ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく | |
堀江 貴文 | |
ダイヤモンド社 |
Kindle版にて読了。
堀江さんとは同い年だし、家庭環境は全然違うものの大学までの経歴も似ているところがある(中高一貫の男子校出身のところも含めて)。
この本に書かれた彼の考え方にも共感するところが多い。
(けっして、この本で彼に対する印象が変わった、というわけではない。)
特に、子供のころに戻りたいという気持ちがさっぱり理解できない、というところは完全に同じ感覚。
自由と責任は必ずセットになっている、責任を背負うから自由でいられる、というのは全くもってその通りだと思う。
「親元を離れる」とは精神的なものであり、親に反対されるか、心配されるかが気になるのは自立しきっていない証拠だというのも至言。
しかしながら、堀江さんと自分では歩んでいる人生の様相が全く異なる。
彼我を隔てている違いはなんなのだろうかと考えさせられた。
やりがいとは「見つける」ものではなく、自らの手で「つくる」ものだ。
ここなんだろうな。
自分自身、能動的に人生を選択してきたという自負はある。
が、それは結局、その時点の環境条件の中で選択可能なものを選んできたに過ぎない気がする。
何か物事を示されて、それをやりたいのかやりたくないのかについての意思表示や決断をすることはできるが、自分自身で選択肢を創ってはこなかった。
というか、彼ほどには、自分が「何をやりたいのか」が判っていないのだ。
「今」に満足してしまえば、人生が広がっていくことはない。
それをどう考えるかだ。