から揚げが好きだ。

映画とサウナ。

チャッピー 【感想】

2015-06-03 10:00:00 | 映画


ニール・ブロムカンプの待望の新作を観る。
その期待に違わぬ、無二の作家性、オリジナリティを強く感じる映画だ。しかし、後半に連れて「渋滞」が酷くなり消化不良が否めない。もっとシンプルにしたほうが良かったのでは??

南アフリカを舞台に、増加する凶悪事件の対抗策として、ロボット警察が治安を維持する近未来。ロボット警察による完全なコントロールというより、生身の警察と連携で凶悪事件を取り締まる形だ。激しい銃撃戦の中、ロボット警察は人間たちの盾となる。ロボットたちに課せられる使命は、犯罪者たちへの攻撃よりも、人間たちの身代わりとなる防御の印象が強い。犯罪者たちからの攻撃を一身に受け、壊れれば、修理して直すか、廃棄されるかだ 。使えなくなったら新しいロボットを使えばよい。人間にとっては道具であり、消耗品。ロボットたちは、それを自覚する術はない。

そんな中、人間と同じ感情が持ち合わせ、自身で成長することができる、人口知能を搭載したロボット「チャッピー」が誕生する。その誕生は人間の赤ん坊と同じで、何色にも染まっていない純粋無垢な存在として描かれる。自立して生きていくための知識、道徳は、すべて周りの環境によって育まれていく。社会のルールを遵守する開発者の想いとは裏腹に、チャッピーは犯罪に手を染めるギャングの下で成長することとなる。ギャングの中には母性に目覚める女子の存在があるものの、結局は犯罪行為に利用できるロボットに成長させたい。チャッピーの幼児性と感情の芽生えは、「ピノ キオ」のように可愛く、観ている側の同情を誘う。そこに投下されるのは人間の醜さ。「どうして僕にそんなことするの?」と助けを求めるが、「荒療治」としてギャングたちはチャッピーを傷つける。物語上必要なプロセスなのかも知れないが、幼児虐待や動物虐待を想起させ、見ていて非常に不快なシーンだった。

チャッピーを中心に3つの欲望がせめぎ合う。チャッピーを好きなように利用したいギャングたち、チャッピーを通じて人工知能の可能性を広げたい開発者(これも結局エゴと思われ)、そして、コントロール可能なロボットを理想とする反「チャッピー」の技術者。物語は3番目の技術者を最大の悪玉として描く。演じるヒュー・ジャックマンの怪演も功を奏して、その暴走ぶりがスリルとなってアク ションを盛り上げる。技術者の操縦する巨大ロボットとチャッピーの対決アクションが面白い。監督の過去2作にも通じるガジェットの描き方、アクションへの活かし方については、ブロムカンプの腕の見せ所であり、大いに楽しませてくれる。男子のテンション上げ方をよくわかってるなーと改めて感心する。

しかし、後半から頭を出して、物語の転結までにつなげた「意識の転化」には正直ついていけない。それまでにも、多くのキャラ設定、それぞれの思惑がいささか雑に扱われる部分もあり、物語の勢いに任せて目をつぶってこられたが、「意識の転化」というテーマを最期のメインディッシュとして大きな塊のまま持ってこられても食べきれない。物語の疾走感を保つためか、そのテーマに伴う背景やプロセスがざっくり端折られる。それは破綻に近い印象すら受ける。渋滞中の道路で玉突き事故を起こしているのに、ピョンピョンと車の上を跳ねて、先に進んでしまう感じか。百歩譲っても「チャッピー」単体で留めておくべきだった。そこに深いドラマを感じることは到底できない。

とはいえ、ニール・ブロムカンプへの信頼が損なわれることはない。ハリウッドに戻ってもよいので、次回作に期待してます。

【60点】
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