から揚げが好きだ。

映画とサウナ。

流浪の月 【感想】

2022-06-02 19:00:00 | 映画


再び巡り合う2つの孤独な魂の行方。
この物語、そしてこの映画を何から語ればよいのだろう。この記憶は忘れがたく、今年を総括するときに振り返る1本になったことには間違いない。

物語の真実は『少女を苦しみから救った青年』の図。しかし、社会は盲目の理解で2人の絆を壊し青年を貶める。ニュースで語られる事実は後者の社会の視点『10歳の少女を誘拐し、一人暮らしの自宅に連れ込んだロリコン男』。年の差は8歳しかない。少女が仮に成人を迎えた20歳で、男が28歳であれば、これほどスキャンダラスに報じられることはない。物語の本質から外れるけど、頭のなかで考えたのは「純愛」の定義だ。

肉体的接触、あるいは性的な欲望を介した愛は、その定義から外されがちだけど、両者が求めあう結果であればそれは「純愛」といえると考える。小児性愛の問題は子どもが身体的にも思考的にも未成熟な存在であること。だから、双方に合意があったとしても犯罪と認められる。なお、本作での2人の間には肉体的な接触は全くない。だけれど、仮に男の小児性愛が背景にあったとしても少女が救われた事実があれば正義といえるのではないか。。。。なんて、価値観を揺さぶられる感じがした。(本作は小児性愛を描いたものではないし、個人的にも異常な生理現象だと思ってる)

本作の本質的な問題定義は、他者は何もわからず、社会的倫理や法律のムチで個人を大いに傷つける、という点。だが、その問題を声高に訴求する物語ではない。愛おしく、または、愚かしい人間の業を寓話的なアプローチで描きとる。あまりにも悲惨な2人の境遇、出会うべくして出会った運命は15年の歳月を経て輪廻し再び動き出す。2人はただ繋がっていたかっただけ。世界がこの2人だけだったらどんなに楽だったことか。

常に中心にあるのは主人公2人の世界だ。他社は障害、あるいは社会の代弁者として位置する。脇役が2人をサポートすることはない。人と人が交わることで発生する微細な空気の変化がリアルな感触として伝わる。避けることのできない、目を覆いたくなるほどの嫌悪感、暴力性も容赦なく描写する。美しさも醜さもありのままだ。そこに同居する愛の多様性がさらに深みへと引き込む。静的画面の裏に透けるざわめき、緊迫感。青白く冷たいフィルターを通してみる叙情的なカメラショット。150分という長尺を気にさせないほどにスリリングで没頭させる。

李監督の6年ぶりの新作。個人的に苦手な監督のひとり。「そこは描かなくてもよいのに・・」と描写加減が性に合わず、本作でも(原作通り?)、文が落書きで中傷されるシーン、「わざわざスマホで撮影する子どもを挟まんでもよいのに」と思ったりする。しかしながら、本作はそれ以上に監督の丁寧で緻密な演出が光る。

若き役者陣に心からの賛辞を送る。熱演、名演という表現では収まりきらない。その圧倒的な実在感に、俳優として知る彼らのイメージは完全になかった。そこにいたのは広瀬すずではなく「更紗」だったし、松坂桃李ではなく「文」であった。なので「ギャップ」という表現は相応しくない。映画を見送って没入から解け役者陣を振り返ったとき残ったのは、映像の世界で役者として携わることを決めた人間たちの覚悟だ。強いていえば松坂桃李。役所広司からカメレオン俳優の座を継ぐのは彼しかいないだろう。

本作はミステリーでもある。前半、更紗側の視点が一方的に描かれるなか、謎であった文側の真実が解き明かされている。文のあらゆる行動原理、心理的背景を「ファンタジー」として語るのではなく「物理的な真実」として描いたことも物語の輪郭、手ごたえを確かなものにした。あと、本作は「珈琲」映画でもある。傷ついた更紗に振る舞った、文が淹れたカフェオレの美しいこと。珈琲愛好家として堪らなかった。

【90点】
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