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ノーマル・ハート 【感想】

2015-04-17 09:00:00 | 映画


昨年公開された「アデル ブルーは熱い色」。目の前の大スクリーンに映し出された肉体の擦り合いを、自分は気恥しさのあまり直視できないでいた。そんな中、ふと思った。「これって女性同士の肉体だから成立するんだよなー」と。逆にいうと、男性同士の行為は一般公開映画としてはご法度なのだと思う。理由はおそらくシンプルで、男同士のセックスは気持ち悪いからだろう。

アメリカのケーブルテレビHBO製作のドラマ映画「ノーマル・ハート」を観た。
1980年代初期、アメリカで初めてエイズ感染が確認され、その温床となったゲイコミュニティーの権利闘争を描く。

映画の冒頭から異質だ。筋肉ムキムキで肌を露出しまくっている男たちがボートに乗りこみ、到着した離島でお祭り騒ぎでバカンスしている。カメ ラは男たちの笑顔、胸板、お尻を矢継ぎ早に捉え、その嗜好の対象が完全に同性(男)であることを強く示す。その後、主人公が朝方に目撃する屋外での複数プレイや、いわゆる「ハッテン場」といわれる社交場でのプレイ、主人公とその恋人が繰り広げる男同士のセックス等々。「異質」という表現は不適切かもしれないが、自分がイメージできる想像の範囲を超えた描写であった。

本作でのエイズ感染は、そんな男同士の性行為が原因として描かれる。そもそも「エイズ」という病名すら付けられていない時代である。エイズに対して無知であり、セックスを「権利」と主張するゲイの人たちは「性交渉をやめて!」という医師の言葉に猛反発する。また、その事態を受け止める社会は「ゲイの人たちの 中だけで蔓延している」「ゲイの性行為によって広がっている」「一度感染したら死ぬしかない」、こうした情報だけが先行し、強い嫌悪感を抱く。ゲイへの差別が加速し、同性愛を「病気」とする偏見者たちにすれば、彼らの権利を社会から抹消する絶好の機会になる。その流れに抗うのがゲイコミュニティーの幹部メンバーだ。現恋人、元恋人、友人たちが次々と発症するなか、何もできない、誰も手を差し伸べない、ただ目の前で死ぬのを目撃するだけだ。そして彼らは政府を相手取り、自らの生きる権利を主張し、エイズを食い止めるための予算を捻出するよう奔走する。

本作はエミー賞を受賞するなど、多くの称賛を得た映画だったが、正直なところ、それほど強い感銘を受けなかった。彼らが 闘う舞台の多くがゲイコミュニティーの中で閉じていたため、本来の姿であったであろう、社会に与えた影響と、そのダイナミズムが感じらず、コミュニティーの閉塞感が際立って見えてしまった。また、豪華出演陣が共演するとあってか、それぞれのキャラにわざわざ「見せ場」を作るような演出に無駄な力みを感じた。しかし、偽りのない性描写を含め、彼らの恋愛や友情は、ストレートのそれと変わらない「ノーマル」な精神であるということ、そして、エイズ発症という歴史の裏側にあった史実を知らしめたという意味では、この映画が持つ存在意義はとても大きい。

キャスト陣には映画界の実力派とドラマ界の主役級が結集した。映画界からは、マーク・ラファロ、テイラー・キッチ ュ、ジュリア・ロバーツ、アルフレッド・モリーナ、ドラマ界からはマット・ボマーにジム・パーソンズといった具合で、まさに豪華共演。主演のマーク・ラファロはさすがといったところで、普段は脇役の位置で出演作を支えているが、主役になってもそのスタンスは変わらず、物語の中心軸となり、周りの個性を活かし、全体の調和を整える役割に徹する。彼の恋人役となるマット・ボマーはエイズ感染者ということで生々しい減量体型を維持し、死に抗うキャラを熱演する。コメディドラマで活躍中のジム・パーソンズのシリアスな演技も印象的だ。

監督は、ドラマ「glee」の生みの親であるライアン・マーフィーだ。自身もゲイであり、本作に懸ける想いは並大抵なものではなかっただろう。マット・ ボマーやジム・パーソンズなどのオープンゲイの俳優のキャスティングからも、その熱量が伝わる。

男同士のセックス描写を芸術性として受け止められる時代はいつかくるのだろうか。

【70点】


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