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THE CHAIN〜コーストガード・アカデミー

2016-07-14 | アメリカ


コーストガードアカデミーのミュージアムに見学の予約を取り、
ついに内部への進入を果たしたわたしたちです。
案外簡単に軍学校に入れてしまうのはわたしたちが日本人だから?
それとも学校組織だからかしら。
例えばアナポリスの見学をしたいとして、観光客は入れてもらえるのか?

ふと思って調べてみたところ、なんと

予約なしで9ドル払えば定期的なツァーに参加できる

ということが判明しました。
うーん・・・今年は無理だけど、いつか行ってみたいねえ。

こちらコーストガードアカデミーはそもそも学校が小規模ですし、
アナポリスと違ってそもそも観光客がわざわざ来るような場所でもないし、
そもそも博物館を見に来る人が果たしてそういるかどうか、という感じです。



博物館の併設されていると思われる建物の前に、大きな鐘が置いてありました。

U.S.L.H.E  1906

あります。
調べても確かなことはわからなかったのですが、
L.H が「ライトハウス」のことだとすれば、灯台の付属品だということになります。
(じゃあ"E"はなんですか、とは聞かないでやってくれたまえ)

その横にあった、巨大な錆びたチェーン。(冒頭写真)
前に停まっている車の大きさと比較してみてください。

歴史的に意味のあるものなのだろうと思ったら、横に説明がありました。

1776年、独立戦争が起こった次の年、英国海軍艦隊をハドソン川への
侵入を防ぐため、ニューヨークのウェストポイントから
「コンスティチューション・アイランド」すなわち憲法島と言われるところまで
この鎖を延伸しして張ったということがありました。

この鎖はその一部であるそうです。


偶然先ほどアナポリスの海軍兵学校の話が出ましたが、この話の「ウェストポイント」
とはまさしくのちのアメリカ合衆国陸軍士官学校のことですね。

コンスティチューション・アイランドとウェストポイントは、
地図を見ていただければ分かりますが、ハドソンリバーをはさんで対岸に位置します。 




お分りいただけただろうか。

ここはいつぞやお話ししたイントレピッドの係留されている、そして自由の女神のある

ハドソンリバーをずっと上流にさかのぼっていったところにあります。
つまり、ここを鎖で塞いでしまったっていうんですね。

しかし、憲法島の歴史を見ると、この部分は1777年には一度英国に取られており
そのあともういちど1778年にアメリカが取り返し、以前「マーテラーズ・ロック」
と呼ばれていた今の憲法島の部分を要塞化した、となっています。

もしかしたらこの鎖はイギリス艦隊に破られた、ってことだったんじゃあ・・。

ともかく、この時に要塞化したのがきっかけで、その後ここに
その名も「ウェストポイント」たる陸軍士官学校ができることになります。



建物は丘陵地の一番高い部分にありました。
どれどれ、ここから先はどうなっているのかな、と見てみると、
なんとびっくり、テムズ川までの丘陵地一帯がすべてコーストガードの敷地です。
いったいどれだけの施設があるのでしょうか。

先日見学した我が防衛大学校も、実は超広大であることが地図を見て分かりましたが、
ここは「食堂のおばちゃんが毎日全員にクッキーを焼けるくらいの生徒数」なのに、
この広さとは・・・・。 



ここに「税収カッター乗員幹部養成学校」として士官学校が移転するにあたっては
学校の目的とその存在意義を大変慎重に考慮したといわれています。

士官候補生たちの訓練にはカッター(税収カッターの方ではなく日本でいうカッター)
を漕いだり実際に乗船実習が欠かせませんが、
彼らはキャンパスに面したテムズ川でそれを行うことができます。

なんと「バークル・イーグル号」という帆船まで所持しているのです。



この建物、地図で調べてみたところによると食堂のようです。
食堂の名前は「ドライドック・レストラン」。

食堂だけにしては広すぎないか?と思ったら、それだけでなく、
オーディトリウム、つまりコンサートもできるようなホールと

ボウリングのレーン

があるんだそうです。
いくら広いからってなんでもかんでも作ってんじゃねー。



さて、いよいよ建物の中に入っていくことにしましょう。
「Whaeshe hall」といい、アメリカの大学らしく、卒業生が
建築費を寄付して自分の名前を冠したものだとわかるのですが、ここには
アドミッションつまり入学事務局と図書室、そして博物館があります。

ホールには大変気合の入った模型がこれでもかと飾られております。
まずこれは

U.S.C.G.C.ダラス(WHEC-716)


USCGC 、というのは
「U. S. Coast Guard Cutter」の意。
昔、「税収カッター艦隊」であったころの名残で、いまでも沿岸警備隊では
船のことをシップと言わずカッターとかたくなに?称しているのです。

これも、最初にコーストガードの発祥について
博物館で説明を聞いていなければわからなかったことです。




さて、ところでわたしは自衛隊と旧海軍の艦艇には少しだけ詳しく、

米海軍の艦艇についてもその関係でさらに少しだけ知っているのですが、
沿岸警備隊となると「ハミルトンクラス」とか言われても、大きさすらわかりません。

そこで、「ダラス」の3000トンというのを基準に調べてみました。
ちなみに3000トンクラスだと、全長は115mといったところです。

「たかなみ」型4,560トン、「あきづき」型5,050トン。

(「あきづき」型って、こんなに大きな駆逐艦だったんだ)

「はつゆき」型、「たかつき」型は3,050トンですが、全長は130m以上もあります。
あの「わかば」は全長100mだけど1350トンしかなかったというし・・・。

そこでふと、

「海上保安庁の巡視艇なら用途が同じなのだから同じようなクラスがあるのでは」

と思い、検索をかけてみましたら、

こじま(JCG Kojima, PL-21)

という、現在海保大学の練習船になっている船が、ほとんど同じ大きさでした。


沿岸警備隊のカッターの存在意義は基本的にパトロールと援護、災害派遣ですが、
「ダラス」の武装はオトーメララ、76mm銃、 25mmマシンガンなどで、
護衛艦なみの装備を持っており、ベトナム戦争の際には161回もの砲火支援によって
ベトコンの供給ルート、拠点、キャンプなどを破壊する任務を行っています。

キューバ難民、そしてハイチ難民の輸送、そしてスペースシャトル「チャレンジャー」の事故後、
捜索活動を行うなどの活動によって多くの叙勲をされ、2012年に退役しました。



U.S.C.G.C.「ビジラント」(WPC-154)

こちらはまさに海保の巡視船のような仕様。
1964年から69年にかけて作られた16隻のカッターの一つで、
乗組員は士官12名、乗員63名という規模です。

海上自衛隊でいうと、掃海艦(艇ではなく)より少しだけ乗員が多く、
船体もだいたい同じ大きさでしょうか。

このカッターは沿岸警備隊のカッターとして画期的なモデルで、
エンジンはアメリカの史上初めて導入されたディーゼルとタービンの混合(CODAG)。
荒天に強く、初めてヘリコプターのドックを搭載しました。

この巡視船にまつわる話といえば「クディルカ事件」があります。

1970年11月23日、アキンナーの西の大西洋上でリトアニア国籍の船員
シマス・クディルカが、ソビエト船からアメリカ沿岸警備隊のカッター、
つまりこの「ビジラント」に飛び込んで合衆国への亡命を図ったという事件です。

このとき、沿岸警備隊の第一管区司令ウィリアム・エリス少将は、
「ビジラント」にKGBエージェントを乗船させクディルカの逮捕をさせ、
アメリカ側から統一軍事法典違反として処分されてしまっています。

ビジラントというのは用心深い、という意味がありますが、
エリス少将はもうすこしソ連に対し用心深くなくてはいけなかったということです。 

最後の模型は

U.S.C.G.C.スペンサー(WMEC-905)

1986年に引き渡され、現在も現役のカッターです。

排水量1,800トン、全長82 m、海保に「くにがみ」型巡視艇というのがありますが、
ちょうどこれと同じくらいのサイズかもしれません。


アメリカの沿岸警備隊の重要な任務には、不法入国者の送還というのがあります。

この「スペンサー」もキューバから流れ込んだハイチ人を大量に送り返したことがあります。
その200人余りのハイチ人たちがボートで漂流していたのを発見し、
保護したのも、ほかでもない、沿岸警備隊のカッターでした。

そして、もう一つの重要な任務が、麻薬船の摘発です。

「スペンサー」は一度は大量のマリファナ、一度は大量のコカインを積んだ船を拿捕し
これを押収するという戦功?をあげています。



続きます。