昔からの疑問がつい最近解消された。戦時中、戦闘機や戦艦が爆撃する映像で、
鉄の塊である弾丸がビーム光線のように発光して弾道を残すことである。
調べたところ、撃ち手がその弾道を確認できるように、
弾丸に曳光物が含まれていることがその理由らしい。
映画「フューリー」の予告編を見て調べずにはいられなかった。
で、ブラピの新作であり、デヴィッド・エアーの新作である「フューリー」を観た。
前評判に違わぬ、凄い力作だった。
第二次世界大戦の末期、ドイツ軍陣地にわずかな戦力で突っ込むアメリカの戦車部隊を描く。
主要キャラは同じ戦車に乗り込む5人の兵士だ。広くない戦車の中で、
大の大人が5人も寝食を共にするということにまず驚いた。戦車の中でオシッコもする。
戦車は銃弾を通さない鉄板に覆われた屈強な砦であるとともに、逃げ場のない巣箱だ。
その戦車ならではの強さと脆さが、観る者のスリルと恐怖に転化していく。
死と隣合わせになる状況を共有する仲間たちの絆が強固になっていくのは必然である。
本作で描かれる戦争での殺し合いは、「やったらやり返す」という憎しみと、
「やらねばやられる」という自己防衛の元に成り立っている。
「望郷」あるいは「愛国心」などという綺麗な大義は排除されている。
状況は、数々の仲間を殺したナチスという存在が目の前にいるというだけであり、
彼らを見つければ「殺す」あるいは「苦痛を与える」 という選択肢しかない。
「生き返らないように弾をぶち込め」。良心が失われた世界が広がる。
そんな中、ローガン・ラーマン演じる新人兵士が、ブラピ演じる隊長の戦車隊に加わる。
相手が誰であれ同じ人間を殺すことを頑なに拒み、
「いっそ自分を殺せ」と嘆願する新人兵士の姿が観客側の視点と重なる。
しかし、戦争は人を変えることが容易だ。度重なる修羅場を経験する中で、
その良心はすっかり曇り、人を殺すことを「最高の仕事」と言える兵士になる。
時代設定が「大戦末期」というのがポイントだ。
アメリカ軍の攻勢にナチス軍が息絶え絶えになっている状況である。
戦力不足により戦闘に加わらない自国民を殺すナチス、
わずかな物資と引き換えにアメリカ兵に体を売るドイツ人女性など、
あまりイメージできなかった事実が突き付けられ、胸が痛んだ。
言わずもがな、戦闘アクションは想像以上の迫力だった。
戦車による重量級の爆撃戦が繰り広げられるが、
人間の肉体をいとも簡単に肉片にしてしまう瞬間が躊躇なく描かれる。
その描写は凄まじく、敵、見方に関係なく平等に描かれる。
この戦いに「英雄」も「正義」も存在しないことに気づく。
娯楽作として「血湧き肉躍るアクション」と面白がることもできるのだろうが、
戦場に横たわる虚しさを前に、そんな余裕は自分には全くなかった。
1つ、どうしもて引っかかったシーンがある。
新人兵士とドイツ人女子の急展開なロマンスだ。あそこはプラトニックに描いてほしい。
兵士として「女を知る」過程は必要だったのかもしれないが、
あの状況では絶対にあり得ないので、ドイツ側の感情がないがしろになる。
逆に、ラストでのドイツ人兵士がとった行動の描き方が誠実であり、
余韻として残っただけに勿体ない。
主要キャラ5人のキャスティングは見事にハマった。
4人の部下たちの命を預かる隊長を演じたブラピの圧倒的な存在感。
「狂った男」と揶揄されながらも、戦争の虚しさを誰よりも感じる男の悲哀が、
逞しい背中から伝わる。新人兵士を演じたローガン・ラーマンは期待通りの熱演だった。
しかし、個人的にラーマンよりも後を引いたのは、想定外のシャイア・ラブーフだった。
何と良い面構えだろう。寡黙な中に覚悟を決めた彼の表情に何度も涙腺が緩む。
WDのシェーンこと、ジョン・バーンサルの下品極まりない言動がリアリティを感じさせた。
あと、スティーヴン・プライスの音楽がめちゃくちゃ良かった。
宣伝文句の「オスカー最有力」はイキり過ぎだが、とても良い映画だった。
【70点】