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ダメージコントロールと艦内祭壇〜原潜「ノーチラス」

2016-07-08 | 軍艦

さて、北極点の氷の下を浮上せずに見事通過した「ノーチラス」。
サンタも登場し、ケーキも焼いてお祭り騒ぎでそれを祝ったわけですが、
彼らの成功は決して運だけでなく、そのための準備に負うところが大でした。

作戦決行の直前に空から氷の様子を偵察して詳細報告をあげたのもそうですし、
事前の練習として、「ノーチラス」はイギリスに航行していますが、
このときにわざわざグリーンランド寄りの航路で、氷の下を潜水しています。

このときの練習航行はけっこういろいろあって、通信機器が使えなくなり、
ジャイロスコープでの計算に失敗し、潜望鏡が氷にあたり破損しています。 

こんなんで北極点の氷の下を通過するなんて大丈夫なのか、と関係者一同は
思わず天を仰ぎたい気分だったに違いありません。

写真は、スコットランドに到着して、現地にいた潜水母艦、
「フルトン」USS FULTON (AS-11)に横付けして、スペアを譲ってもらい
破損した潜望鏡を取り替えている「ノーチラス」。

問題の部分には空撮を防ぐために白い布がかかっていますね。



さて、操舵室を見ながら通路に向かって進むと、
「ICVパネル」 とかかれたテーブルがありました。

ボルテージパネルは各区画のバッテリーの状態をモニターするためのものです。 
小さいプラグ穴一つ一つが区画を表し、ここにつないで状況を把握します。




おっと、いきなり日本の自衛艦で時々見るような優勝トロフィーが!
艦対抗のボウリング大会で「ノーチラス」が一位になったそうです。



「ノーチラス」対「コンスティチューション」とあるのですが、
「コンスティチューション」って、帆船ですよねたしか・・・。

このころの最新式映写機が備えてあります。
乗員たちの楽しみのために映画なども上映されたのでしょうか。

後ろにあるのは各区画への電力供給パネルです。



アメリカ大統領は就任のときに聖書に手を置いて宣誓しますが、
こうしてみるとキリスト教がアメリカの国教なんだなと改めて思います。

戦艦などには従軍牧師が(しかも士官の階級を持つ)乗っていましたが、
潜水艦は昔も今も人数に限りがありますし、とくに「ノーチラス」のような
特別の任務を帯びて任命される乗員しか載せられない潜水艦の場合、
ボランティアで乗員が神父の役を務めるというふうにしていました。

潜水艦勤務は一旦海に出てしまえば月月火水木金金で、だれも休みを取れません。
そこで、ホリデイに見張り業務などにあたった人は「安息日」として
祈りの時間がもらえたりしました。 

こういう勤務だと日頃不信心な人でもつい祈りたくなるんだろうと思います。

というわけで、にわか牧師でも祈りの心は同じ。
ちゃんと艦内祭壇セットが搭載されているのでした。



ガスマスクして遊んでる人がいるー!
こんな状態で遊ぶとなると、トランプくらいしかできないですよね。

この人たちは「ダメコン係」。(正式にはなんていうのか知りません)
火事などに備えて酸素マスクの限界時間を実際に使用して調べています。
(苦しくなったら外すんだろうか)

彼らが使用しているのは消防士が消火活動に使う特殊な酸素マスクで、
ポタシウム(カリウム)スーパーオキシドだそうです。超酸化?




祭壇の横で椅子に脚を上げるなんてお行儀が悪い、というのは
あくまでも日本人の考え。

あの映画「パールハーバー」には、帝国海軍の乗員が「マイ仏壇」を持っていて、
乗員寝室でそれにローソクを何本も備えているシーンが登場しましたが、
(艦内教会がこれなので、そんなもんだろうと思った模様)
そこまではまあ許せるとしても(許せないけど)、
あろうことか、乗員が祭壇の前で褌のお尻を向けて着替えしてましたよね。
彼らの辞書にはきっと「罰当たり」に相当する言葉がないのに違いない。


椅子の上には飛行機にあるようなベストが置いてあります。



潜水艦は狭いので医務室というものもありません。
というわけで、何かあった時にはここで手術も行われます。

いくら限りある乗員数でも、メディックまでボランティアではないですよね?



透明のドアがありますが、これは展示に際して改装し、
中が見えるようにしたものでしょう。
中には医学書などがあって、その一つはその名もずばり「手術」。
まさか緊急事態にはこれを見て手術するつもりだったんだろうか。



普段は兵員が食事をするスペースですが、いろいろ展示されています。
これがダメコンツール。

ダメコンツールが一切合切セットされている赤い布はそのまま
くるくると巻いて狭い艦内に収納しておく仕組み。

電気関係の修理道具と損傷を想定したツールが全て揃っています。

このテーブルの下に、おそらく当時からあったのであろう
「ダメコン10則」のプレートがありました。
曰く、

1、自分の艦を水から守れ

2、最低材料条件に違反するな(ある材料でなんとかせよ)

3、自分の艦がダメージに耐えうる力に自信を持て

4、自分がどこにいるか、たとえ暗闇でも知っておけ

5、ダメコン機材の使い方に知悉せよ

6、近くのダメコンステーションにダメージを報告せよ

7、自分の行うべき役割をいつの場合でも確認せよ

8、最小単位の自分をダメコンによって守れ。自分を守れば艦を守れる

9、たとえ望みが少ないと思われても艦を守るために全ての可能性を試せ

10、冷静であれ 艦を諦めるな!(KEEP COOL:DON'T GIVE UP THE SHIP!)


どちらかというと精神的な戒めに近い10則です。



一人でお食事中。
彼が食べているのがハンバーガーに食後はクッキーというメニュー。



ここは兵員のメス、兵が自分で勝手にソフトクリームを食べることもできます。
やっぱりありましたね。ソフトクリームメーカー。



右はミルクディスペンサー。
ミルクはカルシウム摂取に必須と考えられていたからでしょうか。
左なんですが、「BUG JUICE MACHINE」とあります。
バグ(虫)ジュースって何かしら、と思ったら、これは1950年代に
出回った、粉末ジュースのことらしいですね。
日本でも「ジュースの素」として流行りましたが、チクロ、ズルチン、サッカリンなど
人工甘味料の健康への影響がいわれて使用禁止になり、さらには
缶ジュースと自動販売機の普及で完全に廃れました。

「ノーチラス」では、この粉末ジュースをマシンで作って飲んでいたようです。
アメリカではクールエイドという粉末ジュースが今でも軍のレーションにも使われています。



アフリカ系の下士官のおじさんがこれからお食事?
写真を見る限りアフリカ系の乗員は「ノーチラス」に一人もいなかったけど・・。

この区画は「チーフ・クォーターズ」といって、14人の下士官の居住区ですが、
「ノーチラス」の下士官にアフリカ系がいたかどうかはわかりません。

調べてみても実際アフリカ系の乗員がいたかどうかは言及されていませんでしたが、
少なくともこのころ(1950年代)アフリカ系は明確に差別されていましたし、
公民権運動そのものもようやく緒についたころでした。

巨大な戦艦ならともかく、狭い潜水艦に当時の白人たちがアフリカ系を乗せることを
「生理的に」問題視した結果なんだろうなとなんとなく思います。


ところでちょうど今、アメリカでは無抵抗のアフリカ系男性が警官に撃たれ、
その時のビデオが出回って連日大変なニュースとなっています。

なんども音声付きでその瞬間が流れるのですが、地面に二人掛かりで
男性を抑えている警官の一人が「ガン!」というと、男性が、
「ヘイ、ブロー(ブラザー)、神に誓って何もしてない」と叫ぶのにも耳を貸さず、
その直後もう一人の警官が自分の銃を抜き、彼に二発撃ち込むショッキングなものです。

車の窓から運転席のフィアンセを撃たれ、彼が死んでいく一部始終をビデオに撮って

発表した女性もいます。

Woman streams aftermath of fatal officer-involved shooting
(中ほどのビデオ参照。血の苦手な人は注意)


定期的に起こるこの種の事件を受け、黒人社会の不満は高まっており、
皆で「We shall overcome」を歌いながら抗議するデモが広がりを見せ、
今夜はオバマ大統領が声明を出すことになりました。
たった今も男性の遺族が

「Only wrong thing he did was being bladk」(彼の罪は黒人であったということだ)

と述べたとテレビでは報じています。
公民権法設定半世紀以上が経っても、アメリカの社会には根に差別問題があり、
それは日本におけるいわゆる「被差別側」の言うところの「傷ついた」などという
主観的な弊害などではなく、実際に公権によって命を奪われる事態が 
なんども繰り返されているのですから、病巣は深いと言わざるを得ません。

ただ、現実問題として警察官が被疑者に射殺されることが普通によくある状況で、
自分の身を守るためにオーバーキルしてしまう傾向も無視できない事実です。


話が逸れましたが、この部屋にアフリカ系乗員を配したのにはなにか
その筋からの配慮でもあったのでしょうか。
というのは、画像を検索していて知ったのですが、昔の「ノーチラス」の写真では
この部屋にいるのは白人のマネキンだったのです。



話がそれましたが、そのアフリカ系乗員が今から食べようとする
ジスイズ・アメリカンフード。

さっきのおじさんと同じく、チーズバーガーベーコン添えにクッキー。
アメリカンブラック(彼らミルクは入れないのね)コーヒーにコカコーラ。
日本人だったら1日で飽きてしまいそうですが、彼らはほぼ毎日、
ランチには同じようなものを食べていたと思われます。



ここでいきなり1954年のノーチラス進水式の写真が出てきました。

先頭のご婦人はいわゆる進水式にシャンパンを割る係で、
マミー・アイゼンハワー、アイゼンハワー夫人です。



そしてその3年後、1955年1月3日に、「ノーチラス」の原子炉は臨界点に達し、
彼女は初めて全力運転をここグロトンのテムズ川で行いました。

この木のメモリアルボードには、艤装&初代艦長ウィルキンソン中佐が

"Underway on nuclear power"(当艦原子力にて航行中)

と発した歴史的な通信文がそのままコピーされています。

UNDERWAYの後の消してあるのは、もしかしたら間違い?



前半で適当に「ここはバッテリー?」などと書いてしまってすみません。
バッテリーが上の階にあるわけなかったですね。

何しろ、バッテリーというのは一つが1000lbs(453.6kg)のセルが、
126個もあるものですから。

ちょっとまて、原子力潜水艦になぜそんなにたくさんの電池が必要なのか、
と思われた方、あなたは正しい。
もちろん原潜というものは全ての電力を原子力で生み出しているからこそ
原潜なのですが、そこはそれ、k-19みたいな事故だってあるかもしれないじゃないですか。

そこで、原子炉に異常があって推進力が失われたときの非常用に、
これだけで完全に電力を賄えるだけのバッテリーを搭載しているのです。



左側はなぜか80日間世界一周と海底二万マイルの合成イメージ。
そして右側のおじさんがジュールベルヌ。
「科学ー地理学ーフィクション」という文字も見えます。

これも下のフランス語の説明によると、ナント(金属加工業が有名)
に寄航したときの思い出に、ここで注文して作ったということが書かれています。


さて、フランスに寄航後、本国に凱旋帰国をしたノーチラスですが、
どのような歓迎を受けたのでしょうか。


続く。