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HK 変態仮面 アブノーマル・クライシス 【感想。。。】

2016-05-17 09:00:00 | 映画


変態仮面への覚醒にはパンティーが必要だ。よって世の中からパンティーがなくなれば、色丞狂介は正義のヒーローにはなれない。まさにクライシス(危機的)な状況だ。その危機を変態仮面がどう乗り越えるのかが本作の大きなポイントになっており、変態仮面の誕生を知らしめた前作の続編としては申し分のないプロットである。が、本作は前作から面白さが半減。前作の後半以降にあった「変態合戦」で急激につまらなくなった調子を引き継いでしまった。クダらないことを大真面目にやるから面白いのであって、クダらないことをバカっぽくやっちゃダメだ。自分はコントを観に来たのではないので。。。

「変態仮面は変態だけど、ボクは変態じゃないんだ。」

自分を変態呼ばわりする愛子に対して、色丞狂介が繰り返すセリフだ。このセリフに「変態仮面」の魅力が集約されている。色丞狂介は自分を変態だとは自覚しない。いや、認めたくないのだ。その葛藤とは裏腹に、変身後の開放ぶりがギャップとなり笑いを誘う。それが大いに下品でクダらないから良い。真面目なキャラクターがあってこそ、格別な笑いになるのに、続編となる本作の色丞狂介はその境界がかなりグレーになっている。冒頭、ピザ屋の店主に顔を踏まれて「悪くないかも」とか言うのはナシだ。変態を嫌うはずの愛子も、狂介イジリの連続にどこか面白がっている印象。おいおい違うだろ。。。。

真面目でダサい草食系男子が、潜在能力として持つ変態のDNAがパンティーによって呼び覚まされ、超人的な能力を発揮する。顔面にパンティーをかぶり、股間とお尻を喰い込ますVラインの白布を纏い、両足には網タイツを履いている。露出する肉体はひたすらマッチョという仕上がりだ。そんな異様な出で立ちのキャラクターが、常識的な世界を破壊するかのように突然出現する。日常と非日常の接触に新たなギャップが生まれ、シュールな絵となり笑いのツボを刺激する。そこに余計な小細工はいらない。しかし、監督の福田雄一は笑いを盛ろうとする。 「勇者ヨシヒコ~」で味を占めたような笑いの取り方を本作で加える。

福田雄一作品を観に来たのではなく、「変態仮面」を観に来た自分にとってはなかなかツラい映画だった。監督が大好きであるムロツヨシのクセが強いセリフ回しって、観る人みんなが好きってワケじゃありませんから(苦笑)。グダグダなセリフのやりとりに勝機を見出したのか、かなりの時間を割いている模様。笑いの熱源は変態仮面の肉体に集約させればよくて、欲しがり過ぎは凡打に繋がる。変態仮面の必殺技「おいなりアタック(おいなり固め!?)」も、前作で初見のインパクトがあったものの、本作のアクションシーンで何度も見せられては飽きてくる。他のキメ技はなかったのだろうか。

楽しみにしていた柳楽優弥のキャスティング。「アオイホノオ」からの繋がりだろうが、昨今活躍が目覚ましい彼の演技力を封じるかのような着ぐるみキャラにガッカリ。役者の個性から笑いを引き出すのではなく、役者の個性に笑いをまぶそうとする。コメディ映画の演出としては致命的な欠陥といえる。だから日本のコメディ映画はハリウッドに勝てない。唯一の救いは、前作に続き、主人公を演じた鈴木亮平のパフォーマンスだ。3年前と変わらぬ見事な肉体の作り込みに圧倒される。プリプリとした臀部越し見える世界の可笑しさよ。ポーズ、アクションのキレも良く、彼の本気度が伝わってくる。渋みを増したクールな声色と変態ボディのミスマッチは笑いを増幅させる。

福田雄一作品が苦手ということではなく、本作は映画向けの演出ではなかったという感じ。

あと、映画の内容には関係のないことだが、オタクっぽい周りの男性客が過剰にリアクションを取り過ぎていて(そんなに身を乗り出して笑うところ??)、劇場の空気が一気にシラけてしまった。

【55点】
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