どうしちゃったの若さ賛美だったはずのUSA?とここで書いたのですが、党大会の映像など何度か見るとからくり、と言うか意味するところがわかるような気がします。

1936年生まれで5年にわたるベトナム捕虜経験を持つこの人は、“戦争耐性に富む”ことをもって61年生まれの民主党バラク・オバマさんに対抗しようとしているのだと思う。

演説や公式ステートメントでそうは言わないが、「世界には、好むと好まざるとを問わず、それが正しいか正しくないか以前に、“戦争”はある、存在するのが普通の状態だ」という大前提で、この人は立候補し演壇に立っているように見える。

“この国の大統領選毎度のワーワー、ウォーウォー旗振り政治ショー式党大会もいつ見ても違和感がある”とも同じ記事内で書きましたが、「世界に戦争はつきものだ」「政治とは戦争をコントロールすることだ」という前提がある国と、ない国では、政治の下地の段階で空気感が違うのは自明でした。

世界に戦争がつきものなら、巻き込まれて被害者になるより、みずから仕掛けて戦利を得るほうがはるかに得策であり、政治としてサクセスフルだ、という考え方も当然ある。捕虜拷問時の負傷の後遺症でアクションがぎこちないマケインさんの、損傷部分をパテで固めたような、“盛り土”をしたような体型や顔貌は、“戦争被害者”ではなく“苦戦でも敗退しない闘士”のアイコンとして、党大会の演壇でライトを浴びているのです。

浅黒く柔軟そうな体躯、エキゾチックな容貌で“若く廉直な切れ者”をもって鳴るオバマさんが、戦争はあるべきではないと教えられて育った世代の代表なら、マケインさんは「べきではなくても、予めあるのが世界であり政治というものだ」を譲らない、冷戦時代以来の“アメリカの政治家らしい政治家”世代代表。

月河はかねてから「病気は医者(or病院、薬)では治らない」「治るのは本人の生命力、反発回復力、免疫力」「医者その他は援助するだけ」と考えていますが、同じように「国も政治家では良くならない」と最近つくづく思うのです。TVの街頭アンケートで、“いかにも一般ピープル”らしい風情のおばさんやフリーターの半笑い顔でよくオンエアされる「誰が(総理に)なっても同じ」という言辞とはちょっと含むところは違います。

国がいまよりましになるか、ひどくなるかは畢竟、国民自身にどれだけ矜持があり、自分及び自分以外の近しい人たち、自分の日々やっていることを尊く大切に思う気持ちがあるかにかかっていて、政治家はせいぜい“そこに極力、冷水を浴びせないようにする”ぐらいの影響力しか持ち得ない。

しかし、たとえばマケインさんの、星条旗の下の満身創痍から立ち直った“修理後”のような容姿や話し方を見ていると、「政治家で良くなる(あるいは悪くなる)国」というのが、日本ではないところには確実に存在するのだな、との感を新たにします。

あるいは、「国民が“政治家で国が変わる”を信じ謳い上げられる国」と言うべきなのでしょうか。戦争と言えば、みずからコントロールし得るものではなく、“巻き込まれ脅かされて惨たらしい目に遭う”もの、というイメージしか抱けない此岸の国民としては、対岸の政治ショーをどう見守り評価すべきなのでしょうか。

再放送の『その灯は消さない』は第44話。ウソ妊娠で揺さぶるも不発に終わった桂子(麻生真宮子さん)からの自宅への嫌がらせ電話砲で、智子(坂口良子さん)に浮気がバレちゃった藤夫(柴俊夫さん)の「…どーしたんだ?ぼんやりして?」としらじらしく探り入れる目つきがよかったですね。こういう、昭和滑稽風味のベタさって、ステレオタイプな場面だからこそ役者さんの腕の見せどころという感じ。

風俗嬢晴美(有沢妃呂子さん)に夢中の健一くん(芦田昌太郎さん)に「彼女と付き合うことは認めてもいい」とサプライズを放ち、「但し受験はちゃんとしろ、その娘だって、自分のためにおまえが進学をあきらめたと知ったら困るだろう」「その娘のためにもそうすべきじゃないのか」とアメムチで諭す姿も、桂子からの度重なる電話攻撃に「お父さんだってヘンなオンナから電話かかってくるじゃん」と健一くんに弱み握られた後だけに、かえって説得力がありました。やっぱり思春期男子のお父さんは、清廉潔白一本槍よりも“黒焦げにならない程度の火遊び経験”はあったほうがいいなあ。

晴美役の有沢さんは、一時期の三原じゅん子さんを丸くしたような、(ほぼ死語だけど)“おヘチャ”系の可愛い子ちゃんで、お水どっぷりの生活ながらほのかに土の匂い家庭的な匂いも漂わせる辺り、『白と黒』第一部の華だったサリナちゃん(桂亜沙美さん)を思い出させます。賤業の泥の中に咲いた一輪の白い花、“心だけはお嬢さまより清らか”“オレだけの天使”という幻想は、やはり作家なら一度は書いてみたいキャラジャンルのひとつですよね。

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熱愛はないのでしょうか

2008-07-19 17:59:53 | 再放送ドラマ

再放送中の『その灯は消さない』は、いつか来るぞ来るぞと思っていた場面が17話にしてついに来ました。長女・律子(吉野真弓さん)が「付き合っている男の人がいる」「ルポライターで名前は川合祐治(大橋吾郎さん)」と打ち明け、ヒキツケ起こしたみたいになる智子(坂口良子さん)。十数年前、他の女を部屋に連れ込んでいるところに来合わせ、生木を裂く様にして別れた昔の彼氏ですよ。もちろん夫・藤夫(柴俊夫さん)にも話していない過去の生傷。

律子から「お母さんのことも彼に話したの、彼、会ってみたいって」まで言われて周章狼狽。名前と職業と、年が律子よりだいぶ上だということ、「私の人生を変えてくれる人かもしれないと思ったの」だけしか聞いてない段階で、「付き合うな」と言ったらあまりに理不尽で説得力がないだろうと、智子もわかっている。

しかし何もいきなり過呼吸症候群というか、動悸息切れみたいにならなくてもね。ドラマ、特に昼ドラマの中でしか発生しにくい状況だけに、こういうときの“衝撃”をどう演技で表現するか、悩ましいところではありますな。

視聴しながら智子の身になってみたり、律子の目線になってみたりするのですが、お堅く育った適齢期の娘としては、エプロンの似合う家庭的な顔の下に“まだまだオンナ現役”の匂いが芬芬する智子のような女性を「お母さん」と呼び、娘として接するのがどうも居心地の悪いところはありますね。

ドラマだからって言えばそれまでなんだけど、智子、自宅にいるときも台所に立つときもビシッとメイクして髪ひとつ乱れていたことがないし、「お腹すいた?じゃお母さん得意のホットケーキ焼いてあげるワ」なんて小首の傾げ方が、「“かわいい”で評価されてきた女性」のままなんだな。たとえ喉や目周りに小じわ中じわが目立ってきていても、“かわいい”と言われつけて年を重ねてきた女性は、そのタームからなかなか解脱…いや離脱できないものです。娘として、“母”がこういったふうなのは、そこはかとなく落ち着かない。

また坂口良子さんが、14年前の川合とのつらい別離以降、縁あって優しく堅実な夫に出会い、押しも押されもせぬ大企業の、重役の覚えもめでたい出世コース管理職の妻として、母として主婦としてだけでなく、サイドビジネスの宝飾デザインも順調で満ち足りているにもかかわらず、心身の“恋愛中枢”のある部分が凍結して時間が止まってしまっている智子のディレンマを実によく表現してもいるのです。お腹をいためた実の子・次女の可奈(←小学生)に対するときに比べて、先妻の子の律子と健一にはやはり暗黙の遠慮があり、プライバシーに踏み込むときには「何かあった?」「悩みごととか?」と小首にますます角度がついて様子様子した素振りになるのもリアリティがある。

思い切り言ってしまえば“母親”とは一種“汚れ仕事”です。“キレイかわいいで評価されたい”“オンナとして遇され愛されたい”を、剥ぎ取られるのではなくみずから好きこのんで捨ててしまわなければ、母親にはなりきれないし、母親たり続けることもできない。

しかしもともと低くはなかった“恋愛体温”が、川合との間で最高温に達したとき“瞬間凍結”したままの智子は、なりきっているつもりで実は“母親”の体温になっていないのです。

智子は14年前川合に「一方的に裏切られた」「再び自分の前に現われたら、娘をだしに嫌がらせぐらいするかも」と怯えていますが、実は川合は行きつけのバー“メンフィス”のマスター(不破万作さん)には「別れた妻より、謝りたい人がいる」ともらすなど、むしろ懐かしく“戻せるものなら戻したい”気満々みたい。演じる大橋吾郎さんのトッポい雰囲気のせいで、どうも律子に対しては大人の男としての真剣な恋愛感情というより“開発することに興味持ってるだけ”感が拭えないのですが、律子の「お母さん」が智子と知ったときの川合のリアクションも見ものだなあ。

96年本放送のドラマらしく、一応業界では敏腕で通っているらしきフリールポライター川合のマンションにも、素敵な部長さん藤夫に秋波送りまくりの重役秘書・桂子(麻生真宮子さん)のデスクにも、熱転写プリンタ一体型のラップトップワープロが。当時は最先端のデスクワーカーもコレだったんですよ。美術協力のクレジットを見るとF社の製品らしい。

いま同じF社製のPCを使ってこのブログも書いているのですが、やはりものを書くにはワープロがよかったなと思うのです。程のよいアナログ感がありましたからね。

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移りゆく季節の風に

2008-07-03 23:57:22 | 再放送ドラマ

先月から火~金再放送の『その灯は消さない』を録画視聴のたびに、南沙織さんの『愛は一度だけですか』を聴いています。

ドラマ本放送が961月ですから、たぶんリリースもその頃のはず。さすがに古い。

阿久悠さん作詞、都志見隆さん作曲の楽曲は昼下がり向きのバラードでさほど時代遅れ感はないのですが、78年に引退して結婚、91年に紅白歌合戦で復帰してから休み休み、媒体に露出することなく新曲リリースだけしていた南さんの声、節回しがいかにも70年代な上、“片手間感”…と言って悪ければ“現役感の薄さ”にあふれている。

♪ 耳飾りをはずして そっと握らせ/思い出の代わりに これを大切にしてねと

あれはいつのことかしら 遠いけれど/目を閉じるたびに あざやかに思い出される

 ……リリース当時41歳という年齢を考えると、かなり優秀な高音も出ているものの、「あァーンれは」というもたれた引っ張り方は、オイルショック後の70年代なら若者の心をくすぐる甘さに満ちていたでしょうが、やっぱりいま聴くとさすがにキツい。

96年と言えば、邦楽シーンは小室哲哉さんのTKサウンドに席捲されていた頃ですから、当時聴いたらいま聴くのと違った意味で、やはりきつかったことでしょう。

70年代初頭、いまのように“アイドル”という商品ジャンルがあらかじめセパレートされていなかった頃、南沙織さんの曲が好きでポスター類を部屋に貼っていることは、若者男子には天地真理さんや、ちょっと遅れてデビューした麻丘めぐみさん、桜田淳子さん、浅田美代子さんなどのそれを愛好している仲間より、ちょっと鼻高々で“恥ずかしさが少ない”誇らしさがありました。

いまTVや映画で活躍しているオキナワン・ビューティ仲間由紀恵さんや国仲涼子さん、貫地谷しほりさん辺りとは違った、わかりやすいエキゾティシズムの浅黒南国美人。若者男子を意識した、ビーチや水着を連想させる楽曲を歌いながら、“芸風”が賢そうで実際アメリカン・スクールに通うバイリンガルでクリスチャン。特に戦後生まれ日本人青少年のコンプレックスを甘く刺戟する要素を全身に散りばめ、かつ歌唱力も確かで文化人・アーティストにファンが多いのも“高級感”の源になっていました。

やはりいま思えば70年代の“時分の花”だった。南さん個人の歌い手としての生涯能力の総量がどうこうではなく、時代が南さんを必要とした時間は意外に短かったのです。短かった分、惜しみなく咲き誇った。

大学に専念するために惜しまれて引退、翌年電撃結婚、やがて3児の母に。身の丈に合った、正しい道を選ばれたと思います。

放送中の『白と黒』は第4話。第1週通過前に早くも中休みモードか。礼子(西原亜希さん)のあてどない不安を軸に、カマかけては→正答なしの繰り返しではいつまでたっても話が広がらない。

聖人(佐藤智仁さん)のスケッチブック妄想ヌードの件では、礼子は気が利かないというより、無意味に意地悪に見えた。事故救出の件に昨日のタオルの件が重なっても、聖人に恩を感じていないのか。同じ女性として珠江(斉川あいさん)の身になったらいたたまれないだろうに。“所長の子息の、東京から来た婚約者はわけわからない行動する厄介者”と所内で礼子が孤立するような流れにしたいのかな。

1話のブローカーたち、猛毒夾竹桃、所長の婦人像の件も、こうしている間にひとコマぐらいずつ進めておかないと、早晩、木に竹を接ぐような話になりそう。

ここらで唯一の大人担当・桐生所長(山本圭さん)が化学・植物学の、物語のキモを象徴するような薀蓄をひとくさり披瀝したり、家政婦・路子(伊佐山ひろ子さん)と大人の意味深な会話をしたりするシーンが入ればぐっと奥行きが出るのに。この2人、どんな料簡で20年からの歳月雇い雇われてきたのか。

嘴の黄色い若者同士のハラの探り合いに終始しては、若手男優の半裸や付け焼刃見え見えのフェンシングシーンをおかずに挿入したぐらいでは客が惹き込まれないと思いますが。

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ポイントofノーリターン

2008-06-24 00:12:46 | 再放送ドラマ

先週19日から、変則火~金の帯で当地ローカル再放送が始まった『その灯は消さない』の充実度、丁寧さに軽く驚いています。

一男一女子持ちの一流会社リーマン・藤夫(昔シルバー仮面・のちレディス4柴俊夫さん)と結婚し一女をなして15年、連れ子たちにも懐かれ趣味と実益の宝飾デザインなどこなしながら一見平穏に満ち足りた生活を送る智子(坂口良子さん)、しかし再婚の夫は、長野の旧家出身で死別した先妻・かず子の実家両親と、“ひとり娘のかず子を手放す条件に、かず子が産んだ子のひとりは実家の跡取りにくれる”約束をしていたことを智子に隠しています。未亡人となって実家を守る気丈なかず子母(東恵美子さん)は藤夫がかず子の産んだ2児を連れて智子と再婚したことを、いまもひどくうらみに思っています。

智子も藤夫との結婚前は、長く付き合っていた彼氏がいた様子。

一方、OL一年生となった長女・律子(吉野真弓さん)はそろそろひとり暮らしをしてみたくひそかに物件物色中。そんなある日会社のお使いの帰途、議員ボディガードたちに追われるトップ屋フリー記者・川合(大橋吾郎さん)とすれ違いざま肩が触れて、咄嗟にスキャンダル写真のネガを託され…川合は智子の女友達でデザイン納品先である宝石店店長・弘美(ひょうきんベストテン山村美智子さん)と学生時代の知己でもあるようです。

1話冒頭の、長野の藤夫の先妻実家での亡父葬儀の場面がいきなり重厚。実際の旧家の、高格式な葬儀の映像と、スタジオセットでの役者さんを使った映像とを重ねてつなぎ合わせたようでもあります。一歩間違えばワザトラ作り物臭さを増幅させかねないリスクをあえて冒し、信州松本という地方色を強調し東京で藤夫の帰りを待つ智子の心象との対比を際立たせる、箱庭・書割感を最小限に抑えたこういう撮り方も昼ドラでは久しぶりに見ました。

“地下水脈”を張りめぐらしたかのようなことさら複雑な人間関係設定、度重なる宝くじレベルの偶然の出会い、極端すぎる価値観や主張で類型化した人物像など、よくからかい気味に言われる“いかにも昼ドラ”ファクターも随所に散見されるものの、好感が持てるのはここ最近の同枠作品で鼻につきがちな“はなから開き直った”“セルフパロディ”の匂いが非常に希薄なことです。狙わず、大真面目に、謙虚に作っている。

この作品が本放送された961月期の夜の時間帯と言えば、『ピュア』と『オンリー・ユー ~愛されて~』の2大(?)“知的障害者ドラマ”が東西正横綱だった記憶が。前者はMr.チルドレン、後者はオリジナル・ラヴ田島貴男、ともにドラマより主題曲のほうが印象深い。スピッツ『白線流し』もこのクールだったか。“学校”“制服”“教師”“受験”などがメインモチーフのドラマは滅法苦手なので、これだけは1話も見なかったと思いますが、とりあえず、当然のことながら傑作良作揃いとはいかないものの、夜は夜、昼は昼で“ドラマがドラマの文法やパラダイムを信頼して作られていた”時代の、最後の最後のそのまた末尾の時期がこの頃だったかもしれない。

昼ドラも、いつからあからさまにセルフパロディをやるようになってしまったのだろう。やって悪いことはないけれど、そっちへ踏み越える前の『その灯~』のような作品を観る機会があると、もったいないと思うのです。セルフパロディをセルフパロディと認識して、「あーやってるやってる」と指さして笑うという消費のしかたが客にも浸透してしまった以上、もうビフォーには戻れない。

02年の『真珠夫人』のセンセーションがひとつの分水嶺だったような気はします。

現放送中の『花衣夢衣』は最終週、恒例・収束前のもうひとモンチャクに入ったはずなのですが、帰宅して巻き戻したら砂嵐しか録れてない(崩)。よく見たらビデオデッキの背中のアンテナ線が外れてました(慌)。物語がもうチョット盛り上がっていたらこんなミスはしなかったはずなんだけど…ってこともないか。通常デッキの背中チェックしませんもんね。今朝出がけにマッハで掃除機をかけたときにやっちまったかな。

ドラマ本編より、今日からオンエア始まるはずの次クール『白と黒』スポット番宣を録り損なったのが悔やまれますが、これは明日火曜日再挑戦。本編はネット情報で補完しようっと。終盤に入って“目が離せない人間関係ベクトル”が和美(萩尾みどりさん)と愛人ジュニア俊彦(吉岡毅志さん)の結末しかないので、この程度の情報量でちょうどいいのでした。

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